春の足音は、確実に近づいている。
でも、まだしばらくは厳寒の日々が続きそうだ。
巷には、相変わらず「ゾウゼイ、ゾウゼイ」の声しきり・・・。
消費税増税をめぐって、国民不在の与野党の論戦が続いている。
でも国会の予算委員会での、様々な政策をめぐる質疑論戦は、空疎で上っ調子だ。
国民の、本当に知りたいことがよくわからない。
野党は、昔ながらに、与党の不祥事の追及や愚にもつかぬ揚げ足取りに終始し、政府与党もお座なりの官僚的な答弁の繰り返しで、同じことを幾度も質問し、幾度も同じことを答えている。
消費税についても、国民の納得のいく真摯な説明が不十分で、いたずらに国民の負担をあおる増税話ばかりで、この国をどうしようとしているのか、国会議員の仕事の何たるかを真にわかっているのだろうか。
現在、衆参両院合わせて722人もいる国会議員は、日頃どんな活動をしているのだろうか。
これだけ多くのの数の国会議員が、こんなちっぽけな日本に本当に必要なのだろうか。
議員の一人一人が、身を削って、庶民の生活に直結する「庶民感覚」を、どれほど持っているだろうか。
国の借金が1000兆円にもなるという、財政悪化の責任が、国民にあるかのように喧伝されてはいないか。
その原因たるや、政治家(この国では、政治家といっても政治屋に等しいが)や、お役人たちが自分たちの利権を拡大し、営々と(?)甘い汁を吸ってきたのではなかったか。
たとえば、無駄なダムをあちこちに作り、無駄となる道路がどれだけ作られてきたことか。
そんな国会議員の給料は、世界一高いのだそうだ(!)。
官僚の待遇も、また世界一というではないか。
あっ、と驚くことばかりだ
日本の国会議員の報酬は、給料だけでも年収2000万円を軽く超えている。
この数字は、アメリカ(1300万円)、フランス(800万円)、イギリス(700万円)などと比べても、断トツではないか。
国会議員の歳費は、月給129万円、年間635万円の賞与があるから、これだけで年間約2200万円だ。
そしてこれとは別に、文書通信交通滞在費と称して年間1200万円が支給されているし、これは非課税で使途報告も必要のない「つかみガネ」といわれる。
一流企業の社長の、平均給与に匹敵する額である。
そのほか、JR全線無料パスや無料航空券が支給され、豪華格安の議員宿舎に公用車まで付く。
これに公設秘書の給与などを含めると、1人当たり年間1億1000万円以上の、税金が使われている計算だ。
昨年の東日本大震災で、いったんは毎月50万円の歳費カットを決めておきながら、9月にはこれをあっさり終了させ、冬の賞与は満額の291万円支給で前年よりも9万円多かった。
民間企業の不況など、どこ吹く風である。
野田首相は、消費税増税で不退転の意思を表明しているが、身内の議員の歳費や政党助成金には触れずじまいである。
こんなことって、許されていいのだろうか。
国民には増税を求めておいて、国会議員や政党だけが甘い汁を吸っている。
私利私欲に目がくらみ、せっかく手に入れた議員の任期の間だけでも、その甘い汁を吸っていたいという、卑しい(?)気概が見え見えだから困る。
いや、本当に・・・。
政党助成金にいたっては、議員が眠っていたって支給され、総額およそ320億円(!)にもなるのだそうだ。
最小額の党で1億円ぐらいで、これが各議員へ分配されることになるのだろう。
給与やら、助成金やら、団体や個人からの献金や政治資金をを積み立て、超高額なマンションの購入ローンをわずか数年で完済したという猛者もいるから、あきれてものも言えない。
何故、議員や政党の財布には切り込めないのか。
それはそうだ。美味しい話をカットされてたまるかとの思いを、絶つことができないのだ。
が、しかし、国民の目線からいえば、政党助成金は、思い切ってやめたほうがいい。
共産党は受け取っていない。こういうところは、見習ってもいいのではないか。
増税を叫ぶ前になすべきことは山ほどあるのに、それをしないで「ゾウゼイ、ゾウゼイ」である。
自分たちの既得特権だけは、失いたくないからだ。
これでは、政治がよくなるわけがない。
国会議員になりたがる人は、こうした利権にあやかりたいがためで、かつての藤山愛一郎外相のように、自分の身銭を切ってでも、国家国民のために尽くそうなんていう政治家は、一人として今の国会にはいないのではないか。
政治とは、自分の身を投げ打って、極言すれば、たとえ無報酬でも生活資金さえあれば、国家国民のために尽くすというのが本筋だ。
だが、悲しいことに、いまどきそんな政治家はいない。
…なのに、そんな国会議員が722人とはいかにも多すぎる。
さすがに、野田首相も、自分たちも身を切る努力をしなくてはと、増税実施の前までに、衆議院の80議席を減らすと語った。
これとても、いい加減なごまかしとしか思えない。
単なる、パフォーマンスと思っていた方がよい。(苦笑)
80議席を減らすというなら、速やかに総選挙でも何でもやって実施すればいい。
それさえできないで、「ゾウゼイ、ゾウゼイ」は納得できない。
財源がないというなら、まだまだ有り余る無駄を完全になくすことだ。
それをやれない。いや、やれないのではなく、やる気などさらさらないのではないか。
少なくともそう見える。
口先だけの話なら、これまでどれだけ国民は騙されてきたことか、やるやる詐欺と同じだ。
現在いる722人の国会議員の大半は、これといって天下に胸を張れるような仕事などないというではないか。
仕事をしているといえば、政務三役とか党役員、閣僚ぐらいで、ほとんどの議員は委員会の員数合わせで、政府提出法案の採決要員として起立させられているだけだと、ある新人議員も語っていた。
だから、社会保障学の学習院大学の鈴木亘教授は、「日本は衆院240人、参院は各県代表の47人で十分だ」というのだ。
確かに、人数が少ない方が物事は早く決められるし、失礼ながら722人の議員がいたって、役立たずが多いだけで、誰が誰だかもわからない。
722人の歳費を考えただけでも、とんでもない税金の無駄使いなのだ。
国会議員は、甘く見たって今の半数以下に削減すべきなのだ。
ここでは詳しく触れないけれど、一部マスメディアの情報によると、地方の都道府県議会1800議会の議員総数36000人は、年間実働20日で年収1200万円を軽く超えているというから、これまた国会議員以上に、あまりにもひどすぎる話で、怒りが込み上げて来ない方がおかしい。
こちらのほうは、給料のほかに日当まで出るというから、とんでもない話だ。
野田首相は、野党時代に税金を食う役人を「シロアリ」といって罵倒したが、いま国民の代表であるはずの国会議員までもが「太ったシロアリ」化していると、巷ではささやかれ始めている。
国会議員や地方議員が、そんなことでいいのだろうか。
これでは、どんなに国民が税金を納めても増税しようが、財源不足で潤うわけがない。
「シロアリ」がそんなに増え続けているなら、早々に駆除しなければいけない。
放射性物質の除染も大事、有害虫の駆除も急務だ。
何とも、情けない話である。
政治家は、国民に約束したことを確実に実行し、その結果について、責任をちゃんと果たさなくてはいけない。
政権の無責任は、許されるべきではない。
野田内閣は、閣僚からしていまだにひよこのような「お子ちゃま内閣」で、残念ながら瓦解する日はそう遠くはないと思われる。
・・・やがて、季節は確実に春を迎える。
国会は、政界再編をにらんで、波乱を呼ぶ新たなる展開となるに違いない。
かくして、またも「終わり」が始まる・・・。
日本は、世界有数の「魚」消費国だ。
何といっても、日本人は「魚」が大好きだ。
今の時期であれば、身に脂の乗り切った寒ブリなど、最も美味しい季節だ。
そんな鮮魚の多くの品種に、放射性物質の汚染がじわじわと進んでいる。
その実態が、少しずつだが明らかになりつつあるようだ。
房総沖や、さらには東京湾(特に湾岸の河口付近)、また関東一部の湖沼や河川でも、セシウムが検出され、群馬県の赤城大沼で釣れたワカサギはセシウムまみれだった。
これらがこれから拡散、飛散、拡大を繰り返して、広範囲に汚染が進んでいくと考えるのは容易だ。
どうにも不気味で、いやな話である。
去年の10月に、国際環境NGOが大手スーパー数社の店舗の鮮魚を独自調査した時、すでにすべての店舗で、放射性セシウムに汚染された魚が見つかっていたのだ。
ただ、この時点では、国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を上回る数値はゼロだった。
しかし、11月下旬に原発直下の海に、はじめて放射能汚染の調査が入った時は、メバル2300ベクレル、アイナメ1400ベクレルといったように、ほとんどの魚から、暫定規制値を数倍も超えるセシウムが検出されている。
しかも、野菜や果物などよりもはるかに高い数値が検出されたから、驚きだ。
これもしかし、氷山の一角だろうと思われる。
海底には、福島原発から流れ出たセシウムが、拡散することなくたまり続けているといわれる。
‘収束’を発表した原発事故だが、‘収束’などしていない。
先日のNHKの特集番組でも、そのようなことを報じていた。
そっと、警鐘を投げかけているようだった。
その魚介類が、いま何の表示もないまま市場に出回っている。
たとえ、国の決めた暫定規制値以下であっても、必ずしも安心はできないとして、スーパーのイオンでは、一段と厳しく「セシウム0」「放射性物質は検出されず」をもって、初めて店頭に並べることにした。
消費者の安心のためには、ごもっともな話である。
どこのスーパーや鮮魚店でも、もちろん他の野菜や米、肉類にいたるまで、そうあってほしいものだ。
スーパーの鮮魚の表示には、産地の記されていないものあれば、「太平洋産」としか書かれていないものもある。
「太平洋産」とは、ひどいものだ。そんな表示の仕方があるものか。ふざけてはいけない。
もちろん、セシウムなどの調査を、スーパー独自で行っているところはほとんどなく、他の調査機関に頼っているとか、実際にやっていないと答える店舗もあるくらいで、鮮魚の規制値についての表示はなかったり、あっても信用できるものかどうかは疑わしい。
消費者は調べようもないから、とても厄介だ。
やがて、東日本大震災から1年になろうとするいま、被災地の復旧、復興はままならず、ガレキの処理すら全体の4%しか進んでいないという。
さらに、被災地のみならず、全国各地の人々の暮らしの直結する、生鮮食料品(野菜、魚介、米、肉類)については、完全に調査が行き届いているとは言えない。
そしてさらに、一刻も急がなくてはならないのは、周辺各地の除染作業である。
こんな時に、政治や行政は100%機能しているといえるだろうか。
実行とともに、約束通りの結果を出してもらいたい。
国会では、どじょうの異名を持つ、全く頼りにならないリーダーが、ひたすら「ゾウゼイ」「ゾウゼイ」ろ叫びまくっている。
ほとんど絶叫に近い、あれは一体何なのですか。本当に正気なのですか。
そして、舌の根も乾かぬうちから、一日も早い原発再稼働を促す動きまで出ている。
いま、この国に何が起きて、どうなるのか。すべて、本当にわかっているのだろうか。
難問が山積している中で、何をまず第一にやらねばならないか。
国民に直結する、喫緊の課題をこそ、待ったなしで、優先解決していくべきではないのか。
それなのに、朝から晩まで、開けても暮れても「ゾウゼイ」「ゾウゼイ」だ。
消費税増税騒ぎもわからぬではないが、耳が痛くなるほど、聞きあきている。
もう、うんざりである。
ついでに、消費税アップのことでちょっと言わせていただければ、これとて官僚の利権確保以外の何ものでもないと思うし、経済が疲弊しているのに、そんなことをして国民生活は立ち行くのだろうか。
本当に、財政が健全化するというのだろうか。
中小企業などは、大変ではないか。
ヨーロッパのギリシャとかイタリアとかポルトガルは、日本より間接税が高い国で、ことごとく財政危機にあえいでいるそうだが、ヨーロッパの財政危機はそのせいではないのか。
そんなこと云々より、毎日口に入る、魚や肉や野菜や米が、以前のように安心で安全な食品であってほしい。
現在、そしてこれから、日々の暮らしがどうなるかが、何よりも大切な問題だ。
陸地はもとよりのこと、海の方で、それよりもはるかにはるかに高い数値の放射性セシウムが検出され始めたということは、少なからずショックだ。
このことには、大学教授、研究者たちも大変ショックだったようだ。
今後の推移を、しかと監視ししていかなくてはならない。
とくに、日本人と「魚」とは縁が深く、日々の食卓にしても、すしのネタにしても、不安は募る。
それから、貝類の汚染については、まだまだ調査も結果もこれからだし、残念ながら、これら魚介類や海水、淡水の汚染はまだほんの序章に過ぎない。
なお、三重大学準教授の勝川俊雄氏の解説『水産物の放射能汚染から身を守るために、消費者が知っておくべきこと』は、大分前に発表された記事ですが、論述が詳細で、大変参考になる部分がありますので、ご紹介をさせていただきます。
時の過ぎゆくのは早いもので、季節は確実に秋に向かっている。
台風の影響で、雨風が強まっている。
各地での被害が心配だ。
さんざん辞める辞めないで、政局まで混乱させた菅内閣が退陣し、民主代表選の逆転で野田新政権が誕生した。
菅前首相は、やるべきことはやったと大いに自画自賛だったが、本当にそうか。
何をやったのか。
何ができたのか。
がっかりさせるような、しらけた話である。
新内閣の閣僚名簿を見ると、特別なサプライズも新味もない。
野田新総理が自ら言うように、「どじょう」内閣だ。地味である。
地味で、結構だ。
「どじょう」であれ何であれ、要は何をやるかだ。
わずかな期待と、大きな不安を感じさせる、新政権のスタートだ。
我も我もと集まって、党代表選に勝っての野田新総理だが、その能力のほどは未知数である。
いま、この未曾有の国難の時だ。
誰が総理になっても、難しいかじ取りだ。
これから、どんな具体的な政策を打ち出していくのだろうか。
記者会見でも語っていたように、東日本大震災の復旧・復興と福島原発事故の早期収束が、最優先課題だ。
このために、野田総理は、全力をあげると力強く言い切った。
有言実行は、大丈夫か。
前首相みたいに、口先だけで終わらないでもらいたい。
民主党政調会長に決まった、前原氏の外国人献金問題がいまもくすぶり続けているというのに、またもや、今度は野田総理の外国人献金問題が発覚した。
相手は在日韓国人だというから、前原氏と同じようなケースではないか。
新内閣発足直後に突然降ってわいた報道にも驚いたが、一体全体、どうなっているのか。
これまた、黙って見過ごされぬ、新たな火種となって、新政権への影響は必至だ。
ああ、やれやれ・・・。
それにこの人は、過去に前原氏と連座して、偽メール事件で同僚の永田議員を死に追いやってしまった、無念の十字架を背負っている。
ガセネタを安易に信じ、証拠もないのによく調べようともせず、日本中の笑いものになった。
テレビの国会中継で、とんだ茶番を演じてしまったのだ。
あれは、想いだしても情けない話だ。
首相交代は、この5年間で6人目だ。
民主政権では、早くも3人目だ。よく変わる政権だ。
新鮮で結構だ、などと言って笑ってもいられない。
国連総会で、国家の元首が毎年変わるなど日本だけではないか。
何とも、恥ずかしい話だ。
新内閣となって気になることも多々ある。
野田総理は、党内融和とノーサイドを心がけるのは大変に結構だとしても、かたや大連立と増税を唱えてきた。
このことは、十分に議論を尽くさなくてはならい、重大な問題だ。
拙速は避けるべきだ。
それと、財務省にヒモつきのポチ君が、またぞろ財務官僚の操り人形になってはいないか。いや、もうすでになっているか。
民主政権は、これまで「反小沢」「親小沢」といって、与党内で分裂状態を続けてきていた。
今回の人事で、その点にはかなりの気配りが見える。
だが、議会運営はまだこれからだ。
人間同士の怨念、確執など捨てて、与野党の別なくこの国難を乗り切っていくべきだ。
誰もが感じるように、どうも、国会議員には口先ばかりの人が多い。
国家、国民のことを、どこまで真摯に考えているか。
自分の身を投げ打って、命を懸けて頑張るというような人はいないに等しい。
そういう国会議員は真の政治家とは言えず、政治屋と呼ばれるのだ。
しかし、残念ながら、この国には何とも政治屋さんが多すぎる。
天下国家を論じながら、自己保身、自分の利害得失しか考えていない。
それは、その人のやってきたことを見れば誰にでも一目瞭然だ。
一国の首相たる人がそうであったりするなどは、言語道断だ。
野田新総理は、どんな人なのだろうか。
よく知らない人もいるのではないか。
ましてや、新閣僚についてもよく知らない人がいたりする。
それはそれで仕方がないが、政争中心の国会運営だけはもう終わりにしていただきたい。
「どじょう」内閣の野田総理は、「中庸の政治」がどうやら信条らしい。
でも、寛容と忍耐だけでは、救国の政権たりえない。
乏しい人材を承知の上で、本当の挙党体制をどこまで構築できるか。
そして、山積する難問、諸問題を迅速かつ確実に遂行できるか。
全てが、待ったなしである。
喫緊の課題から、まっしぐらに実行あるのみだ。
ただ、いまだ新総理の具体的な政策は見えない。
日本のリーダーとして、それを速やかに解りやすく、国民の前に示してもらいたい。
仄聞するところによれば、松下政経塾出身の政治家に、政策論争の好きな、口達者の人が多いのだそうだ。
残念だが、その分、肝心の実行力が伴わないとも・・・。
政治を動かす力量に、どうしても疑問符が付く。
国民をうならせるような、哲学や見識と実行力を持った逸材は、どこにも見当たらない。
優れた政治家とは、なかなかいないものだ。
いまの政治家といわれる人たちは、政治を自分の出世の道具にしていないか。
私利私欲に駆られて、成り上がり根性だけで、国家のために自分が何をなすべきかがよくわかっていない。
そんな、寂しく貧しい日本の政治の未来に、夢や希望を抱けるだろうか。
政界は、みなドングリの背比べで、誰が首相になっても同じだと、すでに国民はあきらめ顔である。
この国は、いまそんな、しら~っとした閉塞感に満ち満ちている。
ため息ばかりで、人々の顔に、生気がないではないか。
それで、希望が持てるといえるのだろうか。
2年前の、あの劇的な政権交代は一体何だったのか。
新内閣への淡い期待も、わずかな希望どころか、またも虚しい幻想で終わるかもしれない。
古い自民党に戻るのではなく、新生民主党として再生できるのか。
泥臭い「どじょう」だって、何だっていい。有言実行あるのみだ。
前総理に続いて、野田総理にくすぶる火種も厄介だ。大丈夫なのか。
どっちにしたって、もう後がない民主政権の、いまが本当の崖っぷちだ。
毎日暑い日が続いて、本格的な夏の訪れだ。
東日本大震災の被災地は、いまなお不自由な生活を強いられていて、復旧復興の道はまだなお遠く・・・。
この非常事態に、政治が全くといってよいほど機能していない。
永田町の混迷は、ますます深まる一方だ。
辞めると言いながら、一向にその気配が見えない。
菅首相は、いったい何を考えているのだろうか。
このところずっと、「ぶらさがり」からも、マスコミの取材からも逃げ回っていた首相が、脱原発をアピールする緊急記者会見を行った。
ところが、公式の場で表明した会見の中身は、政府の見解ではなく、自身の思いを述べたに過ぎないといって釈明したというから、あきれる。
おそらくは、当初の思い付きで、周囲には何の根回しもないのに、公式の政府見解としたかったのではないか。
そこへ、閣内から不協和音の大合唱が起きてしまったものだから、これは当然だ。
一国の首相の発言の重みが、この人にはわかっていないのか。
自分の、単なる思いだけで記者会見までやるものか。
そんな会見は、時間の無駄だ。
菅首相のこれまでの発言は、ことごとくこんな調子で、何かあれば言い訳に終始し、詭弁を弄しているに過ぎない。
しかも、確かな展望や論拠があるわけではなく、場当たり的だから、始末に負えない。
首相の姑息なやり方が、与党野党の苛立ちを呼び、一日も早く退陣をということになる。
こういう人が、私利私欲のために、総理の座に居座り続けること自体、まことに奇怪きわまる異常事態なのだ。
だからといって、執行部や閣僚の面々までが、公然と首相批判を繰り返すばかりで、菅首相を総理の座から引きずり下ろすこともできないでいる。
何という情けなさか。
何という政権の体たらくか。
岡田幹事長は、「やるやる詐欺幹事長」の異名があるそうで、この人をもってしても、政権にしがみつく菅首相を辞めさせることができない。
この人、菅首相が辞めない時には自分が身を処するとまで言い切った人だ。
一方で辞任を迫りながら、首相批判だけを延々と繰り返している。
経産相、財務相、官房長官、国対委員長しかりだ。
誰も、本気で政権を辞めさせる気などないのだ。
それでいて、いまの地位に自分たちが居座りたいわけで、お互いに黙認し合っていて、これも延命のためでしかない。
いずれ辞めるだろうという首相に、本気でついていく人間などいないものだ。
延命だけが目的のような政権だから、何でもありで、なりふりなどかまっていられないのだ。
この深刻な事態に、奇矯な集団がやろうとする政治で、この国は、果たして再生できるのだろうか。
内閣支持率が10%台まで落ち込んで、いまや誰もこの内閣を信用していないし、期待もしていない。
与党も野党も、政治家(政治屋)は本当に頼りにならない。
恐るべき体たらくの、堕落集団となってしまったのか。
東日本大震災の被災地はどうなるのか。
何だか、そっちのけにされているような気さえする。
被災地では、がれきを乗り越えて復旧を目ざし、まだまだ収束のめどすら立たない福島原発では、放射能を浴びながら一致団結して頑張っているのに、国権の最高機関の国会議員は、党利党略むきだしで不毛の争いを続けている。
国民は全く無視されている。
他国では、こんな状態が続けばテロや暴動が起き、収まりがつかなくなるだろう。
そうなれば、最高責任者たるものは、間違いなく辞任に追い込まれる。
それなのにどうだろう。
この国の最高責任者は、夜ごと高級飲食店で家族ぐるみ、親しい(?)側近だけを連れて、贅沢なディナーににんまりと舌づつみを打っていると、もっぱらの噂である。
国民にはどう映るだろうか。
大体、会食といえば夫人同伴で、この国難の時代にわが世の春を謳歌するなど、権力の頂点に立つとこうも人は変わるものか。
菅首相には、いつも夫人が指南役だというが、古来政治に女が顔を出すとろくなことはないようで・・・。
折しも、ドイツで開催されているサッカー女子ワールドカップ決勝、日本―米国戦(日本時間18日未明)に、菅首相が政府専用機を使って応援に乗りこむことを検討していたそうだ。
東日本大震災の復興が遅々として進んでいないのに、数千万という巨額の経費を使って、サッカー観戦など世論を逆なでする行為に待ったがかかり、これはさすがに断念したらしい。
それは、当然というものだ。
福島原発に発した放射能汚染も広がる一方で、とどまるところを知らない。
ここへきて、いままた、三浦半島を震源域とする大地震の予兆まであると言われている。
不安は募るばかりだ。
政治が当てにならない今、未曾有の国難をどうやって乗り越えていくか、国民の叡智が求められている。
国家のために、自分の身を投じる覚悟がなければ、本当の政治家とは言えない。
いま、そんな人がいるだろうか。
狂人のような、ハチャメチャな内閣は、一刻も早く終わらせなくてはいけない。
希代の暗君には、早々に退陣してもらいたい。
日本が、悲しみの国でなくなるために・・・。
参議院予算委員会は、菅首相の退陣をめぐって、大荒れとなった。
国会中継は、凄まじいものだった。
菅首相の悪名は高まる一方で、とうとうペテン師とまで呼ばれて・・・。
正体見たり、何とかというではないか。
菅政権発足から、間もなく一年になろうとしている。
しかし、政治は、依然として不毛の空白を続けている。
ここへきて、退陣表明しながら居座りを続けているように見えた菅首相に対し、身内からも早期退陣の強い声が起こった。
当然だ。
このままでは、野党の猛反発もあって、協力を得られるはずもなく、国会運営さえままならないからだ。
原発事故を隠れ蓑に、「これであと2年はやれる」と言って自らの延命を画した菅首相が、退陣の意向を固めたことを、閣僚に明言したと伝えられる。
まさか、これは誤報ではあるまい。
いま大切なことは、何をおいても、大震災と原発事故で惨憺たる状況下にある、東北の市民生活の復興だ。
何もかもが、遅々として進んでいない。
一刻の猶予もできない。政争をしている場合ではない。
しかし、いまの菅首相の手腕では、到底手におえるものではない。
大義がないとも言われる不信任案が否決されたことで、民主党の亀裂はまた一段と深まった。
むしろ、民主党が二分しようが、大連立を模索しようが、新党が生まれようが、かくなるうえは政界再編こそ必要だ。
きっと、そういう方向で動いていくに違いない。
自民も、民主も、あまりにも心もとない。国民は皆そっぽを向いている。
そうであれば、菅首相は速やかに辞任し(あるいは辞任させ)、一日も早く救国内閣を誕生させ、政策を強力に推し進めていくことだ。
やるべきことは、山のようにある。
それなのに、この体たらくである。
レームダック化し、瓦解寸前の政権にあって、誰がまともに政治と向き合うというのだろうか。
辞めると分かった首相を、誰も相手になどしない。
菅首相退陣論が相次いだが、ご本人も、いよいよ、これを受け入れざるを得ないと判断したのか。
特例公債法案やら、二次補正編成やら、そのほか諸々の法案を通す道筋も、ねじれ国会の状況の中で、いまのままでは立ち行かないだろう。
それは、もはや首相のリーダーシップなど全く期待できなくなっているからだ。
つまりそのことにも気づかずに、まだ何もめどが立っていない、自分はまだ責任を全うできていないといった理由で、今度もまたひたすら自分の延命を図ることはないだろうか。
これまで、散々詭弁を弄し、不毛な禅問答を繰りかえしてきた人の言葉を、誰が素直に信じるだろうか。
この世界は、いつも二転三転、急転があってもおかしくない。
何しろ、一寸先は闇なのだから・・・。
この未曾有の混迷、混乱から立ち上がって、国民生活を最優先の大転換を図って、不毛の政争に、いい加減に今度こそ終止符を打ってほしいものだ。
一説では、菅首相が8月までに退陣意向を固めたとされることで、後継首相を決める「民主党代表選」の駆け引きが、早くも水面下で慌ただしくなってきた。
この夏、迷走政治が大きく動く・・・?
いや待てよ、Xデーは、そう遠い先ではないともささやかれているが・・・。
菅内閣不信任案は、採決直前まで、賛成と反対が拮抗していた。
予断の許されない、波乱が予想された。
決起の誤った情報が、騒ぎをいたずらに大きくしていた。
ところが、すったもんだの挙句ふたを開けてみれば、不信任案は反対多数で否決された。
民主党の大量造反は、ぎりぎりのところで回避された。
だが、これは実におかしいと言わざるを得ない。
衆議院本会議直前の、鳩山前首相と菅首相との会談で、菅首相は、震災対策のメドがついた段階で、退陣することをほのめかしたとされる。
しかし、ここで取り交わされた文書は「確認事項」であって、震災復興への取り組みについての覚悟に触れているものの、「退陣」「辞任」の一言も入っていない。
もちろん、両者の署名もない。
これは何なのだ。
いまになって、首相退陣の時期をめぐって、どうやら新たな火種がくすぶっている。
鳩山氏は、6月中をメドに菅首相が退陣するとの認識を持ったというが、どこまで正気なのか。
このことがあって、首相退陣と不信任案否決を引き替えに、大量造反は一応回避された。
ずいぶんとあっさりしたものだ。これまでの騒ぎは何だったのだろう。
二人とも大人同士で、一体何を約束したのか。
おかしいのは、菅首相が、具体的な退陣の時期については、一切明言していないことだ。
この後で、岡田幹事長は、記者団の質問に答えて、この会談はあくまでも確認事項であって、辞任の条件ではないとまで断言した。
鳩山氏は、嘘をついているといって怒りをあらわにしたが、時すでに遅し・・・。
何もわかっていない。どこまでお坊ちゃんなのか。
まんまとやられたというのは、この人のことをいうのではないか。
大体、鳩山氏が出てくるとろくなことはない。
確認事項(書面)に、「復興基本法」「二次補正」の文言はあっても、それは「復興」にめどが立ったら退陣するということで、首相が「まだ復興にめどが立っていない」と言えば、それまでだ。
菅首相は、いつまでも、言い訳をしながら続投できるということだ。
これでは、「だまし討ち」にもなりかねない。
鳩山氏も鳩山氏だ。あきれてものも言えない。
両者に、こうも齟齬があるとは・・・。
「辞任」の文字の一言もない、玉虫色の確認事項が、内閣不信任案を否決に導いた。
否決された時、菅首相は薄ら笑いを浮かべていた。
・・・実に、後味の悪い、ふざけた茶番劇である。ひどい話だ。
菅首相は、お遍路をまた続けるそうだが、‘早期退陣’で巡礼を再開する今度の札所は「延命寺」だそうで・・・。
まあ、そんなことはどうでもいい。
貴重な時間を費やした、とんだ田舎芝居に大震災被災地の人々は怒っている。
そして、こうも言っている。
「総理大臣に、誰がなったって同じだ。国会ですったもんだやってないで、一日も早く復興させてほしい。私らは、そんなこと誰だっていいんだ」・・・。
「急流で馬を乗り換えるな」という先人の言葉があるが、激流で立ち往生し、にっちもさっちもいかなかったら、いよいよ馬を乗り換えなければならない。
たとえ‘命がけ’の乗り換えになっても、その方が、このまま流されるよりはまだましだと思う考え方にも、一理ある。
究極の危機感、悲壮感は、そういうものだからだ。
野球でも、その他のスポーツでも、思うように実績が上がらず、無能な監督やコーチが失敗を重ねていたら、退陣を突き付けるのは当たり前のことだ。
そんなことは、子供だって知っている。
首相に代わる、人材がいないことはない。
少なくとも、彼以下(!)の人材はいないだろうし、極端だけれど、まだ他の誰かの方が・・・、とまで言われているからだ。
今の首相の仕事ぶりなら、出来ないわけがない。
頭を替えるくらいのことは、一日か二日あれば出来るといわれるし、現在の国難に立ち向かうには、菅首相でなくてもその気になればやれることだからだ。
原発情報は、隠蔽と訂正、嘘と真実が二転三転し、震災で避難している人たちの、本当の情報も100%伝えられていない現状だ。
まだまだ知らされていない情報が、いくらでもある。
いま、政府、官邸、東電、被災地どこに目をやっても、気の抜けない有事緊迫の日々だ。
国民から選ばれた国会議員は、身命を賭して、それこそ不眠不休で、国家国民のことを考えて頑張ってもらいたいものです。
世論調査によると、いま7割の国民が、一日でも早い首相退陣を求めている。
聞いて驚く、7割だ。
もし、国民を裏切るようなことがあれば、政権交代は何だったのかということになる。
いや、かなりの国民はそう思っている。
何故、いまの時期に不信任案だったのか、ということもわかる。
もう待てぬ、そこまでせっぱつまっているということの裏返しだ。
福島のある老人は、とにかく首相がすぐにも変わってもらって、それから本腰を入れて復興事業に取り組んでもらいたいとも言っている・・・。
そういう民の声を、菅首相はどう聞くか。
日本人は忍耐強いといわれる。
こんな国難のさなかで、政府の対応のまずさに怒りを覚えながらも、暴動ひとつ起きない。
デモもない。クーデターもない。
あまりにも静かである。あまりにも・・・。
あきらめだろうか。
嫌な言葉だが、メルトダウンは原子炉だけではないようで・・・。
菅政権も、いま日に日にメルトダウンしているのではないか。
先行きの全く見えない闇の中を、何もかも手さぐりでさまよい続けている。
国民は、それにどこまで耐えられるだろうか。
果たして、民主党政権は、この未曽有の大不況に対応できるのだろうか。
挙国一致も、挙党一致もできない。
強力なリーダーのいない、情けない政権だ。
こんな政権が、まだまだ続くのである。
6月2日、イギリスのフィナンシャル・タイムズの社説は、菅首相がとうとうレームダックになってしまったと報じている。
・・・やがて梅雨が明けると、炎暑の夏の訪れとなる。
東日本大震災の被災地では、発災から3カ月になるというのに、不自由な生活を強いられている避難者はは10万人を超える。
仮設住宅を建てるという公約も反故にされ、原発収束の見通しも立たない。
いつまでも不毛の政治が繰り返される中で、避難者の憤怒と怨嗟の悲鳴は、いまだ止む気配さえもない・・・。
季節だけは、確実に春に向かっているというのに・・・。
全世界に、テレビを通して放映された惨憺たる光景は、もはやこの世のものとは思えませんでした。
みちのくの人々の暮らしのすべてを呑み込み、多くの街々が、一瞬にして消え去ってしまいました。
いま、無情の時だけが過ぎていきます。
連日の新聞、テレビの報道に接して、もう他人事とは思えず、余震もあってか、いろいろなことが脳裏をよぎって、ゆっくり寝つけない日々を送っています。
東日本大震災で、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心からお見舞い申し上げます。
どうか、一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。合掌。
M9クラスの大地震と大津波の威力について、どれだけの認識を持ち得ていたでしょうか。
おそらく、誰もが想定外のことだったわけで、津波の本当の恐ろしさが、全くと言ってよいほど伝えられていなかったように思えます。
地方の行政は、これまで何をしてきたのでしょうか。
防災対策は万全だったと、言えるのでしょうか。
追い打ちをかけるように起きた、相次ぐ原発の爆発事故では、放射能による大量被爆の新たな恐怖に直面し、なすすべもないのでしょうか。
日本の発電の3割を占めるそうですが、地震大国の日本で、沢山の原発施設が必要なのでしょうか。
それよりも、電力消費の無駄な部分を、もっと見直してはどうですか。
原発とてダムと同じで、政管癒着の構造の中で、一部の業者や役人の利益になっているというではありませんか。
いまの日本のそうした社会構造に、大いに問題があります。
福島原発は、安全性の面で、根本的な疑問を投げかけています。
いまや、核被爆国たる日本に、その選択を抱えている問題を、大きく見直す必要があるといえます。
どこが安全なものですか。
「安全神話」は、まやかしに過ぎません。
日本に、原発は向いていないと思うのが自然です。
福島原発は、1基で、広島の原爆700発分以上の核を燃やしているといいます。
かりに1基分の1%といえども、原爆4発以上に相当するから、もし放射能が漏れるようなことがあったら、大惨事は免れないでしょう。
そう思うと、ぞっとします。
地震、津波に、さらに追い打ちをかけるような惨事の連続です。
それで、本当に「安全」なのですか。「大丈夫」なのですか。
決して予断の許されない状況が、いまも続いています。
大津波の惨事といい、原発事故といい、「想定外」といいますが、大惨事というのはいつだってそうした「想定外」で起きるものです。
途方もない数の人々が避難民となり、行き先もままならないままさらに増え続けています。
最終的には、50万人(3月16日現在・朝日新聞)に達するとういう声もあります。
食料や医薬品なども、ここへきてようやく被災地に届き始めたばかりです。
頼りにすべき菅民主政権は、千年に一度(?)の大災害を前に、おろおろするばかりです。
東京電力の計画停電についても、もう少しやり方を考えて、住民にわかりやすい伝達を心がけてほしいものです。
グループ分けもそうですが、いつどこでということが、初めはよくわかりませんでした。
停電は、やむを得ない措置です。
ただ、時間帯、場所、対象をよく考えて、住民の生活を最優先に、統一性のある方策が考えられないものでしょうか。
そんなときに、東京ドームでの、プロ野球のナイター開催が決まりましたが、何故、いまナイターなのか、理解に苦しみます。
国民に勇気を与えるための強行だそうですが、さあどうでしょうか。
開催時に、ナイター分だけで約4万キロワット(一般家庭5000世帯分)の電力を消費するそうです。
多くの市民が、計画停電に黙々と従っている時に、ずいぶん現実離れのした話ではありませんか。
東電については、計画停電もそうですが、突然の鉄道運休でも大きな混乱を招きました。
あれは、何なのですか。
駅に行くまで知らなかった人が、ほとんどだったといいます。
東電については、情報の徹底といい、その対応のまずさが指摘されました。あまりにも官僚的で・・・。
原発事故は、初期の監視段階で異常を早く見つけられなかったことが、事態の深刻化を招いたのです。
言ってみれば、原発事故は、明らかに人為的なミスが、大事故につながったと考えられます。
どうも、確かな情報がいまだに後手後手に回り、1分1秒の時間との戦いになっています。
果たして、国民には、間違いなく本当のことが、伝えられているのでしょうか。疑わしくもなってきます。
どうか、原発被害を最小限に抑えて、どんなことがあっても、怖れている最悪の事態を回避して頂きたいものです。
スーパーをのぞいてみました。
被災地でもないのに、食料品(牛乳、パン、納豆、卵、米)の品切れが続き、おひとり様1個までと書かれたトイレットペーパーを、家族4人で4個も買い占めていく人たちを見ました。
首都圏にまで広がってきている、ガソリン不足は言うに及ばず、家電量販店では、乾電池、蝋燭、懐中電灯まで、姿を消してしまいました。
余震やら、今後起きるかもしれない災害への不安から、多くの主婦たちが買いあさっている姿を目にしましたが、これとても政府が当てにできないからで、食品パニックがあちらこちらで起きているのです。
そして、このことが、今後の食料品価格の急騰にだってつながりかねません。
解りきったことですが、こういう時は不要な外出も控えて、本当に必要なものだけを買い求めればいいのではありませんか。
いたずらに、妙な群集心理に惑わされずに、買い占めは控えたいものです。
いま、被災地では、物資が不足しています。
鉄道や陸路が寸断されているなら、自衛隊の空輸で、どんどん空からの投下作戦だって考えられるはずです。
あらゆる手段を講じて、救難作業の道を急がなければ、冷たい寒さの中で避難している人たちを救うことはできません。
生存者の救出、被災者のケア、原発対応、復興支援、これらすべてを同時進行で、的確かつ迅速に履行しなければならないのです。
それが、政治というものです。
「水をくれ、食べるものをくれ、毛布をくれ、暖房器具を!」
かつてなかった深刻な危機が、喫緊の救援を求めています。
いま、国会議員の皆さんは何をしていますか。
どうぞ、飢えと寒さに苦しんでいる人たちの、悲痛な叫びを聴いて下さい。
国は、総力を挙げて、国民の生命と財産を守るべき義務があります。
国家未曾有の大災害のただ中ですから、もう不便や我慢は覚悟の上で、誰もがともに助け合い、この困難と戦っていく努力が求められています。
被災地で頑張っている、自衛隊員が言いました。
「これは、もう戦争だ」と。
日本人は、これまでも幾多の困難と戦ってきた、強い国民なのです。
人は誰でも、何か出来ることがきっとあるはずです。
たとえば、節電だっていいではありませんか。これぐらいは出来ます。
日本人は、みんな仲間です。
困ったときには、支え合って、ともに生きる同胞です。
重大かつ深刻な国難、この未曾有の危機を乗り越えて、必ず新しき明日の来ることを信じて・・・。
合掌。
そうか、やっぱりあったのか。
4年前、週刊誌が大々的に、大相撲の八百長を連続キャンペーンで、これでもかこれでもかと報道した。
あの時、、あまりに手口などが詳細に書かれていて、これは本当ではないかと思ったほどだ。
日本相撲協会は、異例の告訴で対抗して、講談社は4000万円もの損害賠償を命じられたのだった。
裁判は最高裁まで争われ、講談社が敗訴した。
いまになって、それ見たことかということになった。
司法までも欺いた事件だ。
今後、出版社側が逆襲に出ることは間違いない。
今週の週刊誌は、さぞかし賑やかなことだろう。
問題のメールの中身が、次から次へと明らかにされ、あいた口がふさがらない。
これは、もはやうやむやな決着では逃げ切れない。
ゆゆしい問題だ。
八百長があったことが事実と分かり、高額の訴訟を封じ込めようとしてきた、相撲協会の体質こそ問われるべきではないか。
何が、「八百長は一切なかった」か。
日本相撲協会が、力士を呼んで事情聴取をしたところで、真実がすべて明らかにされるだろうか。
この一件、これまで、協会も力士も一緒になって、証拠を隠滅してきたのではないか。
ここへきて、いま相撲賭博の疑いも出てきた。
日本相撲協会とは、いったい何なのだ。
もう、この際すべて解体してはどうか。
こういう事態に立ち至ったのは、協会の、体質的な問題があるからではないのか。
八百長は、昔から恒常的にあったことで、何をいまさら大騒ぎをするかとの声も聴く。
これでは、「国技」が泣く。
「国技」も土俵際だ。
大げさに報道でまくしたてるマスコミまでも、こぞって八百長問題を糾弾している。
公益法人の見直し、取り消しはもちろんだし、どっちもどっちである。
八百長事件を仕組んだ力士、知ってか知らずか(おそらく知っていた)それをひた隠しにしてきた相撲協会、こういうこととなると目の色変えてここぞとばかりまくしたてるマスコミ、みんなおかしい。
相撲ファンや、国民の期待を完全に裏切った、許されざる者たちとは、この者たちだ。
今後、客離れは当然だし、一切の膿を出すときだ。
今や八百長が日常化していて、力士たちも、大して悪いことをしたとは思っていないのではないか。
何が、真剣勝負なものか。聞いてあきれる。
ばかばかしい。
この体質、そう簡単に治りそうにもない。
春場所中止決定は当然だし、国技の信頼は、根底から崩れてしまった。
協会もいらない。
大相撲消滅ということだって、現実味を帯びてくる。
相撲協会85年の歴史というが、いよいよその幕を閉じることになるか。
「まずぶつかって、そのあとは流れで、すぐはたかないで、最終的にはすくい投げで、駄目なら20万は返して」ね・・・。
残った、残った。はっけよい、残った。
証拠も残った。
春の風が吹いている。
立春を過ぎて、ときに暖かな日差しも眩しく感じられる。
早春の花、白梅、紅梅がちらほらと、本格的な春の訪れもそう遠くはなさそうだ。
総務省によれば、現在全国の90%超が、すでに地デジに移行したというのだ。
これ、本当だろうか。
もっともこの数字は、はじめからバラつきがあり、地デジ受信機を持つ世帯の割合だから、詳細はわからない。
むしろ、疑わしい。
仄聞するところでは、たとえば鹿児島県の普及率は86%だというが、今のスピードでいくと、とても7月までに全普及など難しいらしい。
地デジ化となれば、テレビ本体はもちろん工事代など当然自己負担だ。
ただし、申請によって,国費でアンテナ工事をし、地デジを古いテレビで視聴するためのチューナーを配ってくれる。
でもこれは、NHKの受信料免除世帯270万世帯などだそうだ。
それに、日本の生活保護世帯は約140万といわれる。
こうした人たちは、テレビ代やアンテナ工事費(およそ10万円)が払えないでいるのだ!
総務省の想定は、どの程度まで踏み込んでいるか、疑わしい。
地デジ化は、いわば国策だ。国が勝手に決めたことだ。
だからとて、本来無料でというわけにもいかず、国民に強制しているとすれば、これは違法ではないかと、国を相手取って、とうとう地デジ移行差し止めの訴えを裁判所に起こした人がいる。
鎌倉市の難視聴地域で、現在も電波の届きにくいところに住んでいる。
国民が、自己負担なしで地デジを完全視聴できないのはおかしいし、「国民の知る権利を定めた憲法」に反するとして、アナログ放送を中止するのではなく、継続すべきだというのである。
訴訟の成り行きに、注目だ。
一理ある、ごもっともな意見だ。
つまり、とにかく見られればいいのだからと、地デジとアナログ放送を両立させてはどうかという話だ。
そうすれば、いろいろと助かる人も多いかもしれない。
誰もかれもが、‘完全無料’で地デジ化できないのだから、お金に困っている人の中には、地デジを見られない人も出てくるだろう。
果して、低所得層の普及はうまくいっているのだろうか。
生活保護世帯と同レベルの収入しかなくて、何らかの理由で、生活保護を受けていない世帯が多数あるそうだ。
そうなると、資産もなく、わずかな国民年金だけの老夫婦の世帯とかを合わせると、おそらく全国規模では600万世帯はくだらないだろうといわれる。
そうした、低所得層全てを網羅した世帯への地デジ普及にまで、総務省は綿密な計算をしているのだろうか。
総務省のデータも、どこまで想定しているか、極めて疑問だ。
あれやこれやで、地上アナログ放送を延期すべきだとの提言(「地上アナログ放送を停止出来ない10の理由」)まであるくらいだ。
坂本衛氏の、説得力のある、大変興味深い提言だ。
個人的には、アナログ放送も地デジもどちらも幸い支障はなくなったが、両者を見比べたら、断然地デジのほうがいい。
画質も音質もいうことなしだし、気象情報などリアルなデータ放送も便利だ。
ただし、すべての番組の質までよいとは言えない。
バラエティ番組やドラマなど、内容そのものまでよくなるわけはない。
せっかくの地デジなのに、まるで小学校や中学校の学芸会みたいな長時間バラエティなど、いい大人がやっているのはひどいものだ。
旧態依然だ。
製作費とか、各局の事情もあるだろうが、この際番組の質も考えてもらいたい気がする。
それから、あのテレビ画面上下の黒みに出るアナログ終了の告知、あれはどうにかならないものだろうか。
わかりきったことを、しつこく流していて、鬱陶しいことこの上ない。
DVDのレコーダーを買う余裕もなく、アナログで録画する人もいるご時世に、不満も募るというものだ。
あまりに無頓着だ。やめてほしい。
ドラマの、しんみりとしたいい場面でもお構いないのタイミングで、がっかりするする視聴者も多いのでは・・・。
もっとも、こうしたことは、民放番組のところ構わずやたらと多い、CMだってそうだ。
完全デジタル化されると、すべてのテレビで、受信料のかかるNHKのテレビを見たくなかったら、NHKを受信しない設定もできるようになるそうだ。
何かと問題の多いNHKを、自分のところは映らないようにしてくれということができるらしい。
そうなって、受信契約拒否が増えたら、受信料不払いが増える。
ということは、つまり、受信契約者の負担が増えはしないか、ということになる。
そうでもしないと、天下のNHKの経営が苦しくなる・・・?
「エコ」のおかげで、昨年は地デジ対応の薄型テレビが結構売れたようですね。
そんなこともあってか、今年7月段階での予測では、テレビ受像機はどうも不足するらしい。
それに、急増する(?)テレビの需要は2台目、3代目の購入が多く、世帯普及率の伸びは逆に鈍化してきていて、総務省でも深刻な懸念材料となっているときく。
どうせはじめから国民の声など無視した、総務省のやることだ。後で慌てても、後の祭りだ。
・・・ともあれ、総地デジ化で最後に笑うのは、一体誰か。
どこまでも、あれやこれやと人騒がせな、たかが地デジ、されど地デジなのだ。
歌舞伎俳優の、市川海老蔵殴打事件の騒々しさは、異常だ。
ニュース番組の冒頭に、いきなり緊急謝罪会見が生中継で飛び込んできた。
一体、何事かと思いましたよ。
驚かさないで下さいな、ほんとうに・・・。
まことに神妙な会見だったが、当人の釈明を、どうしても素直には信じがたい。
歌舞伎界の名門の御曹司が、酔っぱらって絡んだ相手にボコボコとやられて、けがを負うという醜態をさらしたのだった。
この人の酒癖の悪さは、どうも半端ではないらしい。
今回のこの一件、いつかこんなことが起きても不思議はなかったようで・・・。
普段の人に対する、ちょっとした不遜な態度が相手を怒らせて、火に油を注ぐ事態になったとしても当然だ。
当人は、あくまでも自分は傷害事件の被害者だと言っていて、自分には落ち度が全くないというのなら、どうして幾度も頭を下げなければならないのか。
どう見ても、この茶番のような会見は、かしこまって慇懃、虚々実々の、自分に都合の良いシナリオに思えてならない。
少し言い過ぎかな.
このような謝罪会見というと、そんなことはよくあることだし、言っていることは一方的で、疑問だらけで、大体釈然としないものだ。
人は誰でも、こうした事案では、自己に不利な証言を極力控えて、相手の非を責める。
今回の事件の経緯など、こちらは、さらさら興味も詮索する気もないが・・・。
酒の席ではよくあることだし、まともに論じることさえ憚られるというものだ。
どちらかが仕掛けて、手を出したから、こういう事態に至ったことに相違ない。
いい気になって酔っぱらって、痴話喧嘩が高じて暴力沙汰になったまでのことだ。
どっちもどっちで、一方が名だたる歌舞伎役者だったばかりに、とんだ大騒ぎになったまでだ。
問題は、テレビや新聞がそのことを連日大々的に取り上げ、これでもかこれでもかとはしゃぎたてることだ。
この、愚かで滑稽なまでの大騒ぎは、一体何なのだ!
少し、変ではないか。
これまた、救いようのない、マスコミの体たらくだ。
人間は、酒に酔うと記憶だって曖昧になる。自分が何をしでかしたか、それすら覚えていないから始末が悪い。。
当事者の発言はもちろん、目撃者の発言だって、すべては信じがたい。
酔っ払いの起こしたことに、誰がまともに付き合えるというのか。
そういう立場で、およそ見たくもない突然の謝罪会見だった。
それが、とんだ茶番のおかげで、もっと大事なニュースがあったはずなのに、それもどこかへすっ飛んでしまった。
テレビもテレビである。
そんなことだから、後味が悪かった。
しばらくは、気分がすぐれなかった。(笑)
松竹は、海老蔵の無期限謹慎を発表し、当面舞台出演を見合わせることにした。
当然のことだ。
世間知らずの、大きな坊やの払う代償は大きい。
酒は禍のもと、酒が身を滅ぼすとは、よく言ったものだ。
ただ、優れた役者は、いつも身辺に気を使い、自らを厳しく律し、健全な私生活、社会生活を送ることを心がけるものだ。
そして、自分自身を大切に考えて行動するものだし、それができないようでは、芸人として一人前とは言えないのではないか。
無理もない。
名門の御曹司だから、周囲からちやほやされながら育ってきた。
その彼自身も語っているように、自らにおごりがなかったとは言えまい。
それにしても、テレビや新聞の連日の報道は、この事件や会見の模様の伝え方に問題もある。
検証も十分でないまま、双方の言い分だけが都合よく“操作”されて、メディアは既成事実のように報じることだってできる。
都合の悪いこと(それもいろいろあるだろう)は、伝えようとしないのだ。
そこに、当事者擁護一辺倒の垂れ流しに走る、明らかに、マスコミの偏向と無節操が透けて見える。
もしそうだとすれば、それはマスコミの愚挙というものだ。
市川海老蔵本人の言い分を、そのまま真に受ける人がどれだけいるだろうか。
とはいえ、まだ新婚33歳、れっきとして世に知られた、坊や(?)みたいないい大人が、こんな騒ぎを起こしてどうするのか。
またしても、いやはや、何とも情けない話であることよ。