徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

昭和の旅人 城山三郎展―文学散歩―

2010-05-18 06:00:00 | 日々彷徨

爽やかに晴れた五月のある日、元町通りの商店街を抜けて、少し急なレンガの坂道を登っていった。
この坂、見尻坂というらしい。
外人墓地に沿って、港の見える丘公園、イギリス館前のいまが盛りのローズガーデンを横切る。
朝まだ早い内から、大勢の人たちがカメラのシャッターを切っていた。
大佛次郎館の前を行くと、もうそこは神奈川近代文学館だ。
幾度も通いなれた道であった。

6月6日まで、「昭和の旅人」と題して、城山三郎展を展観している。
2007年に亡くなるまで、「落日燃ゆ」「男子の本懐」など、気骨ある日本人の姿を描いた彼が世を去ってから、早くも3年の歳月が過ぎ去った。
いま、その作家生活を俯瞰すると、この作家の眼差しは、人々の暮らしに向けられていたことを知らされる。

城山氏は、資料や取材によって、相手の生まれたところからじっくりと訊ね、問いかけを繰り返しながら、相手の人生の中を旅をする。
それは、城山流の「人間を読む旅」なのだった。
静かに行く者は、健やかに行く。
健やかに行く者は、遠くまで行く。
死去2年前の記述である。(人生の信条)

信じたものに裏切られ、くだかれる一方、世相が一夜で逆転する戦後を生きつつ、城山三郎は、死におくれた人間の負い目を心の底に刻んでいったといわれる。
平成18年、死の前々年の手紙とともに、こんな自筆メモでの文句がある。
 「ふわり、ふわふわ、ふうらふら・・・」
 「孤独と死を受けとめて、抗わず、良くも悪くも開きなおる。
 何事にも煩わされず、心地よく生きていこう」と、自分に言い聞かせるような言葉を残している。

城山作品の原点には、作家自身の悲惨な軍隊の体験があって、人の幸福や志が、組織の大義によって損なわれてはならないという、強い思いがある。
そこから、組織のありかたやリーダーたるものの資質をも、生涯問い続けていたのだった。

視界ゼロの時代、逆境の時代をどう生きるかといった、男の生き様を描き続けた作家は、人間の真の魅力とは何かを問いかける。
晩年、妻に先立たれた城山三郎は、最愛の伴侶との日々を描くことに、最後の力をつくした。
没後、仕事場に置かれた草稿をまとめて出版されたのが、「そうか、もう君はいないのか」だった。(一部解説より)

自らも受賞している直木賞の選考委員をしていたが、自己にも他者にも厳しかった彼が、作品の選考過程に疑問を感じて委員を辞任した話は有名だ。
あれも、作家の気骨だったのだろう。

静かな館内で、ゆっくりと歩を止めて熱心にメモをとりながら、原稿用紙を食い入るように見つめている若い女性がいた。
そうかと思うと、いろいろと造詣が深いのか、ひとりがもうひとりに、さも訳知り顔で、得意になって、ぺちゃくちゃ解説をしながら展示に見入っている二人連れの紳士がいた。
もう少し、静かにしてくれといいたかった。
こういう人は、博物館や美術館に行くと、いつも必ずいるんですね。

・・・ともあれ、いつもながら、作家の生涯をこうして俯瞰するとき、その人の非凡な才能とともに、強靭な作家魂を見せつけられる思いだった――
外に出ると、照りつける強い日射しは、もう夏であった。