・・・誰にも、本当のことは語らないで・・・。
ファッション・デザイナーとして知られるアニエスベーが、本名アニエス・トゥルブレで初監督した、デビュー作だ。
どこの国にでもある、同じような日常、平凡な日常、その中流階級の家族の日常に潜む「破綻」がある。
その「破綻」が、少女の家からの脱出というドラマを生む。
日常における「非日常」が、ある日突然旅になる。
何気ない海辺の風景、石の壁、歌、火、空・・・、それらが紡ぐ詩情の中に、傷ついた少女と男性はさすらう。
そこには束の間の自由がある。
しかし、それが何故こんなにも切ないのか。
洗練された斬新な映像が、どこか不思議な希望に満ちている。
1 0年以上前に読んだ新聞記事から着想して、アニエス自身がみずみずしい脚本に仕立てた作品だ。
主人公のセリーヌ(ルー=レリア・デュメールリアック)は、父親(ジャック・ボナフェ)から虐待を受けていた。
ある日、学校の自然教室としての遠足に出かけた海辺で、偶然停まっていたトラックに乗り込んでしまう。
そして、人の好さそうなスコットランド人の長距離トラック運転手(ダグラス・ゴードン)とともに、逃避行の旅に出る。
フランス語を話すセリーヌと英語を話す運転手の男、二人は言葉がうまく通じないが、次第に心を通わせていく。
奇妙なロードムービーの始まりだ。
行く先々でいろいろな出来事に出合うが、トラックの運転手はセリーヌの両親とは反対に自由な人であり、強制したりすることもなく、彼は純粋な心でこの少女を愛するようになる。
少女の母親(シルヴィー・デステュー)らは、捜索願まで出してセリーヌの行方を追い、ある港町にいるところを突き止める。
少女は保護され、運転手の男は逮捕される。
男は何も話をしようとしない。
そして、このドラマの終盤で、あっという思いがけない悲劇が訪れる・・・。
12歳の少女と初老のスコットランド人男性との偶然の出会いで、不思議な光を放つ作品だ。
悲しすぎる日常と予期せぬ旅の過程で、二人は親密さを増していく。
様々なカメラで撮影された、異なる映像のテクスチャーでスケッチを重ねていく。
少女の家出には、はっきりとした理由がある。
父親の虐待だ。
それは何であったのか。ドラマを見ているうちにわかってくる。
ドラマの中ではっきりした表現は使っていないが、セリーヌは父親から受けた虐待から逃れられないでいる。
運転手の男は、純粋な気持ちで少女に接している。
だが、警察も家族もそうは思っていない。
母親は何かを知っている。
父親はどうしようもない男みたいで、少女の捜索に奔走する。
少女は名前をきかれても、「わたしの名前は・・・」というだけで本名を話すことはない。
言いたくないほどの、深い傷を負っているのだ。
フランス映画「わたしの名前は・・・」は、珠玉のみずみずしさを感じさせるピュアな作品だが、アニエス監督の初監督作品でもあり、描写不足の未熟な面も見える。
でも、まるでおとぎ話のようなこの物語には、共感を覚える。
画面も綺麗で、いつかは終わる男と少女の旅には哀愁が漂い、二人のドラマの終わりまでどうしようもなく切ない。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回はイタリア映画「カプチーノはお熱いうちに」を取り上げます。
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ただ、終わりにもすぐに忘れられるものと、いつまでも記憶されるものとありますね。
勿論、忘れるはずのないラストシーンもあるのですが・・・。
忘れないシーン、忘れているシーンも。
ええ、そういうことってあるんです。