人の世のひずみやゆがみを連環させる、四つの物語が描かれる。
「長江哀歌」(06)以来7年ぶりに手がけた、ジャ・ジャンクー監督の長編劇映画だ。
中国で起きた四つの事件を基に、4人の男女がそれぞれの凶行に至るまでの物語だ。
この作品は武侠映画と一脈通じるものがあり、地方都市を舞台とする新作は、「長江」よりさらにダイナミックに時代のうねりを凝視し、市井の人々の思いに心を寄り添わせている。
強者と弱者、社会の狭間に生じた歪みに落ち込む人たちがいる。
しかし、彼らは懸命に生きようとしている。
ジャンクー監督は、爆発する彼らの感情を掬い上げ、ついには罪に手を染めてしまう人間を力強く描写することで、今を生きている人間の息づかいを伝えている。
山西省に暮らす炭鉱夫のダーハイ(チャン・ウー)は、村の共同所有者だった炭鉱の利益が同級生の実業家に独占され、村長はその口止めに賄賂をもらっているのではないかと疑い、大きな怒りを抱いている。
このことが、やがて猟銃発砲事件へと発展する。
重慶に妻と子供を残して出稼ぎのため村を出たチョウ(ワン・バオチャン)は、正月の母親の誕生祝いに合わせて帰郷する。
出稼ぎとはいえ、チョウは各地で強盗を繰り返して、大金を妻たちに仕送りしていたのだ。
妻はそのことに気づいていた。
夜行バスで湖北省イーチャンに到着したヨウリャン(チャン・ジャイー)は、恋人のシャオユー(チャオ・タオ)と待ち合わせの場所に行く。
二人はもう何年もの付き合いになるが、ヨウリャンには妻がいた。
シャオユーは勤務先の風俗店で受付嬢として働いていたが、ある日二人の男が訪れ、彼女に娼婦まがいの行為を執拗に迫る。
そして殺人事件が起きる。
シャオユーの恋人ヨウリャンが工場長を務める、広東省の縫製工場で働く青年シャオホイ(ルオ・ランシャン)は、勤務中のスタッフに怪我を負わせたことから、逃げるように仕事を辞めてしまった。
より高給な仕事に就くために、高級ナイトクラブで働くことにした。
その店で彼は、列車の中で偶然乗り合わせたしっかり者のホステス、リェンロン(リー・モン)と出会い恋をする。
だが、彼女には誰にも告げていない秘密があった・・・。
山西省の男と湖北省の女の話は、尊厳を奪われた弱者の最後の抵抗による殺人を描いている。
重慶の男と広東省の男の登場する話は、どうやっても被搾取階級から這い上がることができないと、絶望した者の強盗と自殺をそれぞれ取り扱っている。
華北の山西省から始まって、重慶、湖北、広東と反時計回りに半円を描いて移動していくこの映画の舞台は、光り輝く中国の暗い影としての農村であり、あるいは農村から出稼ぎにきた若者を、絶望の渕に突き落としていく魔界といえる。
この四つの物語は場所を移しながら、さりげなくしかし巧みに連環をなしていく。
そして、今という時代の流動性と社会性を映し出している。
人は社会に追いつめられ、自分に残されてされている暴力という力に訴える。
希望を奪われ、尊厳を踏みにじられたとき、立ち向かうとすれば自滅しかないのだ。
ジャ・ジャンクー監督の中国映画「罪の手ざわり」は、現代中国の断片を捉えたどれも殺伐とした事件ばかりで、ひりひりとした痛さが伝わってくるが、それは、ざらざらとした荒削りの社会そのものを象徴しているような感触だ。
格差や不平等に苦しみながら生きる人々の、いかに多いことか。
いま奇跡的に経済発展の内にある中国で、人間性を奪われ、普通の人の生活さえもできない人たちの、この不穏な物語から目を離すことができない。
・・・ああ、無情とは、こういうことだろうか。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
一度生まれた[違い]が,本人にはどうにもならないのが[格差]と呼ばれています。日本はこのまま格差を拡大させていく社会でよいものでしょうか・・・。
人間、自分の意志で生まれることができませんものね。
格差社会、これはもう個人ではどうにもできないこと、政治が変わらねば・・・。
といって、今の内閣には無理でしょう。