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徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」―“知の巨人”と“自由の愛のミューズ”はいかに生きたか―

2012-02-09 23:00:01 | 映画




       ジャン=ポール・サルトル
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの、半生が描かれる。
       二人はともに、世界中の若者たちに大きな影響を与えた作家であり、哲学者だ。
      そこには、新しい愛のかたち、そして知られざる愛の物語があった。
 
      
      輝かしいパリと、その時代を彩る作家たちの中にあって、この二人がどうして出会い、理想のカップルとして生きたか。
       イラン・デュラン=コーエン監督フランス映画は、1929年のパリから始まる・・・。








    
1929年、ソルボンヌ大学に通うシモーヌ・ド・ボーヴォワール(アナ・ムグラリス)は、学内で天才とうわさされるジャン=ポール・サルトル(ロラン・ドイチェと知り合った。

サルトルは、ボーヴォワールの聡明さに一瞬にして恋に落ち、自ら彼女を理想の女性だと宣言する。
はじめは警戒していたボーヴォワールも、サルトルの中に自分と似たものを見出し、ともに一級教員資格を目指して勉強に励むようになる。
試験は、サルトルが首席で、ボーヴォワールは次席で、しかもボーヴォワールは歴代最年少の合格だった。

サルトルは、ボーヴォワールが訪れている田舎町に彼女を追いかけ、そのサルトルにボーヴォワールは感動した。
彼女は、両親の目を盗んで、サルトルと一夜を共にする。
ボーヴォワールは、自分の父が、母をまるで召使のように扱うことに疑問を感じていて、彼女は、家を出て哲学の教師として働き始めていたサルトルと暮らすことを決意する。
そんな時、母親から結婚話を押しつけられていた親友ローラ(レティシア・スピガレッリ)の死に接する。
ローラの亡骸と対峙したボーヴォワールは、ブルジョワ階級の持つ独善的な倫理観とカトリック独特の道徳を、心から憎んだ。

サルトルとの生活が始まって、ボーヴォワールは思ってもみなかった提案を受ける。
それは、お互いに将来も含め、愛し合いながらほかの関係も認め合うという“自由恋愛”で、しかも他の関係についても、嘘偽りなくすべて報告し合うというものだった。
サルトルの、作家には刺激が必要だからという主張は、ボーヴォワールもはじめ納得できなかったが、ごまかしに満ちた小市民的な結婚ではない、“契約結婚”という説得に、それを受け入れることにした。
結婚か独身しか、女性にとって選択肢がない社会の伝統に、ボーヴォワールは疑問を抱いていたのだった。
しかし、それが実はボーヴォワールにとって、深い苦悩の始まりなのであった・・・。

ジャン=ポール・サルトルは、1966年にボーヴォワールとともに来日し、当時の学生運動の理想的なバックボーンとして、絶大な人気を誇った。
またボーヴォワールも、1949年に実存主義の立場から女性を論じた「第二の性」を発表すると、当時の社会通念を根底から揺り動かし、賛否両論の大きな反響を呼んだ。
それは、70年代以降に広がりを見せた、革新的な女性解放運動の先駆となるものだった。
ボーヴォワール自身も、女性の幸福のために、それまでの社会の因習や偏見と闘い、自由恋愛から同性愛まで、現在における新しい愛の形を実践した。
これは画期的なことだった。

ボーヴォワールの、「女は女として生まれるのではなく、‘女’になるのだ」という言葉はあまりにも有名だ。
人間は自由であると説く、サルトルの「自由の哲学」こそ実存主義であって、それは、第二次世界大戦の荒廃から立ち上がって、新しい時代へ向かう、希望に満ちたフランスのみならず、世界中に熱狂的に受け入れられたのだった。
イラン・デュラン=コーエン監督フランス映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」は、世紀のカップルとして世界的に知られた二人の、作家であり哲学者の、青春時代から成功までの物語である。
1930年、40年代のフランスを舞台に、主にボーヴォワールの視点から描かれているのが特徴といえそうだ。

サルトルボーヴォワールも学校ではエリートであり、因習や既成の概念を無視して、アナーキーともいえる行動と思想を展開したところは、まことにユニークだ。
サルトルたちは、パリのサンジェルマンのカフェを根城にして、隣り合ったテーブルに座って、煙草をふかしながら、休む間もなく語り、書き続けた。
そのすぐ近くに、戦後になって彼らが拠点を移したカフェ・ド・フロールという店があり、この作品の原題「フロールの恋人」はそこに由来するといわれる。

お互いに自由だ。縛られてはならない。
「僕たちの愛も必然的なものだ。でも偶然の愛も知る必要がある」として、他の女性たちと付き合うことも認めさせてしまったあたり、サルトルも調子のよすぎる男だ。
自由の哲学者として、必然を語るところが何ともおかしいが、二人は同時に別の約束も交わしていたのだ。
お互いに、絶対に隠しごとをしないことだった。
お互いの情事を含めて、すべてを包み隠さず、相手に教えるというのである。

そんなことで、後半生の彼らにはいろいろな波乱もあるのだが、二人は理想のカップルと称され、とにかく1980年のサルトルの死まで生涯の伴侶として、いまでいう“事実婚”のパートナーとして支え合ったのだった。
ドラマの内容には、哲学と愛といっても、タイトルほどの堅苦しさはなく、それどころか事実に裏付けられた物語として、この作品、知的で結構愉しい大人のラブストーリーだ。
ドラマには、アルベール・カミユポール・ニザン、フランソワ・モーリアックといった作家たちも登場する。
サルトル役のロラン・ドイチェが、あまりにも実際のサルトル(といっても写真でしか知らないが)と似ているのには驚いた。
ご存知かもしれないが、サルトルは1964年ノーベル文学賞に選ばれながら、これを辞退している。 
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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サルトル・・・ (茶柱)
2012-02-09 23:20:27
本を読んだこともありませんが・・・,名前だけはかねがね(笑)。

CMで聞いただけですけどw。
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この二人の・・・ (Julien)
2012-02-11 10:09:09
後半生は、いろいろと波乱があってドラマティックなのですが、それだけでも結構な‘物語’になります。(本作では少ししか触れられていない気がしますが、もっと色々なことがあるし、短い時間ではとても語り尽くされないでしょう。)
二人の世代や作品(著作)を知る人にとっては、なかなか面白い展開だし、もっと先を深く知りたくなります。
事実は小説より奇なりですし、それでも最後までお互いに善き理想的な伴侶たり得たことが、特に1900年代後半に生きた若い世代の人生観、結婚観に、まさに‘知的で決定的な影響を与えたことは、むべなるかなです。
ひと頃、大変な「第二の性」ブームでしたものね。はい・・・。
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2人の様な関係を目指してみたい (恭子)
2018-11-05 17:41:55
私は、ジャンポール・サルトル&シモーヌ・ド・ボーヴォワールの様な愛が全てと言う束縛しない自立した対等なfairな関係を目指してみたいと思っているのよ❤️😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘私に合っている生き方だと思っているのよ❤️
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恭子様・・・ (Julien)
2018-11-06 05:14:19
コメントを有難うございます。
この二人の関係、本当の大人の関係といいますか、理想を見事に結実させましたね。
恭子さんが共鳴できる素晴らしい関係を、今も目指していらっしゃるといいますが、是非理想を実現していただきたいものです。
深い愛があって、自由で束縛のない人生!
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