オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

懐かしき場所

2011-01-22 | Weblog

1/22(土) 昨日、午後遅くに赤坂溜池に在る会社を訪問した。アポイントの時間まで余裕があるので、会社から途中まで或は訪問先まで歩くつもりで会社を出た。

三越前から日本橋の手前を西河岸橋に至り「延命地蔵寺」に参拝。この寺は新派の舞台「日本橋」に縁が深く、物語に纏わる絵が奉納されているとか。

ここから一石橋を往復して外堀通りを有楽町へと向かった。数寄屋橋交差点からJRのガードに向かって歩く。ガードの手前からガード下は居酒屋。手前にある焼き鳥店「歌」は、日比谷に勤務した頃よく通った。

当時、私は職業人としての行末で悶々とした日々を送っていた。この時代、何時も相手をしてくれたのが相棒の宏さんであった。落ち合う先の合言葉は銀座のクラブ、そしてこの「歌」で安酒を飲む日々であった。バブルが弾けた頃のことである。

                        

                      「歌」            「ガード下の通路」

狭いカウンターか、店先に張り出して設けるビールの空き箱のテーブル。焼き鳥を齧り、安酒を煽りながら、どんな話をしていたのか・・・。店の人とも、すっかり顔馴染となっていた。

ガードを潜り日比谷シティへ。このビルの裏通りにあった「日比谷バー」も私のお気に入りであった。一寸した隠れ家風の雰囲気があり、良く飲んだのは「ギムレット」や「ブランデーのソーダ割」。つまみはチーズや野菜スティック。そんなことを思い出しながら歩いていると、約束の時間が迫ってきた。

新橋からメトロに乗り溜池へ。この会社で30分程ヒヤリングをして用件は終わった。そして日枝神社の前から乃木坂通りを乃木坂へと向かう。二週間ぶりとなるか、宏さんと吉祥寺で会うこととなっている。渋谷に出るので、途中まで歩こうと云う算段。

乃木坂通りを15分程で外苑東通りに着く。この角が「乃木神社」で、その上外苑東通りに面して旧乃木邸である。夕刻となり乃木邸の門は閉まっていた。女性が二人、門の前で中を覗きこんでいた。写真を撮ろうとしていると訊かれた「ここは何ですか?」

「乃木大将の旧居ですよ」と応えたが、乃木大将を知らないと云う。「日露戦争の時の陸軍大将ですよ」と教え、それ以上に詳しくは伝えなかった。もう少し詳しく教えれば良かったか・・・。

吉祥寺で宏さんと一杯やるため気が急いていた。それにしても、それほど若くは見えないお二人であったが乃木大将を知らないとは・・・これも時代か。

外苑東通りから青山通りの「青山一丁目駅」に至る。ここからメトロで渋谷へ出、井の頭線で吉祥寺へ。駅前のハーモニカ横丁にある焼き鳥屋に着くと宏さんがカウンターで飲んでいた。私が横に座っても暫く気が付かない処が可笑しかった。

この店の焼き鳥は旨い。旨いばかりでなく勘定も安い。空いているなと思って暫く飲んでいると何時の間にやら店が満杯となっていた。遅れて、H女史が到着したが、席がないので出る。

その後、餃子とラーメンの店を探して横丁をウロウロ・・・。気が付いたのは「つけ麺」の店がやたらと多いこと。通りを越して漸く、餃子とラーメンの店を見つけだした次第。

 

 

コメント
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