いまの日本は、少子高齢化が急速に進んでいる。
それに伴って、認知症の介護に携わる1000万人以上人々が、様々な介護の現場でこの問題と向き合っている。
この作品、“タンゴのステップ”が、離れかけた認知症の父と娘の心を再び繋いでゆくという物語だ。
ドラマは、実際のエピソードをもとに描かれている。
老年精神医学を本来専門とする、精神科医の和田秀樹監督作品だ。
あるひとつの家族を通して、現在の日本の介護社会の問題を浮き彫りにする。
認知症の新たな緩和法として、ここではアルゼンチンタンゴの音楽療法を取り上げている。
いわゆるタンゴの映画ではない。
和田監督は、これからの介護のあり方に一石を投じた。
それにしても、アルゼンチンタンゴが、認知症の患者にとって、体と脳を動かすことや気分をよくすることで、海外ではすでに「タンゴセラピー」としての高い評価を得ているとは、ちょっと驚きである。
百合子(秋吉久美子)は、子育てを終え、自らの長年の夢である大学教授への道を歩き始めようとしていた。
百合子の父・修治郎(橋爪功)は元大学教授で、妻の葬儀を終えたばかりで悲しみの日々を送っていた。
その修治郎が、ある日、痴漢行為で警察に保護された。
百合子は、そんな父の異変を心配して、修治郎を病院へ連れて行った。
そこで、思いがけないけない事実を知らされた。
修治郎は認知症を患っていたのだ。
周囲の不安をよそに、修治郎は万引き事件や痴漢行為など、相変わらず警察沙汰の事件を繰り返すのだった。
手に負えなくなっていく、修治郎の言動や行動に対するストレスから、家族の間には些細な衝突が増え、その関係は次第に荒んでいく。
病気への不安と、介護という現実に向き合って、離れ離れになっていく家族・・・。
折しも、亡くなった母の葬儀のために、アルゼンチンでタンゴダンサーをしている百合子の妹・実可子(冴木杏奈)が帰国していた。
そして、認知症治療にタンゴのステップが効果を発揮するという情報から、デイケアの介護施設で実可子を講師に招き、タンゴのレッスンをリハビリの一環として取り入れることになった。
修治郎もこのレッスンに参加するようになり、アルゼンチンタンゴを習い始めた。
初めは、見よう見まねで始めたタンゴだったが、ステップを踏むうちに、修治郎の表情に変化が訪れてくるのだった。
そんな父の姿を見た百合子もまた、介護によって諦めかけていた自分の夢と、再び向かい始めた。
デイサービスで出会った、仲間たちとともに・・・。
施設では、タンゴダンスパーティーも催されることが決まり、見るからに生き生きと踊る修治郎の姿が、離れゆく心をつなぐ父と娘を描いて、それは再び歓びへと変わっていく・・・。
タンゴのリズムが、人間の中枢神経によいらしいことは、知られている話だ。
この作品で扱われている「認知症」では、修治郎が急に不機嫌になって暴れたり、女性の体にしつこく触ったりする。
症状が進むととても厄介で、言い知れぬ不安や恐怖が生じ、本人はもちろん家族の怒りや悲しみも大きい。
確かに、病気や介護が無くなることはないが、ダンスの中でイメージを実現したり、鬱積した感情を吐き出したり、心が解放される場と時間が約束されるとみられている。
効果に、期待できるものがあるということだろう。
和田秀樹監督の映画「『わたし』」の人生(みち) 我が命のタンゴ」は、「ダンス・セラピー」の効能まで踏み込んだドラマだ。
修治郎を演じる橋爪功が、上手い演技を見せている。
いつかわが身にもと思うと、ここで扱われる問題は決して他人ごとではない。
この作品は、認知症介護の問題をとりあげた、社会派のドラマといったらよいか。
タンゴを踊る場面での、アルゼンチンタンゴならではのバンドネオンの演奏が聴かれなかったのが淋しかったが・・・。
ここは、精神科医師の和田秀樹監督だから描けた希望のドラマで、タンゴとの出会いが父と娘を変えたように、だからといって介護の世界でこのように全てがうまくいくかどうかはわからない。
明日へ向っての、家族の絆と明るい希望を描いた小品ともいえる。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)