徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

あの『銀の匙』の作家・中勘助展~生誕130年、没後50年~

2015-06-10 13:00:00 | 日々彷徨


  ―生きもののうちでは人間が、一番嫌いだった―(中勘助)
 空模様のさだかでない梅雨に入った。
 文学散歩は、神奈川近代文学館で開催中の中勘助展だ。
 中勘助は、1885年(明治18年)東京神田の生まれで、文豪夏目漱石に師事し、その漱石の賞賛を得て小説「銀の匙」東京朝日新聞に連載された。
1 913年(大正2年)のことである。
 この小説、岩波文庫のミリオンセラーだそうだ

「 銀の匙]は多くの読者の共感を呼び、ロングセラーとして現在も読み継がれている。
 近年では灘校教師の橋本武氏が、この小説1冊を使って行なった中学3年間の国語の授業が注目された。
戦後、教科書不足の時代、橋本氏はこの奇跡の(!)授業を実践し、残されたノートからは、教材作りにかけた彼の情熱がうかがわれ、このきわめて独創的な授業のあり方は、現在のスローリーディングのきっかけとして注目を集めているそうだ。









「銀の匙」
は、教材化の過程で中勘助が、質問を寄せた橋本氏への返信の一部も紹介され、またタイトルに使われた実在の銀の匙が、彼の遺愛品の一部として展示されている。
この小説は、子供のまなざしで描いた子供の世界で、子供の体験を子供の体験として、ここまで真実を描きえたことに、夏目漱石は「見たことがない」と絶賛したほどだ。
中勘助の表現は、幼い子供の心の、細かい陰影にまで入っていて驚かされるのだが、和辻哲郎氏も、勘助の描写は深い人生の神秘につながるものだとまで言っている。
一高、東京帝大で漱石の教えを受けた勘助は、作品の品格を褒め称えられる一方、誤字の多さに注意するよう促されるなど、漱石にいろいろと気にかけてもらっていた様子がよくわかる。

余談になるが、中勘助20代の作品「銀の匙」のほかに、「犬」「提婆達多」といった、とても勘助の作品とは思えない異質の傑作もあって、あらためて彼の才能のきらめきに嘆息するばかりである。
「中勘助展」7月20日(月)まで。
7月11日(土)に「銀の匙」朗読会(南谷朝子)、6月21日(日)、7月12日(日)にはギャラリートークなど記念イベントもある。
中勘助は文壇を嫌って孤高の道を歩み、日々の暮らしと内省を綴った日記体随筆などの執筆を続けたが、この企画展では、彼の文学と知友の人々との交流の様子が、貴重な資料によって紹介されている。
中勘助と聞いて、そう、もう一度彼の作品を読み返してみたくなるではないか。