人間の虚飾と欺瞞を描く、3時間16分の大作である。
チェーホフの短編「妻」をもとにした、人間の心の底を深くえぐる作品で、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した、まことに濃密な人間ドラマだ。
トルコ映画界の巨匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は、カンヌ国際映画祭ですでに2回のグランプリと監督賞を受賞し、満を持しての最高賞受賞となった。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は、ため息のでるような映像美とともに、世界遺産の地カッパドキアを舞台に、人間が抱えるいつ終わるともしれぬ葛藤のドラマを作り上げた。
イスラム教と世俗主義が、微妙にバランスを保つ社会を背景に・・・。
ジェイラン監督の作品が、日本国内で公開されたのはこれがはじめてである。
世界遺産、トルコのカッパドキア・・・。
初老の主人公アイドゥン(ハルク・ビルギネル)は、その山裾の小さなホテルの経営者だ。
彼は元俳優で、新聞にエッセイなどを寄稿し、資産家として何不自由なく暮らしている。
ある日、アイドゥンの乗った車に石が投げられた。
犯人は少年だった。
少年の一家はアイドゥンの貸家に住んでいたが、家賃を滞納して財産を没収され、父親イスマイル(ネジャット・イシレル)が侮辱を受けたことに対する復讐であった。
このことをきっかけに、アイドゥンの周囲で全てが揺らぎ始める。
離婚して実家のホテルに戻ったアイドゥンの妹ネジラ(デメット・アクバァ)は、兄のエッセイを感情的だといって批判する。
また、若く美しい妻ニハル(メリサ・ソゼン)は夫そっちのけで慈善事業に没頭し、夫の忠告に反発して離婚すると脅しにかかる始末だ。
まるで時が止まったかのような、ホテルの中で繰り広げられる葛藤をあとに、アイドゥンは家を出ていくのだったが・・・。
辺り一面を白く染める雪のモチーフ、さらにシューベルトのピアノソナタ第20番の旋律とともに、裕福なもの、そうでないもの、西洋的な世界とイスラム的な世界、男と女、老いと若さ、エゴイズムとプライド、愛と憎しみの中で、様々な普遍的な要素が対峙されていく。
壮大なカッパドキアの風景とうらはらに、ホテルの部屋には閉塞感だけが満ち、人を赦すこと、愛すること、解り合うことが、こんなにも困難なことであろうかと思わしめるドラマを、精緻で深い演出によってまざまざと見せつける。
人間の心の秘められた部分をえぐり出しながら、かつ、濃密に増幅されていく会話劇が、ぐいぐいと観客を引っ張っていく。
こちらが叩きのめされてしまいそうだ。
人間のエゴイズム、耐え難い孤独が剥き出しにされる。
血のつながりのある肉親でも、自分にとっては脅威となり、愛する妻さえも理解不能で愚鈍な他人となる。
これって、結構誰にでも起こりうる普遍的な人間ドラマではないか。
貧困に苦しむ男イスマイルが、アイドゥンの妻ニハルから贈られた札束を無表情に燃やしてしまう場面など、印象に残る骨の髄までこたえる重要なシーンだ。
人間が人間と向き合う。
緊迫した室内の対話劇と、カッパドキアの建築群や草原といった開かれた外景が、濃密で痛苦きわまりないドラマを演出する。
主人公アイドゥンの心の旅路に目を見張る想いだ。
膨大な量の台詞の応酬が凄まじい。
少年の父親役のネジャット・イシレルの存在感も強烈だ。
トルコ・フランス・ドイツ合作映画「雪の轍(わだち)」は、長尺のドラマだが、「洗練された知性」は最後まで飽きさせることはなく、さすがに見応えのある傑作である。
人の心を突き動かすものがある。
巨匠の作品、観て決して損はない。
[JULIENの評価・・・★★★★★](★五つが最高点)
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貧困と格差がここでもメインテーマに取り上げられるのですね。
ここまでの映画が、日本で作られないのは淋しいことです。
世界のレベルは、このあたりまで行っているということでしょう。