家族の絆を、誰にも壊されたくない。
それが昂じるとどうなるか。
このドラマで描かれるのは、父親の「妄執」だ。
名前もない子供たちは、その閉鎖的な家庭で育った。
一家の運命は、やがていやが上にも狂い始める・・・。
ヨルゴス・ランティモス監督の、珍しいギリシャ語によるギリシャ映画である。
ある裕福な家族の奇妙な生活は、破綻に向かっていく。
この不条理きわまりないドラマは、アート・サスペンスとも言えそうだが、前衛的で‘偏屈な’猛毒を含んだホームドラマのようだ。
鑑賞の後味がよいとは思えぬ、代物だ。
異色作には違いないが、常識論では理解の難しい作品だ。
ギリシャ郊外にある、ある裕福な家庭・・・。
一見普通に見えるこの家で、成長した息子一人(クリストス・パサりス)、娘二人(アンゲリキ・パプーリァ、マリア・ツォニ)を持つ両親が、子供たちを家の外には、一歩も出させずに育てている。
その上、この家には世間に通用しない奇妙なルールがある。
そのルールを、いかにも健全であるかのように、父(クリストス・ステルギオグル)と母(ミシェル・ヴァレイ)が、子供たちに厳格に教えているのだ。
だが、そんなことが健全であるはずがない。そこには、正常なものは働いていない。
たとえば、邸宅の四方に高い塀をめぐらせ、子供たちには「外の世界は恐ろしいところ」だと、徹底して信じ込ませているのだ。
一家の生活は、全く普通のものとは言えなかった。
それでも、子供たちは純粋培養の中で、すくすくと成長し、幸せで平穏な日々が続いていくかのように思われた。
しかし、ある日、父親が年頃の長男のために、外の世界から、クリスティーナ(アンナ・カレジドゥ)という女性を連れてくる。
彼女の登場によって、この時から子供たちの心に、思いもかけぬさざ波を起こしていくのだった・・・・。
父親の「妄執」により、振り回される子供たちの生活を描きながら、人間の怖さやエゴイズム、微細でも極限に迫る心理描写は、狂い始める一家の運命を綴って空恐ろしく(!)さえある。
この作品には、かなり無理もある。
全体の描写が粗っぽく、かなり独りよがりだし、ドラマの展開や場面の転換にも一工夫あってしかるべきだ。
したがって、いろいろと問題点もある。
男の子の性的欲求も含めて、彼ら夫婦が、どうしてあのような子育てをしようと決意したのか。
その背景は、全く描かれていない。
一般社会と隔絶し、テレビ、ラジオ、新聞もない、友達もいない、外界と全く遮断された小さな世界・・・。
家族だけという完璧な世界で、子供たちが大きくなるにつれて、ともに不都合な状況が生まれてくることは当然のことだ。
このヨルコス・ランティモス監督のギリシャ映画「籠の中の乙女」は、カンヌ、アカデミーほかの世界各地を震撼させ、それはあたかも‘現代の神話’みたいだが、ぞっとするような狂気の妄想に、逆に不快の念も禁じえない。
ドラマのラストは、悲劇の予感だ。
この作品の理解は、観客の想像に委ねられているといってもいい。
鑑賞者にもよるだろうが、体中が凍りついてしまいそうな驚愕を覚える作品だ。
昨今のギリシャ危機で、この共和国の映画人、文化人はどんどん海外に流出していく中にあって、ここに登場した新鋭ランティモス監督への期待だけは大きいようだ・・・。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)