オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

訃報ありて

2013-11-29 | Weblog

11/29(金) 週末の今朝、少し早めに人形町に着いた。会社の直ぐ前にある「堀留公園」の銀杏が色付いてきたのが目に止まった。人影も疎らな公園に暫し止まった。初冬の、頬を気持ち良く撫でゆく微風を受けながら、色着き始めた銀杏や、葉を既に散らした桜の梢、欅の葉を眺めた。儚くもある朝であった。

                     

昨夜の帰宅前、「ちょっぷく」に顔を出した。入院している店長の山ちゃんが、この日退院予定である。様子を訊こうと立ち寄ったが、未だ退院できないと病院から云われたとか。暫くはリハビリが必要とのこと。当人も心配をしていた糖尿病の方は、大丈夫のようだ。

一人、ハイボールを遣りながら、小さくて痩せた目刺を齧りながら思った。山ちゃんも体があっての商売、先般に見舞った折の彼のしょげようは分からんでもないなあ・・・と。先夜に話が出た、蜘蛛幕下出血でアッと云う間に逝ってしまった岡堂のことなど。人の儚さを噛みしめるように、冷えてショッパイ目刺を口に運ぶ・・・。

三杯も飲んだ頃に、スタッフのYOSHIOが顔を出した。ちょっと真面目に、ちょいとふざけながら、雑談を交わす。景気づけにカラオケでもやろうぜと「Seiju」に向かったが、客は誰もいない。見事に居ない、来なかった。二人で、ああでもなこうでもないと曲を探し、唄った。

珍しくYOSHIOもマイクを握り、黴が生えたような歌を唄いつづけた。酔ったYOSHIOが昔話をする「中学生の時にスナック姐さんに惚れて、通ったんだよ・・・」と。その頃に流行った思い出の歌をと「他人船」を唄った。人形町の場末の、しけたスナックのカウンターに妙にマッチしていた。

                         

「南らんぼう」の歌を知っていると云うので、曲を探すがない。前から、ここに来る度に探すが無い。ないものは何度探してもなかった。それにしても昨夜の帰りは寒かった。風が寒かった。

今朝は、飯の炊き上がる前にスムージーを作ることにした。早く作って早く飲む、これに限る。何故なら、飯が炊き上がると、その香味に抗しきれなくなる。ついつい、飯を喰ってしまう、細胞が成長する・・・こととなる。

今朝はのスムージーは「リンゴ・人参・ミカン・トマト・小松菜・水菜」であった。輪切りにしてあるのが人参だが、これが大根のような大きさである。ミカンは小さいが、服部農園産で滅茶甘である。

                    

然し、出来上がりが綺麗じゃないな~。

                        

 

  訃 報

 出勤前のひと時、昨夜唄えなかった所為でもないが「南 らんぼう」のCDを聴いていた。唄と云うよりは語るような歌声が低く「向こう岸へ私をつれてってと、女がいう。流れは早く橋はない・・・別れようかと思う・・・」と流れていた。

携帯が鳴った、見覚えのない電話番号。聞き覚えのない女性の声がようやく届く。「大谷の娘です、今夜父との懇談会が予定されているとのことで連絡をさせて頂きました。父が昨夕、近所で交通事故に遭いまして・・・・亡くなりました」。

今夜、サラリーマン時代の旧組織の数名で懇談会と称した飲み会をやる。大谷さんは今夜の会のメインである。私が幹事役で、案内状を出してあった。真面目、剛直でありながら緻密、懐の深い方であった。私が部下として仕えた期間は短かったが、強く清々しい印象がある。NTTがまだ一社体制だった四半世紀以上も前のことになる。

その後、当時の課長さんが音頭をとり何人かのメンバーが集い、毎年顔を合わせてきた。大谷さんは、ドコモグループの会社社長を最後に引退されたが、その人柄・人望の篤さから色んな会の重鎮を務めていた。

惜しい方が突然にも亡くなる、不条理であるがこれが人の世の儚さと云うものであろうか。ご冥福を祈る。

 

今朝頂いた連絡では、交通事故に遭ったたため未だ葬儀などの詳細は決められないとのことであった。
明日・明後日の予定、佐賀『地希市民の会30周年行事』と、福岡市での石風社代表との面会日程と重ならないといいのだが・・・。

 

 

 

コメント
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