落ち葉が、木枯らしに舞っている。
師走の声を聞くと、もう年の瀬がひたとひたと迫ってくる。
妄言、方言、失言と、非難合戦の続いた臨時国会が閉幕した。
菅総理が掲げた、政策の「熟議」は芽を出したばかりで、成果と呼ぶには程遠かった。
法案の成立率は、この10年で最低の37.8%だった。
民主党菅政権は、相変わらず、カネの問題、大臣の資質や品格、審議とは全く関係のない失態ばかりが目立った。
そのため、「熟議」に及びつかぬままだったのだ。
内閣支持率は凋落の一途で、いまの菅総理には、覇気も勢いも感じることができない。
この内閣の活路、いったいどこに見出せばいいのだろうか。
呆れることばかりである。
官房長官らの問責決議案が出され、さらには身内からも非難の声が上がっていても、居座りを続けている。
辞めるといったかと思うと、いや辞めないと迷走している。
決議案が出たからといって、即辞任というのではどうもまずいとでも思ったのだろうか。
しかし、自身も、さすがに続けられるとは思っていないのではないか。
野党はあくまでも辞任を迫る考えのようだから、そうでもないと、来年1月からの国会審議が立ち行かなくなる恐れもある。
もしそうなれば、間違いなく政権は立往生だ。
困ったことに、「何をやればいいのか、分からない」というのが、菅総理の胸の内のようだ。
やりたいこともないのに、首相だけはやりたいというのか。
どうも、はっきりしない。
官房長官の辞任問題をつつかれても、今はとにかく先延ばしをするしかないようだ。
まさに今でさえ、政権運営がもう立ち行かなくなっていることは、誰の目にも明らかだ。
確たる、主義主張があるわけでもない。信念も見えてこない。
自分の保身だけしか、眼中にないのではないか。
たとえ、内閣支持率が1%になろうとも、石にかじりついてでも政権を手放さないとまで平然と言ってのけた。
失政など、何とも思っていない。少なくともそう見える。
権力の上にあぐらをかいて、ただ一日でも長く居座る宰相でいいというのだろうか。
たわけた話である。
民主政権は、政権崩壊への道をたどっているのではないか。
そんな気までしてくる。
そうなると、国民はは哀れだ。
今年9月の民主党代表選挙以来、政治は狂いっぱなしだ。
政権の浮揚はおぼつかなく、グズグズとモタモタばかりが目について、近頃の菅総理の目は空ろで、宙をさまよい続けているように見える。
現実問題として、支持率が1%になったら異常事態だし、、首相などやっていられるわけがない。
国民のほぼ全員が、「辞めてくれ」と訴えていることになるのに、「辞めません」では、民主主義なんてどこかへ吹っ飛んでしまう。
冗談にもほどがあるというものだ。
ふと、権力の亡者という言葉を思い出した。
鉄面皮な政治家(政治屋?)の暗愚と、よもや心中してもいいなどという国民はひとりだっていないはずだ。
民主党は、‘反菅’だとか‘親菅’だとか言っている場合ではない。
挙党一致で出直す覚悟がなかったら、政権はもはや存亡の危機である。
ねじれ国会だからこそ、与野党はいたずらに対立するばかりでなく、いつも粘り強く話し合うことを忘れてはいけない。
民主党はまだまだ未熟だし、自民党も野卑でお粗末だし、ともに政策については、もっともっと「熟議」を尽くしてほしいものだ。
…内閣崩壊の危機をはらみつつ、越年を迎えることになる。
厳しい年の瀬、厳しい年明けになる。
ここは、しっかり覚悟が必要だ。
参議院の予算委員会が、荒れ模様だった。
北朝鮮が、突如韓国の大延坪島(テヨンピョンド)を砲撃した。
この時の情報をめぐって、日本政府の対応の甘さが取り上げられた。
北朝鮮が砲撃を開始してから、2時間以上もたってから菅総理は官邸に入った。
その間の70分間については、官邸は閉ざされたままもぬけのからで、人の気配がなかったといわれる。
官邸に報道記者がつめかけた時には、菅総理の影も見えなかったそうだ。
よりによって、こんな時に誰もいないとは・・・。
菅総理の話によると、公邸で砲撃のニュースを見ていたのだそうだ。
そのとき、大変なことが起きたとの認識はあったという。それはそうだろう。
このときは、実は、仙石官房長官に対する問責決議案への対応などについて、国対委員長代理らと話し込んでいた最中だったらしい。
ともかく、そっちの方で頭の中はいっぱいだったようだ。
官邸で待ち構えていた記者団にも、北に対する非難などはなく、海の向こうの話で、もう拍子抜けの感じだったそうだ。
ところが、この降ってわいた北朝鮮の暴挙で、問責決議案などどこかへ吹っ飛んでしまったというわけだ。
官邸に入ってからの動きも鈍く、関係閣僚が招集されたのは、夜9時過ぎであった。
仙石長官が、韓国の立場を支持するという声明を発表したのは、砲撃から6時間後のことだった。
アメリカは、事件が起きてから3時間後には、現地時間の朝4時半に異例とも思える声明を発表しているのだ。
それに比べると、日本はのんきだ。(?!)
危機管理の問題よりも、政権浮揚につながる問責決議案の方が優先されていたのではないか。
確かに、今回の事件から官邸の動きを時系列で追って見ても、動きは緩慢だ。
尖閣問題、北方領土、APECといずれもが失態続きで、柳田法相の失言更迭問題もあり、菅内閣の支持率は23.6%にまで落ち込み、いよいよ、仙石官房長官の問責決議案が、いまにも提出されるところだった。
これが、もしも可決されていたら、菅政権はどうなっていただろうか。
もっとも、問責は、いずれは出されて可決されるのは必至の情勢に変わりはないのだが・・・。
北朝鮮の砲撃事件は、そんなときに起こったのだった。
官邸幹部は、不謹慎にも(!?)、カミカゼが吹いたような心境だったと、言ったとか言わなかったとか・・・。(まあ、わからぬではないけれど)
この砲撃は、周到に練られた北朝鮮の<挑発>ともとれる。いや、まさにそんな感じだ。
長い長い休戦期間があったから、こういう事態がいつ起きても不思議ではなかったが・・・。
いま、北朝鮮でも、金正日死亡説までまことしやかに噂されていると聞く。
まあ、将軍後継問題も相まって、いろいろと憶測が飛ぶ中での出来事だけに、世界各国の反応もいろいろだ。
韓国、アメリカ、日本は連携を密にして、北への非難声明を出したが、中国やロシアは例によっておかしいほどに慎重(?)で、北の同胞だからか真意を測りかねる。
国連は、どう動くだろうか。
ともあれ、今後の北朝鮮の動きからは目が離せない。
日本は、この野蛮な国家とは、目と鼻の先だ。油断はできない。
日本の菅内閣は、この危機的状況にうまく(?)乗っかった格好だ。でも、笑ってはいられない。
今回の北の砲撃についてだって、テレビのニュースで知ったといっているあたり、政府の情報不足と危機管理能力のなさは推して知るべしである。
いまに始まったことではないが、危機管理のもたつきは、何とも、情けない限りではないか。
いつだってそうなのだが、アメリカや韓国に追随するような、臨機応変のきかない、先見の明もない、内閣の無能、未熟を見せられて、唖然とする思いだ。。
中国に対しても、事件の責任が北朝鮮にあることは明確なのだから、もっと北朝鮮に影響力を行使するように強く促すべきではないか。
弱腰(柳腰)の外交なんてとんでもない。
対岸の火事だからなどと、のんきなことを言っている場合ではない。
神風(カミカゼ)が吹いたなどと言って、北朝鮮様々ともとれる発言など、何を言っているか。
冗句のセンスといい、空疎な大臣答弁といい、ひたすらメモの読み上げといい、所詮、日本人はこの程度の大臣や政治家にしか恵まれることのない国民なのだろうか。
そうだとすれば、悲しみは深まるばかりである。
これでは、自虐の淵に落ちそうだとは、誰かが言っていたっけ・・・。
寒々とした青空に、葉の落ちた枯れ木の梢が鋭く伸びている。
いま、国会が異常な状態だ。
官房長官から、閣僚の面々までもが、失言やら謝罪やらで、政治家としての資質を問われている。
どうしたものか。
菅首相の国会答弁にも、全くと言ってよいほど、覇気が感じられない。
その目もうつろである。
先日の、菅総理と中国の胡錦濤主席との、短い挨拶程度の会談でさえも手元の原稿を見ながらというお粗末なものだった。
テレビで見ていて、はらはらした。
することなすこと自信なげで、稚拙に見える。
総理は、石にかじりつても頑張ると言い切ったが、それで国民生活のほうは本当に大丈夫なのか。
どうも、菅政権は政権末期前夜の様相に見えてならない。
内政、外交のあらゆる面での失態を露呈し、景気もよくならないし、雇用も回復の兆しからは程遠い。
北沢防衛相は、「民主政権は長くは続かない」などと、不埒な発言も気になる。
民主政権は、まだ発足1年だ。
自民政権が50年も続いたことから考えれば、民主党には数年先を見据える気概がなくては、何ひとつよくはならない。
でも、今の閣僚を眺めていると、やることなすことがお粗末で、国会が十分機能しているとは思えない。
もう、脳死状態だ。
ここへきて、国会では、政府提出法案は、たった2本しか成立していないというではないか。
それだけで、内閣の無能ぶりがわかろうというものだ。
それというのも、国会対策が機能マヒ状態に陥ったからだ。
知っていました?
国会を開くと、一日3億円(!)の税金がかかるそうだ。
そうだとすれば、臨時国会が10月1日に開かれてから、この会期末は12月3日だから、ざっと180億円(!)の経費がかかることになるのだ。
えっ、それだけの税金を使って、1本か2本の法案しか成立しないのか。
悲しいかな、これが、今の日本の政治だ。
菅内閣は、いつまで持つだろうか。
この調子だと、早期の衆議院解散(破れかぶれ解散)もありうる話だ。
もし、選挙になったらどうなるのだろうか。
このままいくと、自民党も勝てないし、民主党も勝てない。(多分)
さあ、戦前の日本みたいに、危険極まりない道を進むのではないかと、危惧されてならないのです。
一方、政府の危機管理のお粗末が露呈し、前代未聞の大失態に、国会はもちろん、海外の反発、不安は避けられそうもない。
政府への抗議か、倒閣テロか、それとも情報公開を期待する国民への正義感か。
政府は、いま‘犯人捜し’に躍起となっている。
内部告発とも思える、タイミングを見計らったような事件である。
今回の、中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件は、一連の日本、中国の対応には理解しかねるものがあった。
映像を見る限り、明らかに中国漁船が故意に衝突してきたことは間違いない。
そのことで、中国はすべて日本の責任だと言い逃れをし、日本政府がいったんは逮捕しておきながら帰国させてしまった漁船の船長は、中国では英雄扱いだ。
ふざけた、おかしな話だ。
これは、一体何なのだ。
今回の事件の責任は、中国側にあるのだから、政府は中国にこそ、その責任について謝罪と賠償責任を強く求めるべきなのだ。
何故、それをしないのか。おかしいではないか。
こんなことでいいのか。
日本はなめられている。そう思えて仕方がない。
いや、こんな風だからなめられ、組みしやすいと見られるのではないか。
どうして、もっと毅然とした態度が取れないのだろうか。
中国のやっていることは、理不尽で、まるでヤクザがやっていることと同じだ。
もっと、言うべきことは言うことだ。
政府は、この事件について早々にこの事実を発表し、公開すべきだったのだ。
それなのに、それをしなかった。
「国民の知る権利」からすれば、怒りをかうような事態だ。
尖閣諸島の領有権が中国にあるというなら、その法的、歴史的根拠を、堂々と、正式に、中国政府にただせばよいではないか。
国民は、それを望んでいるはずだ。
今回のビデオ映像流出事件も、「国民の知る権利」をいい加減にしたから起きたのか知れない。
国民の誰もが事実を知りたいと思っていたから、この一件を「よくぞやってくれた」と、歓迎ムードまで高まっているのだ。
海上保安庁に寄せられた、電話やメールのほとんどが、映像の流出を喜ぶ内容だったというではないか。
「国民の知る権利」に背を向け、情報漏洩を許してしまう(?)ような、今の内閣に大いに問題ありだ。
菅内閣は、内政も外交も手詰まり状態で、にっちもさっちもいかなくなっている。
まったく、困ったものです。
危機管理がこのありさまでは、国家の威信などどこかへ吹っ飛んでしまう。
今度のことで、日本の危機管理の頼りなさは世界中に伝わった。
あらゆる外交にも及び腰だし、国際的な信用はもちろん、国益をも大きく損なうことになる。
参院選の敗北から、尖閣問題、小沢問題と、次から次と問題が起きている。
これに対して、管首相のリーダーとしての指導力は、そのかけらすら見えない。
「北方領土」についてだって、ロシア大統領の視察をただ「遺憾に思う」だけですますのか。
――この先、国会は、そして日本はどうなるのか。
なすすべもなく、手をこまねいて見ているだけなのか。
国会や記者会見での、近頃の菅総理の覇気のなさ、生気のなさは、どうしたものか。
自分の言葉は少なく、あいも変わらずあれほど嫌っていた官僚の原稿を、眠たそうにマル読みしている。
いい加減にしてくれと言いたい。
あれほど期待を担って誕生した民主政権だが、現状、どうしようもない‘お子ちゃま’内閣だ。
「郵便不正事件」は、やはり検察当局のデッチ上げだった!
検察はここまでやるかという、憤りさえ感じる。
厚生労働省の元局長に、無罪の判決が言い渡された。
大きな冤罪事件の判決だ。
裁かれるべきは、検察だったのだから・・・。
客観的な証拠を完全に無視して、強引に事件をデッチ上げていく。
否認も認められない。検察は聴く耳も持たない。
ありえもしない虚構を、積み重ねていく。
よくも、そこまでやるものだ。
事件には、必ず動機があるものだ。
その動機だって、矛盾だらけである。
検察調書とやらは、シナリオのように作られていく。作文だ。
何という恐ろしい、ずさんな捜査だろうか。
本来、証拠となるべき調書が捏造されていた!
確かに、‘一定の条件’を満たした供述調書であれば、証拠としての価値は高い。
その調書がいい加減でデタラメなものとわかって、信用性は完全に失われた。
もうこれで、勝負はあったわけだ。
検察は、様々な憶測や推測だけで、いい加減な起訴にもっていったことが明らかになった。
検察官のデッチ上げと、のちに翻された供述の誤った証言・・・、それらが、事件そのものが壮大な虚構だったことを物語る。
担当検事は、あらかじめ作ってあった調書を持ってきて、取調室で尋問を始めたというではないか。
そんなことが、まかり通っているのだ
密室で、どんなやりとりがあったか、想像に難くない。
(こうなると、取調べの可視化は必要になってくる。)
平然と嘘を強要し、罪のない人間を恫喝する。
今回のこの画期的な判決は、検察の落日をまざまざと見せ付けた。
検察って何なのだろう。
司法の正義が泣いている。
検察は、己自身を知るがいい。
何も信じられない。何も信じられなくなる。
検察の、国民に対する信頼は崩れた。
いままでも、数々の冤罪事件があった。
どれも、戦前の“特高”を思わせるような事件だ。
踏みにじられた人権を思うとき、「被告人」とされた当事者の無念は拭いようもない。
この事件で裁かれたのは。検察だ。
巨大な国家権力の座にあって、冤罪を生み続けるような司法のあり方こそ、これからも厳しく糾弾されてしかるべきだ。
地検特捜部のリークを垂れ流しする、マスコミにだって責任がないとはいえない。
正義を踏みにじる、検察の横暴を許してはいけない。
・・・朝夕、どうやら秋風の冷たさが感じられるようになってきた。
アスファルトの舗道に、銀杏が落ちていた。
まだ暑い日は戻ってくるだろうが、季節は確実に秋に向かっている。
それとともに、なにやら騒がしい時もすぐそこまで来ているようだ。
暑い。寝苦しい夜が続いている。
酷暑・・・、今年の夏は、過去113年間で最も暑い夏だそうである。
そのさなか、さらに熱い戦いが始まった。
民主党代表選挙を控えて、菅、小沢両陣営の熱戦が繰り広げられている。
単純に見れば、与党のお家騒動だ。
ここで重要なことは、内閣総理大臣を決める選挙だと言うことだ。
菅政権は、この3ヶ月何をしたか。
鳩山首相の時代から、菅総理は国家戦略相として、財務相として、たとえば経済財政政策で、何をしたか。
民主党らしき政治は、何も出来なかった。
菅総理について、一国の宰相として見たら、疑問符をつけざるを得ない。
たとえ野党の党首たりえたとしても・・・。
本来の民主党政治の実現は、先が見えてこない。
下手をすると、政権はまた自民党に逆戻りだ。
それを黙って見ていてよいはずがない。
政権交代から、政治主導を唱えてきて、民主政権の行方すら危うい。
小沢前幹事長の出馬は、もうずっと前から決まっていたようなものだ。
この人の行動を見ていれば、素人でもかなり前からそのことは読み取れた。
しかし、新聞、テレビは、不出馬をあおるような(?)記事や番組ばかりを流し続けていた。
まさに言われている通り、操作される世論に国民は戸惑うばかりだった。
あるテレビ局のアンケート調査によると、求められる首相像の第一第二は強力なリーダーシップと実行力だ。
やっぱり、それはそうだろうと思った。
クリーンなイメージも大切だが、そんなことは三の次四の次なのである。
政治の世界は、決してクリーンなものではない。
ドロドロとした世界だ。
政治には毒だってある。政治家にも毒はある。
清廉潔白な政治家なんて、いない。
では、菅氏がクリーンで、小沢氏がダーティーだと言うのか。
国家を主導する首相に、そんな短絡的な見方で通用するとは思えない。
実力ある政治家には、誰だって負の側面はあるし、毒も会わせ持つものだ。
政治の世界は、話し合いだけであっさり決着などつかないものだ。
その裏には、戦術(戦略)があり、駆け引きがあり、謀略だってあろう。
断じて、政治はキレイ事ではない。
理想は理想でしかない。
それだけで、政治が動いたことなどないに等しい。
古今東西、歴史を動かした政治家は、清濁併せ呑むものだというではないか。
国家観と倫理観を持ち合わせた、都合のいい立派な政治家が果たしているものだろうか。
日本という国が直面している未曾有の困難を、どうして切り抜けるか。
現政権の菅総理に、それだけの力量を期待できるだろうか。
民主党代表選が、小沢前幹事長と菅総理の対決となったのは、当然の帰結だ。
無投票などもってのほかで、両者は正々堂々と戦えばよい。
ただし、民主党員は、マスコミに操られた怪しげな世論に惑わされないことだ。
新聞やテレビは、困ったこと(?)に小沢一郎氏が大嫌いなのだ。
彼よりは菅氏に首相でいてもらいたいのは、長い間の自民政権下での既得権益を失いたくないからだ。
これだって、由々しい問題だ。
先日の、菅、小沢両氏の記者会見は、両者の際立った相違点もあったが、よくわからない点もあった。
印象では、菅氏は小沢氏の言葉をよく理解できていないように見えた。
小沢氏へのあてこすりや中傷、皮肉がやたらと目だって、現職の首相なのに見苦しさこの上なかった。
菅氏は何か言おうとすると、相手への批難になる。
こうも品性を欠くものか。
それだけで、菅総理の幼さ、稚拙さを感じるに十分であった。
こういう首相に、続投を期待してもいいものだろうか。
どちらが、首相としてふさわしいかという世論調査で、報道各社の結果は、どこもかしこも、菅氏が小沢氏に50ポイント以上の大差をつけている。
ところが、これがインターネットの世論調査だと、情勢は一変する。
小沢氏が菅氏を上回る数字を獲得しているのだから、まことに奇々怪々だ。
例えば、ロイター通信のネット調査では、小沢氏6309票、菅氏6195票で、小沢氏がリードし、ライブドアの調査では66.1%が小沢氏支持、スポニチの公式サイトでは小沢氏支持8割と、菅氏を圧倒する数字なのだ。
読売新聞にしても、ネット調査では結果は一変して、76%が小沢氏出馬を支持しているのだ。
それなのに、マスコミ調査だけが「民意」として絶対視され、その結果が政治の行方を左右するとなると、何だか空怖ろしくなってくる。
選挙戦は、中間派の切り崩しにやっきとなっているが、この多数派工作にガムシャラな姿は、見ようによっては醜悪だ。
世間の景気など、そっちのけである。
挙党一致というけれど、この言葉の持つ意味合いも、両者の乖離を際立たせている。
菅氏が無為無策だが、小沢氏は世人のいう悪人だろうか。
いや、もうどっちもどっちだ。
民主代表選は、国民不在、ただただ白けるばかりだ。
必ず、どちらかが勝ち、どちらかが負ける。
勝った者が次期総理大臣だ。
完璧な人間などいない。
民主党代表選で、二人のどちらが代表(首相)に選ばれても、たいして変りはない。
誰がやっても同じだ。
権力にしがみつこうとするだけであれば、それは所詮茶番でしかない。
人間、好きとか嫌いとかで、感嘆には片づけられない。
菅、小沢の両氏には、もっと踏み込んだ政策論争に期待したい。
そこから、何かがきっと見えてくる。
政治主導というが、菅氏の言う政治主導とはあくまでも官邸主導だし、小沢氏の言う政治主導とはあくまでも国民主導のことだ。
この言葉ひとつでも、意味合いは全く違うのだ。
インチキな報道に惑わされることのない、眼力も必要だ。
やっかいなことに、報道は、常に正しいとは限らない。
報道を、すべてそのまま鵜呑みには出来ないということだ。
まして、一国の首相を決める選挙である。
賢明な判断で、どちらかを選ばなくてはならない。
暑い日の、熱い戦いはまだ始まったばかりである・・・。
国会議員の歳費(給与)は、1ヶ月229万7000円だ。
これを時給で計算すると、47,854円となる。
1ヶ月間のうち、1日でも働けば、1か月分が支給される仕組みだ。
したがって、この夏の参院選で初当選した議員にも、230万円近くが支給される。
7月中の勤務は、26日から31日までだから、たった6日間だ。
昨年の衆院選のときも、2日間で1か月分が支給され、問題となった。
今回と同じように、いろいろ批判が出て、これを改めようとする動きも出たのに、そのままずるずると来てしまった。
一体、どうなっているのだろうか。
どうして、国会議員の歳費を日割りにできないのか。
1ヵ月の内1日でも働けば、1か月分が支給されるなど、こんなことは民間会社では通らない話だ。
みんなの党、公明党などは、日割り計算するよう法律の改正を求めている。
それが、一向に進まない。
政府に、ヤル気がないのか。そんなことでどうするのか。
民主党は、まず自分たちから始めたらどうか。
そんなことはもう長年やっていないことだとか、まだ準備が整っていないだとか、御託ばかり並べている。
こんな具合だから、民主党は何を考えているのか、ヤル気がないのではないかと見られるのだ。
本当にヤル気があれば、2日間あれば出来ることだと、みんなの党も言っている。
難しいことではない。
すぐにやるべきことではないか。
一部の地方議会では、すでに日当制や日割り計算を導入して成果を上げている。
東京立川市議会では、日割り支給条例を導入したではないか。
そして、実際に実施しているのだ。
働いた日数のみの報酬が、正しく支払われているのだ。
それも、議会が率先して全会派が一致して決めたことだ。
地方に出来て、どうしてそんなことが国に出来ないのか。
実に情けない、政権党だ。
民主党の小沢前幹事長も、今年の3月、日割り計算とすべきだということを提唱している。
民主党のマニフェストの中にも、政治改革の項で、衆参両院の定数削減と、議員の歳費を日割りとし経費も2割削減と、あんなに堂々と謳っているではないか。
あれは何なのだ。
スケジュール的に厳しいからなどと、逃げてばかりいる。
そんなことは、理由にならない。
自民党からも、議員歳費を日割り計算して、一部を自主変換できるよう法改正をすることについて、提案が出された。
初当選の参院議員の任期は、この26日からなのだから、1か月分を受け取れるとする制度を改める目的だ。
この法案は、30日に召集される臨時国会で成立させたい考えだ。
何もやらないよりは、まだいい。
民主党は前向きに検討するとしているが、いまだに検討だなどと、そんなことでは手ぬるい。
制度設計で、各党の意見に食い違いはあるようだが、即ヤルべしである。
大体、国会議員が多すぎるのだ。
何故、マニフェストで公約したことが守れないのか。
やろうとすれば、すぐにでも出来ることを何故やらないのか。
要は、実行あるのみだ。
民主党が、率先してやるべきことだ。
働いた分だけ、報酬を受け取る。
当たり前のことさえも出来ない。
やはり、政事屋(政治家ではない)は、庶民の感覚がわからないのか。
いよいよ、諸々の問題を抱えて、何が起きるか予断を許さない、波乱の臨時国会が始まる。
酷暑のさなか、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の来日はどんな意味があったのだろうか。
日本政府は、彼女の招聘に1億円以上を投じ、協力金名目の謝礼は3000万円とも言われている!
この国賓並み(?)とも思える、超法規的来日は何だったのだろうか。
驚き、呆れる。
結果は予想通りだ。
新しい情報は、何ももたらされなかった。
面会した横田滋氏夫妻も、自分たちの一番知りたいことは何もわからなかったと、落胆の色を隠さなかった。
金賢姫が、横田氏夫妻に語った話は、すでに知らされている1980年代の情報だけだったというではないか。
本件の仕掛け人は、あの路チューをフライデーされて名を上げた(!?)、中井拉致問題担当大臣だ。
彼のはしゃぎ振りは尋常とは思えなかった。
政府や法務大臣の協力で実現した来日だが、このことが、日本が世界や韓国と一体となって、拉致問題と取り組む姿勢を示したことになるのだろうか。
それとばかりに飛びついた、マスコミ(テレビ)のフィーバーぶりは、一体何だったのか。
人気取りのパフォーマンスではと、悲しき体たらくといわれても仕方がない。
今回の彼女の来日を、外交上どのようにつなげるのか。
今の時点では、何の成果もなかった。
新事実が出ることもなく、金賢姫は帰国したが、何でも来日で得た金を経営が悪化している夫の焼肉店の再建に当てるらしいから、彼女にとっては都合がよかったのではないか。
個人資産のない金夫婦にとっては、実に美味しい話だったはずだ。
これだけの騒ぎになりながら、本人の公式の会見がなかったのも、テレビでの拉致被害家族との会談から音声がカットされたのも、不可思議だ。
帰国直前の、NHKと民放の独占インタビューだけは映像も音声もまとも(?)だったが、新味のない、いずれも中身の伴わない繰り返しであった。
現在では、彼女の利用価値や知名度は薄れていて、もはや過去の女という印象が強い。
本人も、世を忍ぶように身を隠して生き延びている現状で、彼女もまた、北朝鮮という不埒な国家に人生を翻弄された、哀れなひとりの被害者に過ぎない。
今後、金元工作員の、北朝鮮を揺さぶる外交カードとしての利用価値など期待しないほうがいい。(北朝鮮側がそんな人間は知らないとまでいっている。そんな国だ。)
それにしても、1億3000万円という大金が使われた(?)ことになる。
これは大きい。
財源がないといわれているのに、これも国民の血税だと思うと・・・。
蝉が鳴いている
人々は、連日のうだるような猛暑に喘いでいる。
そして、参議院選挙の惨敗が尾をひいて、いまも民主政権が喘いでいる。
民主党は、過半数に届かなかった。
連立政権の議席を足しても、参議院の過半数には及ばない。
これでは、重要な法案が衆議院を通過したとしても、参議院では野党に否決されて成立しない。
衆議院に差し戻されたら、3分の2以上の賛成で再可決が可能だが、これとても連立与党の総数で衆議院478議席の3分の2である319議席に届かない。
政局は立ち往生である。
かつての、自民政権の「ねじれ」現象より厳しい現実である。
・・・となると、みんなの党とか公明党を頼みにしなければならないのか。
政権を安定させるための方程式は、複雑なパズルを解くようなものだ。
打つ手の少ない菅民主政権はどうするか。
どの党と連立を組むのか。組みかえるのか。
政界は、そう簡単にはいかない。
妙手があるのだろうか。
衆議院で法案をかりに最可決できる態勢になるならば、参議院の過半数はいらない。
みんなの党はどうなのか。
一気に増員できたことで、天下を取ったみたいに、「アジェンダ」「アジェンダ」と叫んではしゃいでいる。
この言葉の意味は、「行動計画」とか「政策課題」ということのようだが、まだ日本では一般に浸透していないし、解りにくい。
この党が何を目指しているのかも・・・。
それでも、勢力拡大に気をよくしている、そんなみんなの党が動いたらどうなるか。
落ち目(?!)になった民主党とは連立を組まないのだったら、場合によっては、菅政権を追い込む方にまわるかもしれない。
でも、連立の合従連衡が、しかしそううまくいくはずもない。
政界は、複雑怪奇だ。
現在の民主党で、本当の意味で政治の修羅場を経験している人は、小沢前幹事長しかいないといわれる。
いまの菅内閣の閣僚には、政治家としては未熟で幼く、頼りない大臣ばかりが多い。(?!)
いろいろよいことを言っても、大体実行力がない。
そこが問題なのだ。
小沢前幹事長から見れば、若手の閣僚はやんちゃな赤ん坊みたいなものだろう。
これから先も覚束ない。国民だってひやひやしている。
いずれにしても、菅政権のもとでの民主政権の再出発はきわめて厳しい。
国民の暮らしや国民主導の政治と言ったって、何も見えてこない。
猛暑の中、今月末から熱い臨時国会が始まる。
与党の敵失だけを頼りにしている野党は、政治とカネの問題などもあり、過半数を占める参議院では問責決議案を持ち出したりして、揺さぶりをかける。
攻防は見ものだ。
どんな国会になるか。
とても、一筋縄ではいかないだろう。
しかし、よく考えてみると、こうした「ねじれ」現象をどう耐え抜くかで、あらたな政治力が生まれるということもある。
正真正銘の「ねじれ」を体験して、そこから学ぶべきものもあるのではないか。
「ねじれ」の危機は、考えよう、やりようによってはまたとない(?)試練の好機かもしれないのだ。
国会闘争の場で、与党も野党も「真性ねじれ国会」をどう乗り越えていくか。
最後まで、暮らしあっての民意を忘れないで、真摯な論争をしてもらいたい。
振り返ってみると、政権交代は国民の悲願であったはずだ。
しかし、今回の参院選では野党が勝ち、「ねじれ国会」が生まれた。
それも、選挙民の投票の結果ではないか。
このことを忘れてはいけない。
何のことはない。
望みもしないはずの、今日の政局の混迷を望んだ(?!)のが、民意だったとしたら、何をかいわんやだ。
政治混乱の責任は、民主政権だけにあるのではなく、むしろ国民の責任が非常に大きいと言わねばならない。
新政権になってからまだ日も浅いが、消費税増税論やら政治とカネの問題やらいろいろとあったことは確かだ。
それに嫌気がさして、現政権にそっぽを向いたのだ。
だからと言って、自民政権に戻したいか。
どうも、そうではないらしい。
多くの国民は政権交代を選択したはずであった。
だが、結果的に、参院選では小さな新党や野党に勝利をもたらし、民主党は敗れた。
・・・悲しいかな、これが迷える国民の選択だったからだ。
さあこれで、本当によかったか。
良くも悪くも、泣くも笑うも、自業自得の結果だ。
衆愚の審判は、はたして正しかったのか。
かくして、いつまでか政治の混乱は続くことになる――。
サッカーW杯決勝トーナメントは、延長戦でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれたが、日本は1回戦で敗退した。
相手国のパラグアイは、世界ランク31位だから、日本(45位)より格上だ。
ベスト8も夢ではないといわれていただけに、期待をかけていたファンは多かった。
岡田監督は、ベスト4を狙うといきまいていたが、準々決勝には手が届かずに終わった。
試合5本のすべてを決めたパラグアイが勝ったが、日本の青いサムライたちが、8強入りを果たせなかったことについて、誰もが感傷的(?)になった。
ここまできたことへの、盛大な賞賛の声とともにだ。
それは、でもあまりにもセンチメンタルな光景ではなかったか・・・。
マスコミでさえもが、当初から岡田ジャパンの目標「4強」を打ち上げていたからだ。
しかし、勝負はすべて結果だ。
見ての通りだ。
日本サッカーが8強を争うには、世界の壁は厚かった。
ここは謙虚に省みて、あまりにも、レベルが違いすぎたということだ。
外国のメディアは、日本の熱狂とはうらはらに、今回の大会で最も退屈な試合のひとつであったとし、日本にもっと野心があれば結果は別のものなっただろうと、日本代表の不甲斐なさをあげているのだ。
ブラジルの民放テレビにいたっては、日本はひたすらパラグアイのミスを待ち続けるという、技術的に低いレベルにあったとまで言い切っている。
サッカーというスポーツは、守備だけで勝ちきれるほど甘くはない。
そんなことは分かっている。
確かに、攻撃への意識、執念において、戦術不足であったことは否定できない。
ある新聞は、試合ひとつ見てもパラグアイとは差があり、PK負けは必然だったと酷評している。
世界のトップレベルが、いかに高いところにあるかということではないか。
日本代表陣には、点を取って何が何でも勝ちに行こうという意識がどれだけあったか、もっと攻撃的な(!)サッカーを考えないと、世界のレベルには届かないのかも知れない。
・・・そんな風に見ると、日本代表陣に構造的な欠陥があったのでは・・・?などと、かんぐりたくなる。
ここは、感傷を超えて、今後将来に向けて冷静に考えなくてはいけない。
ともあれ、決勝トーナメント進出を果たしたことで、その経済波及効果は期待に反して、驚くなかれ約3000億円にものぼるといわれる。
これが、サッカーの威力か。
日本経済が、予期せぬ恩恵を受けることになれば、もう大いに褒められるべき快進撃だ。
それなりに、しっかりと効果に期待をしたいし、少しぐらいは喜びも・・・。
この不景気の中で低迷を続ける日本に、元気と希望を与えてくれるに違いない。
初の8強入りを逃した岡田監督も、選手たちと同じように燃え尽きたのか、今大会限りで代表を退くことを表明した。
このあとは、北の国(北海道)の住民になるのだそうだ。
彼は、戦いに100%の力を出せば勝てると言っていたが、結局「何かが足りなかったのだ」、そして「もうやることはない。これ以上日本サッカーを背負えない」と言って頭を下げた・・・。
日本の選手たちは、全力を尽くしてよく頑張って、よく戦った。
でも、何かが足りなかった。
16強入りしてよかったなどと、浮かれている場合ではない。
日本サッカー協会には、代表監督を4年ごとに代えて、すべてを丸投げするという、悪しき伝統(?!)があるというではないか。
日本のティームでは限界かもしれない。
いまの日本に、世界で戦えるようなティームを作れる指導者がいるだろうか。
次期監督を含め、多くの課題をかかえて、早くも4年後を見据えて動き出している。
日本の守備力は、かなり向上しているのではないか。
反面、南米の強豪国あたりと比べると、世界がいうように、いかにも攻撃力が幼い(?!)ように思える。
それに、指導力もだ。
試合後、岡田監督は、日本は得点力のあるティームじゃないなどと語っていたが、そういうティームにしたのは誰だったのか。
・・・駒野選手のPKは、無情にもクロスバーをたたいてしまった。
あの瞬間、日本中の誰もが「嗚呼!」と、思わず息をのんだ。
そして、長かった戦いは終わったのだ。
駒野選手は枯れるほど涙を流し、その目は腫れ上がっていた。
駒野よ、泣くな!
運がなかったのだ・・・。
その日本代表陣は、今日夕方帰って来た。
お帰りなさい。
岡田ジャパン、青きサムライたち・・・。
帰国直後に行われた記者会見は、当然のことかもしれないが、総じて元気がなかった。
早く立ち直って欲しいものです。(追記)