オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当をひとつ

2012-08-13 | Weblog

8/13(月) 流石にお盆の週だけあって人出が少ない。そんな中、今朝は横浜へと直行しての営業訪問。一応営業とは言ってはみるが、私が動いても何の営業にもならないのだが、時には顔出しをしないと忘れられる。

横浜の某社支店に11時頃訪問との約束である。頃と云うのが曖昧で何ともいい・・・、一年ぶりに訪ねた某社支店は何と引っ越しており、訪ねたビルには無かった。何ともはや、間の抜けた話ではないか・・・、慌てて引っ越し先を確認してタクシーを飛ばしたと云う次第。

肝心の相手と話を済ませ、若しやと思い旧知の竹村女史のことを訊くと隣のグールプとのこと。これも、久々に顔を合わせて話ができた。行動すると云うことは、こういうことの連続である。

台風の影響か風が強い、日差しはカンカン照りでおまけに蒸し暑い。こんな日は、木陰のハモックに揺られながらビールでもやっているのがいいのだが、貧乏・零細・ノータリンなオヤジには、そう云うことにはとんと縁がないのであった。仕方ないので、安飯を喰らって帰ることとした。

横浜へ直出の今朝は時間が十二分にあった。散歩は軽めにしてフレッシュな桃ジュースなどを作って飲み、栄養補給。この桃は、一昨日徳島のO先輩が金時芋と一緒に送ってくれた吉野川沿いの果樹園産の白桃で、上品な味わいである。それにしても、今年は良く桃を頂く・・・桃は長寿につながると中国では云うらしい?これで、後百年は往くか。

土曜日に贖った牛肉が残っていたので、家人用に弁当を一つ作ることとした。牛肉・タマネギ・ピーマン・モヤシなどで炒める。他には、ホーレンソウと卵の胡麻炒めだけ。ご飯の上に、AOKIに貰った琵琶湖産稚鮎&小エビ甘露煮を載せてお仕舞である。

                             

 

  句 集

私の母は、今年「卒寿」を迎えた。これまで圧迫骨折やらグロムス腫瘍やらと怪我や病を抱えて生きてきた。何だかんだと云いながらも、後十年ぐらいは生きるであろう。だんだんと呆けがみられるが、7~8年前から俳句を始めた。年老いて字も忘れ、蓄えた知識も朧となりながらも駄句を作って楽しんでいる様子。

その半呆けの母が、何を血迷ったか「句集」を作ると言い出したのは梅雨も明ける頃。帰郷してミカン畑の草刈を終えた後であった。これも呆けの成せる技と思えば致し方なしである。問題は、師匠に選句や添削とお手を煩わせることであった。幸いにも、師匠は全面的な協力をして下さるとのことで、事が進んでいる。

今、巷では自分史・マイヒストリーを残すのがブームなそうな。生い先が分からぬ齢を迎え、何か生きてきた証を残したい、自分の思いを形にして残して置きたいと、母は思ったのであろう。呆けた頭なりに。それが句集と云うことに繋がったのであろうが、拙い言葉・音であることは自覚しながらも句集という形に拘ったところに生きる欲を感じる。

来月の上旬には出来上がる予定である。これに関して、私も些かの関与・手伝いを強いられているわけだが致し方なし。どうせなら、見られるものにしてやりたいと、親を思う気持ちは少しはある。

 しかし、年寄りの冷や水には困ったもんだ・・・。我がこととしては、形にこだわらない人生を生きれたらいいな、と思っている。

 

コメント
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