オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

池袋の夜&ドクター・サーブ

2013-11-26 | Weblog

11/26(火) 昨夜は池袋に出掛けた。K大兄が池袋から転居しここに来る機会が激減したが、昨夜は地球市民の会・会長の佐藤さんが上京。池袋に宿を取った。そこで、ホテルに近い池袋で一献交わそうとなった次第。

この日は、夜になってから大荒れの天気予報。珍しく傘など持参で池袋に向かった。一軒目の焼肉屋で食事を取りながら、ビールからハイボールへと変わる。9月中旬の九州取材のおりに、佐藤さんの「世界平和道場」でお世話になって以来だが、私の方も話たいことがあった。

話と云うのは、地球市民の会を創設した前会長・故古賀武夫さんの人物史を書籍として残す企画のことである。そのことについて、二人で延々と話あった。そんな会話の中で、ペシャワール会の中村 哲さんのことに及んだ。佐藤さんも中村さんのことはご存知であり、その活動には畏敬の念を抱いている。

余談ながら、週末に私が読んだ本は「天、共に在り」と云う、中村さんの最新著作である。NHK出版から10月下旬に出版された本で、中村さんのアフガンやペシャワールにおける活動と、そこに至る経緯などが描かれている。9月に佐藤さん宅に寄せて頂いたのも、中村さんの取材に向かう途中であった。その時のことをBLOGに載せようと途中まで記したが、雑駁・散漫となり収拾がつかないので途中で放棄してしまったのだ。それが、以下の内容だが・・・。

 

『9月某日、福岡市西南学院大学にてお会いできた方が、アフガンの地でドクター・サーブと尊称されている「中村 哲 医師(ペシャワール会現地代表)」である。この機会をここ数年切望し、漸く叶った。

この日、中村さんの「福岡アジア文化大賞」受賞を記念した記念講演会が西南学院大学チャペル講堂にて行われる。その前の時間を頂きインタビューをさせて貰う手筈である。

前夜、久留米市に泊まり、昼前に西南学院大学に入った。相棒のHIROさん(聴き手&ライター役)と二人である。遅れて現地手配したカメラマンが到着。予定の時間に一時間も早いが、ペシャワール会が手配をしてくれた部屋に入った。

撮影位置などあれこれと相談し、備品や手洗い場所等を確認する。残念なことに室内は禁煙とのことで、タバコを好まれる中村さんのため(自分らのためか)に喫煙場所を確認する。

天気は申し分なく上々、学院の大きな欅の木陰とのコントラストが鮮やか。先ず、挨拶がすんだら外で撮影をし、それから一服と云うことで喫煙場所に案内して・・・、などと段取りを相談する。

三階の窓からテラス越しに門を見張り、到着を待つ。予定時間より少し早く着いた。部屋に案内をすると、同行のスタッフが食事が未だなのでと持参した弁当を使う旨の断りをした。不躾にも食事中の中村さんに質問を挟むが、快く応えてくれる。

インタビューの合間にタバコやお茶の時間を挟み、さりげない会話を交わす。こんな短い時間の中で、通じ合うものが、響き合うものが生まれる。

HIROさんが「ぼそり、ぽつり、ぼそり」と、インタビューを始める。何かを確認し、なにかを探しだし、発見しようと、己の中にため込んである中村 哲さんの情報と格闘するかのようだ。

ある人が、中村 哲さんについて小さな巨人と本の中で言っていたが、目の前にいる方は、なにひとつ圧しない。ただ静かに座し、静かに穏やかに応える。

こうして二時間を超えた、そろそろ時間でしょうと。我らに頂いた時間をエンドにした。その後HIROさんと医師はタバコ吸うために部屋を出た。

夕刻からこの学院のチャペル講堂で、ドクター・サーブ中村 哲さんの講演会が開かれた。講演を聴くのは二度目となる。ひと月前、東大農学部弥生講堂で開かれた講演を聴いている。

東京の講演会場でも、ドクターの現地における活動の様子が手に取るように分かる大判のパネルが沢山展示され、著書やビデオが販売されていた。販売をしているのは年配の方が殆ど、訊くと皆さん福岡から来ていた。中村さんを支えるペシャワール会のメンバーであった。

 中村 医師は1984年、あるミッション系医療団体から派遣されてペシャワール(パキスタンの北西部の都市)の慈善病院に赴任した。ここで、ライ病棟の責任者として勤務。その後、アフガンからの難民の診療、更にアフガンの無医村地区や首都に診療所を次々と作る。2001年、米軍のアフガン侵攻を契機に治安が悪化し、医療活動は縮小に至った。

頃を同じくして大干ばつによる農村の荒廃と難民の増加がつづく。中村さんは、命の原点である水と食物の確保を最優先すべきと、井戸を掘り、水路づくりに取り組む。1600本の井戸を掘り、25kmに渡る用水路を開発する至った。30年に渡るペシャワール(パキスタン)・アフガンでの活動は、著書「辺境で診る、辺境から見る」「医者井戸を掘る」や「医者、用水路を拓く」などに詳しく記されている。

中村さんの活動を支えるのは、福岡市に事務局を置く「ペシャワール会」である。毎年二万人以上の賛同者があり、数億円に上る募金が寄せられるそうだが、この有・無名の方々からの浄財と中村さんの侠気が用水路を拓いている。死言だが、大和魂・大和男の象徴がドクター・サーブと呼ばれる中村さんであろう。』

と、まあ手の付けようのない内容である。中村 哲さんご自身による本が十数冊出ているので、是非一読されることを勧めたい。主に、石風社(福岡市)から出ている。

余談が長くなったが、昨夜のテーマは「古賀武夫」である。彼の思いと情熱、行動力と破天荒な発想、そんなものを本に、物語として残すことが会としての責務じゃないかと、迫った。

 

二軒目の店は、池袋で唯一知っている店「野武士」へ。この店はK大兄御用達の店で、大兄の友人たちも常連である。私たちの他には、ご年配の二人連れがマイクを握っていた。佐藤会長にマイクを奨め、何曲か唄ってもらうが中々上手だ。唄を聴くのは初めて、『吾亦紅』なんていう難しい歌まで聴かせてくれた。

                  

私は、大兄の十八番「国境の町」で〆た。
大荒れの天気を覚悟していたが、外に出るとポツリポツリの小雨程度である。傘ささずに駅にむかった。少々酔ったようだ・・・帰り着くと零時を廻ったところ。今宵も過ごし過ぎか・・・。

 

 

コメント
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