徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「いつか眠りにつく前に」ーある愛の記憶ー

2008-05-04 05:00:00 | 映画

人生の持つ、一瞬の美しい輝きが、時に胸を打つ愛の物語を紡ぎだすのだ。
そんな癒しの物語を、ハンガリー出身のラホス・コルタイ監督が描いて見せた。
これは、<母娘の物語>と言っていいだろうか。

スーザン・マイノットの全米ベストセラー小説を、「マレーナ」でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた、ラホス・コルタイ監督が映画化した。
クレア・デインズほか、ヴァネッサ・レッドグレイヴメリル・ストリープという、二大アカデミー賞女優の競演もなかなかのものだ。
輝くように美しい、若き日のアンを演じるクレア・デインズもいい。
ヴァネッサ・レッドグレイヴとメリル・ストリープは、この作品で再びオスカーを手にするのではとささやかれ、それぞれの実の娘と共演を果たしているのも話題だ。
アン役のヴァネッサ・レッドグレイヴの長女の役には、娘のナターシャ・リチャードソ、ライラ役のメリル・ストリープの若き日を演じるのは、娘のメイミー・ガマーということで、英米二組の名優の母娘共演を実現させたところも、この作品の大きな見どころとなっているようだ。

・・・重いい病に倒れた老婦人アン・ロード(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は、長女のコンスタンス(ナターシャ・リチャードソン)、次女のニナ(トニ・コレット)と夜勤の看護師(アイリーン・アトキンス)の看病を受けながら、静かに人生の最期を迎えようとしていた。
枕元で、二人の娘はじっと母を見守っていた・・・。

混濁した意識の中で、アンは、幾度も幾度も、娘たちの知らない男性の名前を口にしていた。
コンスタンスもニナも、その名を耳にするのは初めてであった。
意識と無意識の狭間を漂うアンの記憶は、1950年代の或る週末へと遡っていく。

歌手になる夢を持った24歳のアンは、親友ライラの結婚式で、ブライズメイドをつとめるために、ロードアイランドの海辺の町を訪れ、そこでハリス(パトリック・ウィルソン)と運命の恋に落ちた。
だが、その恋には悲劇的な結末が待っていた・・・。

アンは呟く・・・。
 「ハリスと私が、バディを殺したの」
母の言葉に驚く娘たちだった。
病の最期の床で、アンが口にした男の名はハリス、そしてバディはライラの弟だ。
アンの意識は、40数年前の、あの夏の日へ幾度も戻っていくのだ・・・。
現在と過去の世界が、かわるがわる、母娘の日常のデテールを細やかに紡いでいくのである。
かつて同じ24歳の親友同士だったアンとライラ、そして老いたのちの二人をめぐる人間模様・・・。

病床に横たわる老いたアンの傍らで、頬を寄せるかつての友人である老いたライラに向かって、アンはこう言うのだ。
 「ねえ、幸せなことってあった?」
 「ええ、たまにはね」
この二人の会話が、印象に残った。
・・・人生の最期に、死を直前にして、これほど冷静に、過去を振り返り見ることが出来るだろうか。

・・・そして、ようやく、バディの死の呪縛から開放され、自分がたどってきた道のりを、肯定的な視線で見ることができるようになったアンは、娘のニナにこう告げるのだ。
 「幸せになろうと努力して。なぜなら、人生に過ちなんてないのだから」
 
(バディ役のヒュー・ダンシーは、この映画の中ではアンへの報われない愛を演じたが、この映画が縁で、実生活では、クレア・デインズのハートを射止めて、相思相愛の仲だそうだ。)

結ばれることのなかった、愛であった。
成功しなかった、夢があった。
完璧に母となれなかった、後悔もあった。
どこか、ほのぼのと、しかし悲しく切ない。
かなえられなかった様々な出来事を、人生の終わりに思い出す女性アンと、そんな母を見つめることによって、自分たちの、人生を見つめなおす娘たちを包み込むような優しい視点で、ラホス・コルタイ監督は描いていく。

夕焼けの海に白いヨットが浮かぶ、幻想的な夢のシーンや、土砂降りのニューヨークを舞台にした再会のシーンなど、印象的な美しい名場面は、映像詩を思わせて素晴らしい。
繊細なタッチの音楽も、なかなかよい。
アメリカ映画 いつか眠りにつく前に は、二組の実の母娘の演技に注目だ。
この世代の女性たちの、後悔と切望と癒しが何処まで描ききれたか・・・。