徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「クロッシング」―果たされなかった約束―

2010-05-21 10:30:00 | 映画

生きるがために、命がけで国境を超えていく人々がいる。
国家とは何か。
人間とは何か。
世界唯一の分断国家、それが韓国と北朝鮮だ。
これは、その北朝鮮からの脱北者のほんの一例を描いている。
キム・テギュン監督韓国映画である。

1996年以降、北朝鮮では、苛酷な食糧危機で、300万人以上の人々が餓死したといわれる。
北朝鮮の住民たちは、家族の死を目の当たりにし、死線をさまよいながら、住み慣れた故郷・国を捨てて、国境を超える。
北朝鮮にいる彼らが、どのような生活をし、何故脱北せざるをえないのか。
生きるために、別れるしかなかった家族の悲劇を通して、この作品は究極の脱北者を描きつつ、かつ北朝鮮の惨状を忠実に描き、北朝鮮の現実に最も近い映画といわれるだけに、物語にはリアリティがある。
実際に、キム・テギュン監督は、100人近い脱北者の取材をもとに、中国へ渡った父子の悲劇を綴った人間ドラマだ。



北朝鮮の炭鉱の町に、三人の家族がいた。
元サッカー選手のヨンス(チャ・インピョ)は、妻ヨンハ(ソ・ヨンファ)と一人息子のジュニ(シン・ミンチョル)とともに、貧しいけれども幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、ヨンハが肺結核で倒れてしまった。
北朝鮮では、風邪薬を入手するのも困難で、ヨンスは薬を手に入れるため、危険を顧みず中国に渡ることを決意する。

決死の覚悟で国境を越え、身を隠しながら、ヨンスは薬を得るために働いた。
脱北者は、発見されれば容赦なく強制送還され、それは死をも意味していた。

その頃、北朝鮮では、夫の帰りを待ちわびていたヨンハが、ひっそりと息を引き取る。
孤児となったジュニは、父との再会を信じ、国境の川を目指した。
しかし、脱北に失敗し、無残にも強制収容所に入れられてしまうのだ。

韓国に到達したヨンスは、すぐに息子探しを依頼する。
仲介者から、ジュニは中国の国境を越え、モンゴルの砂漠へ脱出したとの報に接する。
・・・だが、息子との再会にかける、ヨンスの必死の願いは空しかった。
広大な砂漠に星降る夜、ジェには、父と遊んだサッカーの夢を見ながら、眠るように死んでいく・・・。

引き裂かれる父子の、壮絶な旅路が描かれる。
北朝鮮の人々の生活は淡々と描かれているが、実際こうなんだろうなと思われる説得力がある。
でも、描き方といい、映像といい、やや荒っぽさのあることは否めない。
脱北と聞いただけで、もう大変なことだ。
空腹、絶望、緊迫感、生き別れ、死・・・、人間がこの世で経験するであろう苦痛のすべて、彼らのあまりにも苛酷な辛い心情を表現するのは容易ではない。

映画の背景は北朝鮮だから、自然と背景も北朝鮮になる。
この国の背景の徹底した考証には、努力のあともうかがわれる。
そして、北朝鮮の人々が、どのように生き、どのように死んでいったのか。
映画で、その一端を知ることができる。
彼らの、いや日本に住む者が、隣人の未曾有の苦難と悲しみを知ることができる。
想像を絶する人間弾圧が、現在もこの国で行われている。

しかし、世界も日本も見て見ぬふりをしているのか。
手をこまねいているだけでは、何も始まらない。
この韓国映画、キム・テギュン監督「クロッシング」は、徹底してノンフィクション文学に近い表現方法をとっている。
分断国家、そう聞いただけで、生き延びるということがいかに困難か。
極限状況の中で、生きようとする人間が壊れていくのだ。
この現実から、目を背けてはならない。

現在でも、苛酷な食糧難から、国境を越え脱北者となる人はあとを絶たない。
その数20万人以上、日本にたどり着いた脱北者も200人に達するといわれている。
2002年、中国の日本領事館に、脱北者の両親と子供5人が駆け込もうとし、中国人警官によって引きずり出された映像は記憶に新しい。
恐怖に立ち竦む少女と、必死に警官を振り切ろうする母親・・・。
それをただ傍観するだけの日本領事館職員の姿は、いまの日本の象徴ではないか。

映画「クロッシング」は、同じ年に起きた、脱北者25名がスペイン大使館に駆け込んで、韓国亡命に成功した事件をモチーフに極秘裏に製作され、2008年6月政権交代後の韓国で上映された。
日本人拉致被害者の問題も、一向に進展のきざしがない。
彼らは、何度も救いに来てくれと、祖国日本をどんなに呪詛していることだろうか。
現実問題として、私たちの心を揺さぶらずにはいない、極めて上質な、しかし悲しい社会派ドラマである。