徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「母と暮らせば」―悲痛な現実のかなたに夢の温もりが―

2015-12-26 12:00:00 | 映画


 84歳の山田洋次監督の果敢な挑戦心に、少々驚いている。
 山田監督の新作は、しかも初のファンタジーだ。

 それは、長崎の原爆で死んだ息子の幽霊と生き残った母親が語り合うという、物語だ。
 広島を題材にした、井上ひさし戯曲「父と暮らせば」の姉妹編ともいうべき作品で、戦争で生き残った者の複雑な心中を描いている。














1948年8月9日、長崎・・・。
助産婦をして暮らしている伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で亡くなったはずの息子・浩二(二宮和也)がひょっこりと現われる。
伸子は呆然とした。
「母さんはあきらめが悪いから、なかなか出てこられなかったんだよ」
その日、浩二の墓前で、「あの子は一瞬の闇に消えてしまったの。もうあきらめるわ」と言ったばかりだったのだ。

その日から、浩二は時々伸子の前に現われるようになった。
二人は楽しかった思い出話から、他愛のないことまで沢山の話をするが、最大の関心は、医学生だった浩二の恋人・町子(黒木華)のことだった。
「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」と言って、死後もなお町子のことをあきらめきれない浩二を諭すのだった。
母と息子、二人で過ごす時間は特別なものだった。
奇妙な時間だけれど、楽しかった。
その幸せは永遠に続くように見えた・・・。


この物語の根底に流れるものは、山田監督作品で変わらず描かれてきた人間愛だ。
この作品も、優しくて、しかし悲しい物語だ。
そして、作家・井上ひさしへ捧げるオマージュなのだ。

原爆が投下され、浩二や多くの友人が死んだが、町子は職場を病欠したため難を逃れた。
悲別の街で、町子は死ななかった罪悪感を抱えて生きている。
伸子は、一片の骨のかけらも残さずに逝った息子の死を、受け入れられない。
核兵器の持つ非人間性を訴えつつ、母子のせつない時間の流れが綴られる。

戦後の苛酷な現実の中で、妄想する母親の悲痛なドラマを、ファンタジー様式を駆使して、いかにも山田洋次監督らしい温もりのある作品だが・・・。
哀切をたたえた、誠実で丁寧な作品であることは認めるが、ドラマはまだるっこいところも多々あり、しばしば眠気に襲われた。
つまりは退屈なのである。
吉永小百合、二宮和也もいいが、戦中戦後のこの時代に若者の長髪だってぴんとこない。
黒木華の無表情に近い演技も気になる。
ラストシーンの演出もすっきりせず、理解しずらい。

山田洋次監督映画「母と暮らせば」は、老成したベテラン監督もややお疲れのご様子で、個人的には期待外れの作品だ。
幽霊を扱った反戦映画で、とくに若い世代はどれだけ戦争の悲劇を感じ取ってくれただろうか。
映画の中で、山田監督が伸子に語らせるセリフだけは印象に残った。
「地震や津波は防ぎようがないけれど、戦争は防げたことなの。人間が計画して行った、大変な悲劇なの」・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」を取り上げます。