早いもので、桜の季節が、急ぎ足で去っていこうとしている。
瑞々しい若葉が、芽吹いている。
天変地異、相次ぐ哀しみのなか、穏やかならざる日々を過ぎて、時はもう若葉の季節である。
東日本大震災で、福島第一原発は、いま無残な姿をさらしている。
心配される放射能は、毎日漏出し続けている。
原発周辺には、10年、いや20年かそれ以上も住めない。
20キロ圏内は、「警戒区域」として事実上封鎖され、自由な立ち入りが出来なくなる。
震災で避難している人たちにも、大きな不安がじわじわと寄せてきている。
このほど公開された、マイケル・マドセン監督による、まさにタイムリーなドキュメンタリー映画だ。
デンマーク・フィンランド・スウェーデン北欧三国合作のこの作品、一見に値する。
「未来のみなさんへ」と題して、21世紀に処分された、放射性廃棄物の埋蔵場所について触れている、貴重な一編だ。
エネルギーを提供し続けた原子炉も、いつか必ず廃炉となる日が来る。
その日が来たら、どうするか。
そのまま、放置するわけにはいかない。
日本も、ご多分に漏れず、一時的な管理場所はあっても、いまだに確定した埋蔵場所はないのが実情だ。
原発から生まれる放射性廃棄物の危険について、ここには、北欧フィンランドでの対策が紹介されている。
現在、毎日世界のいたるところで、多くの量の高レベルの放射性廃棄物が、暫定的に集積所に蓄えられている。
その集積所は、自然災害や人災、社会的変化の影響を受けやすいので、フィンランドでは地層処分という方法を発案した。
それは、地下深く埋蔵する巨大システムだ。
フィンランドのオルキルオトというところで、世界初の高レベルの放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、着々と工事が進められているのだ。
そして、その巨大システムは、固い岩盤を削って作られる、地下の要塞都市のようなもので、放射性廃棄物を、10万年間は保持されるように設計されているのだそうだ。
この施設は、廃棄物が一定量に達した時は、封鎖され、二度と開けられることはない。
人間は、決して近づくことはできない。
日本には、福島第一原発をはじめ、54基もの原子炉がある。
日本は、核被爆国であり、名だたる地震国だ。
世界を見渡しても、この国に原発は馴染まない。
それなのに、どうしてこんなに多くの原子炉を必要としているのだろうか。
・・・ところで、地球は、果たして10万年後どう変わっているであろうか。
また、地球に氷河時代がやって来るとも、言い伝えられている。
人類は、どうなっているであろうか。
そんな、気の遠くなるような未来の時代に、誰が、そのようなシステムに放射性廃棄物が眠っていることを知り得ようか。
そのことを、誰が保証できるだろうか。
その頃、そこに暮らす人々に、その危険性について、確実に警告できる方法があるだろうか。
彼らは、それを私たちの時代の遺跡や墓、あるいは貴重な宝物が隠されている、神秘な場所だと思うかも知れない。
どんな人類が、生きているだろうか。
彼らは、現代の私たちの言語や思想や記号を、理解できるだろうか。
幾星霜、10万年の彼方に、忘れ去られていくことだろうか。
いや待てよ。
人類は、もしかすると滅んでいるかも知れない。(!?)
この映画は、多くの問題を提起している・・・。
マイケル・マドセン監督のドキュメンタリー映画「100000年後の安全」は、圧倒的な映像の美しさで、SF映画を観るように訴えてくる。
白い霧に覆われたような、映画のプロローグとエピローグは、現代の、荒廃しきった人類が去ったあとの地球を象徴するかのようだ。
深く、考えさせられるものがある。
私たち地球の、未来の安全を問いかけてやまない。
決して、観て損のないドキュメンタリー作品だし、多くの人に観て頂きたい。
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何もかもが姑息で、期待も展望も見えず、もう絶望的な状況ですね。
国民の怒りが、まるで分っていないのです。
福島を訪れて、避難の人々から罵声を浴びてもあっけら菅(かん!?)では・・・。
原発問題は、賛成派は巨大な利権を前にどんどん進めろと言い、反対派の運動はここへきて一層激しさを増しています。
「原発神話」は、もはや完全に崩れたのです。
いずれにしても、大きな余震や次の大地震の来る前に、一刻も早く、福島原発は穏やかな終幕を迎えてほしいものです。