胸がかきむしられそうだ。
悲しくも、痛ましい。
大都会の真ん中で起きた、1歳と3歳の幼児(姉弟)虐待事件のことだ。
お腹が空いていたことだろう。
辛かっただろう。
苦しかっただろう。
悲しかっただろう。
多くの住民が近くにいながら、誰も幼い命を救うことができなかった。
こんなことがあっていいのだろうか。
子供の泣き叫ぶ声を聞いた人は、ひとりではない。
児童相談所へも、早朝、夜間と数回にわたって通報があったそうだ。
だが、様子を調べにきた職員は異変に気づかず、何事もなかったかのように戻ってしまった。
それも、5回も家庭訪問をしていて、何も気づかなかったのか。
呆れた話だ。
平成20年4月に、改正児童虐待防止法が施行された。
これによって、緊急の場合、家の中を強制的に立ち入り調査をすることが可能になっていた。
たまたま訪問した時には、子供の泣き声もしなかったので、不審に思わなかったらしい。
何としたことか。
もちろん、マンションの部屋に誰が住んでいるのかも把握できなかった。
それで、十分な調査をしたといえるのか。
子供が泣いているときはまだいい。
泣き止んだときこそ怖い。
そこを、どうして一歩踏み込もうとしなかったのか。
こうした事件が起きないようにするために、児童相談所はあるのだし、法改正まで行われたのだ。
まるで、子供の使いである。
もう、度し難い怠慢といわれても仕方がない。
これが、行政か。
育児放棄を示すネグレクトがあったにもかかわらず、行政は責任ある踏み込んだ対応を怠ったのだ。
そのことが、最悪の事態を招いてしまった。
昨年の児童虐待に関する相談件数は、4万件以上(!)にものぼった。
そのうち、虐待の疑われる家庭に強制立ち入りをしたのは、たった1件しかなかったというのだ。
これが、何を意味するか・・・。
児童相談所の職員は、いかなる事情があるにせよ、もっと積極的で真摯な対応をすべきだ。
もはや、人手が足りないとか、余裕がないとか言っている場合ではない。
児童虐待などの疑いのあったとき、いかにすばやく対応すべきかが問われる。
この事件があって、政府も地方自治体も重い(?)腰をあげたが、やることが遅すぎる。
やろうとすれば出来ることだ。それをやらないだけだ。
そんな行政でどうするのか。
この世に生を受けながら、子供たちが、安心して明るく平等に生きられる社会でなくてはならない。
そして、子供が唯一頼れるのはいつも母親だ。
母親がいなければ、幼い子供は生きる術がない。
子供を生きがいにして、身を賭して頑張っている母親もいる。
行政はもちろんのこと、そうした母親をまわりから支援し、助け合うような組織も場合によっては必要だ。
そうでないと、ネグレクト(育児放棄、責務怠慢)による悲劇は繰り返されることになる。
いつだったか、ある居酒屋で、知性と美貌を感じさせるご婦人が、ひとり手酌で飲んでいました。
誰の目にも、目立つ存在でした。
そのとき、カウンターの隣りにいた若いサラリーマン風の男性が、タバコを吸いはじめたのです。
たばこの煙が、女性のほうへ流れてきました。
その店は、魚料理で定評がありました。
新鮮な刺身までもが、受動喫煙のはめになっては、味も何もあったものではありません。
それに、煙をもろに顔に受けて、女性はどうにも我慢がならなかったのでしょう、その男性に向かって、突然大きな声で言ったのです。
「あなた、やめてくれませんか。まずくなるじゃありませんか。台無しだわ、もう!」
語気荒い発言に、一瞬どうなるかと思いましたが、男性はちょっと不満そうな顔を見せただけで、喫煙をやめたのです。
たちの悪い客だったら、どうなっていたか分かりません。
店の女将も、マスターも、客席もその時はしんとなったものの、すぐ平常の状態に戻って事なきをえました。
その店は、禁煙の店ではありませんから、たばこは自由でした。
といっても、店側も喫煙しない客も、できれば受動喫煙は避けたかったはずなのです。
・・・この4月から、神奈川県では、待ちに待った(?)受動喫煙防止条例が施行された。
違反すると、罰則が科せられる。
全国に先がけてのこころみだ。
ただし、周知徹底するには、まだ時間もかかりそうだ。
大規模なホテルや飲食店では、禁煙か完全な分煙が義務付けられた。
ただ、小規模な飲食店、宿泊施設、パチンコ店など、努力義務にとどまっているところは、県内でも4万軒以上もある。
各施設の対応には、バラつきがある。
当然、大半の公共施設では、すでにもうこの制度を導入しているところもある。
健康管理の点からいえば、もう文句なしのこの制度、一方では条例に反対だからと、禁煙の店には行かないと憤っている主婦もいるようで・・・。
愛煙家が肩身の狭い思いをするのはわかるが、これが時の流れというものだ。
神奈川県は、たばこ対策室を課に格上げした。
早速、受動喫煙対策指導員として、条例の周知や過料(罰金)の徴収にあたるというから、そんなお世話にならない方がよい。
どうしてもという愛煙家には、どこにもという訳には行かないが、喫煙所もある。
たばこを吸いたい人に、絶対に吸うなとも言えない。(いまのご時世、あまり感心できないが。)
そういう人は、吸えるところで、吸うようにすればいいだけのことだ。
子どものいる母親は、この制度に大喜びだし、<スモークフリーキャンペーン>の実施も、県内では歓迎ムードだ。
この条例を神奈川県が施行することによって、いずれは、国が重い腰を上げるようになればいいのだ。
海外では、あたりまえのことだ。
小規模店では、このために、店の設備を変えて条件に合わせるようにするのに、500万円以上がかかるというから、おいそれとはいかない。
その場合は、廃業しかない。(!?)
この全国初の条例、さまざまな戸惑いの声をよそに、とにかくスタートを切った。
これから3年ごとに、条例を見直しするなどして、規制を徐々に強化していく方針だ。
もはや、禁煙のすすめは、時代の要望なのだ。
えっ、私ですか。
日本たばこ産業様。
私は、今も昔も、たばこなんて吸いません。はい、吸いません。(どうも、すいません。)
振り返れば、昨年3月の西松建設事件を発端に、世論の支持を受け、高まりつつあった政権交代のムードに、検察が介入し暗い陰がさした。
検察が、である。
あれは、そもそも、総選挙で民主党に政権を取らせたくなかったからではないのか。
しかし、結局西松事件では何も出てこなかった。
・・・あれから一年、検察は焦ったのかどうか知らないが、小沢氏の資金管理団体の土地購入疑惑に手をつけたのだった。
どうも、そこから水谷建設側の証言をもとに、裏金が使われたかのような(?)筋書きとなった。
それを、マスコミと自民党が躍起となって後押しする。
ここに、恐るべき世論‘捜査’が生まれる。
しかも、一週間前の日経新聞、読売新聞の夕刊が、石川議員から押収した手帳に問題の5000万円の授受があったとされる場所についての記事でも、供述による日付が一致しないという大誤報で、両紙は翌日ひっそりと訂正記事を掲載し、当該部分を取り消すという赤っ恥をかいたのだ。
土地取引疑惑だって、現金で土地を買うようなケースでは、購入日と所有権移転登記の日付が1年ずれたって、何ら問題はないはずだ。
発行日から3ヶ月以内の売主の印鑑証明が得られれば、足りることだ。
そんなことは、売主と買主の事情で、不動産取引ではよくあることだ。
それから、定期預金を担保に銀行からわざわざ借り入れをするのも、預金が多ければ多いほど銀行サイドでは解約など進言しないものなのだ。
銀行は大歓迎だ。
商売人は、いつだって運転資金を手元に置いておきたいものなのだ。
金があれば、すぐに返せる。だから、金利なんて、少々高くてもどうということもない。
金持ちには、金持ちのちゃんとした常識がある。
庶民が、ローンでマイホームを購入することとは、全くわけがちがうのだ。
それを、普通の感覚では到底理解できないとか何とか言っているが、それこそ業界の常識なのだ。
何も変ではないし、おかしくもない。
マスコミまでが、的外れなことを言っているだけだ。
2月4日で、逮捕されている石川議員の勾留期限が切れる。
この日が、事件の第二幕の始まりとなるのか。
新聞という新聞は、どれもこれも、小沢氏が幹事長を辞職し、離党となって、民主党政権へ決定的なダメージを与えるというようなことを、連日書き連ねている。
以前から、検察は小沢憎しだから、これは検察の描く当たり前のシナリオだ。
そうなったら、民主党はどうなるか。
剛腕の司令塔が消えると、政局はおかしなことになる。
政治主導、脱官僚は絵に描いた何とやらで、旧態依然の抜け殻みたいな政権になる。
かつて、マスコミによって(?)日本が戦争へと駆り立てられ、太平洋戦争へと突き進んだのだったが、あのときのようにはなってほしくない。
政権は、国民の民主主義で選ばれながら、これを否定する勢力に潰される。
どこか、戦前と似たような、嫌な構図が見えてくる。
一行政機関である検察の、勝手横暴な強引捜査はきっと行き詰まるのではないか。
民主党は、取調べの可視化法案や、検事総長人事を国会承認案件にすることに積極的だ。
このことは、検察や警察は避けたいのが本音だ。
もし、民間人が検事総長になったら・・・。
元大阪高検の公安部長の言っているように、検察と小沢氏の捜査は戦争みたいなもので、検察は積極的にマスコミに情報をリークし、あらゆる策略を使って捜査を自分に有利に進めようとするだろう。
民主党小沢幹事長は、一連の事件について、「近々決着する」と自信を示しているが、さあどうなるか。
昨年の西松事件直後に、大物検察OBが、捜査の舞台となった西松建設に天下っていた事実もあるのだ。
これだって、驚きだ。
いま、そんな政治とカネの問題より、国民がもがき苦しんでいるのはデフレ不況のはずだ。
国民の暮らしは、そっちのけである。
それなのに、カネ、カネ、カネのことばかりで・・・。
どうしてくれるのだ。
鳩山総理、愛や命の尊さはよく解った。
お母様を敬愛するも結構、詩人みたいなロマンあふれる美辞麗句より、もっと喫緊の現実を直視して、政権が交代したことの意味を考えて頂きたい。
・・・閑話休題・・・。
それにしても、国会は何をやっているのか。
あの、与野党のヤジの応酬は何なのだ。
「ヤジ禁止令」が聞いてあきれる。
それだって、いつも火をつけるのは自民党だ。
「バカ」とか「うるせいババア」などと・・・。
「うるさい!」
「なにがうるさいだ!」
「うるさいからうるさいと言っただけの話だ」
これまた、大臣ともあろうお方が・・・!
閣僚のヤジに、「品位を欠く」と叫んでかみついた自民党の「品性」も、まあどっちもどっちで・・・。
情けないですねえ。みっともないですねえ。
ヤジの応酬をする前に、もっと大事なことがあるのではないか。
梅がほころんだといっても、本格的な春は、まだまだ先のようで・・・。
年末から年始にかけて、テレビ各局恒例の特番合戦が繰り広げられた。
この年末年始週というのは、12月28日から1月3日までだ。
全日、ゴールデン、プライムと、視聴率3冠を獲得したのは日テレだった。
同時に行われた年間視聴率では、フジの3冠V6だったそうだ。
ただし、これはあくまでも視聴率という化け物の話なのだ。
だから、まあそんなことはどうでもよろしい。
各局の番組は、旧態依然のバラエティ、いまや当たり前になったクイズ番組、各種再放送のオンパレードと、どうも相変わらずの視聴者不在で、作る方も見る方も民度おして知るべしだ。
こういうのを、電波の無駄遣いと言わずして何というのだろう。
お笑い番組は、若手芸人の使い回しみたいで、内容も首をかしげるようなひどいものも多かった。
テレビに映れば総芸能人で、彼らが視聴率争いを演じるのか。
晴れ姿の女子アナ、紋付きはかまの司会者・・・、どのチャンネルも似たりよったりだ。
ありきたりで、どこにも新味はない。
そんな番組ばかりが多い中で、箱根駅伝は見応えがあった。
毎年、そう思って見ている。
一年の始まりにふさわしい番組だ。
特に、往路最終区間の箱根の山登りは、下手なドラマ以上に迫力があった。
生きている、すがすがしいリアルタイムのドラマとして・・・。
それと、始まった頃は12時間ドラマだったが、今年は7時間ドラマになってしまった大型時代劇だ。
娯楽作品としても、これが結構楽しめる。
時代劇の少ない今のテレビで、貴重な番組と思える。
正月にもふさわしい。
しかし、テレビ各局が、視聴率争いにどんなに血眼になっても、いい番組は出来ない。
映画、バラエティなど、これでもかこれでもかとやっきになって放送し、すさまじいバトルである。
それでもなお、そうして登場した番組に、大人がジックリと楽しめる番組は皆無に等しい。
したがって、どうしてもテレビをという向きには、朝から晩まで、悪ガキ向けのドタバタ騒ぎに嫌でも付き合わせられることになる。
テレビ局は、気がついているのだろうか。
これが、いまのテレビの惨状(?!)だ。
作る側と見る側と・・・、まあどっちもどっちか。(苦笑)
凡百のつまらぬ番組でも、作れば視聴者はいるものだ。
だから、いつも同じことが繰り返される。
番組を制作するテレビ局の、不埒な情熱と怠惰が一緒くたになって・・・。
どうでもいいなどと、暢気なことを言ってはいられない。
解っていて、甘んじて見ている人間が賢いのか、それとも愚かなのか。
・・・何と、今年は早くも、一般家庭向けに、3Dテレビが登場するというではありませんか。
官房機密費(内閣官房報償費)が、国会対策や外交上必要だということは理解できる。
しかし、前麻生政権は、最後までデタラメでいい加減だった。
衆院選惨敗で、政権交代が確定した直後に、残りの2億5000万円の官房機密費を支出していたというのだ。
ドサクサに紛れて、こんな持ち逃げ(食い逃げ?)みたいな汚い手を使っていたのか。
黙って見ていていいのだろうか。
もう、あいた口がふさがらないとはこのことだ。
自公政権時代には、毎月1億円前後の支出があったらしい。
でも、この最後の2億5000万円は、あまりにも突出した金額だ。
鳩山政権が発足したときは、金庫の中がカラッポだったというから、驚愕だ。
こうなると、あきらかに横領行為ではないのか。
国民に対する、重大な裏切りだ!
政権交代が決まり、麻生政権が下野する直前のことである。
一体、どんな必要な支出があったのだろうか。
このときの、衆院選直後の麻生総理は仕事らしい仕事はなにもしていなかった。
それなのに、それまでの倍以上の機密費を使わなければならない理由は何か。
河村前官房長官も、平野官房長官も、どちらもとんちんかんなことばかり言っていて、一向に要領を得ない。
言っていることが、よくわからない。
うやむやで、スットボケていて、何も知らぬ存ぜぬだ。
両人の弁を聴いていると、自民党も民主党もそっくり似たもの同志だ。
ふざけた話だ。
以前から、官房機密費の問題については、鳩山総理も透明性が大事だというようなことを明言していたはずだ。
どころがどうですか。
金庫がもぬけのからになったといっても、「政権交代時にはこういうことが起こる」と、トーンダウンしたのだ。
そういうものですか。
自民党は、選挙で惨敗し、政党助成金も大幅に減る。
これはまずいとふんでか、大急ぎで手を打ったというわけだ。
引き出せるだけ引き出して、自分たちの派閥や金庫に放り込んでしまったのか。
立つ鳥あとを濁して、自民党はそこまで腐りきってしまったのか。
自民党は、年末になると毎年モチ代と称し、議員たちに100万円単位の金が配られていたが、今年は取りやめになったそうだ。
(政党助成金をもらわない、共産党を見習ってはどうですか。)
09年予算でも、14億円も計上されている機密費だ。
以前は、マスコミ対策として野党議員や記者たちとの飲み会、議員の出身校の同窓会費や芋煮会などもあったそうだ。
最近では、外遊議員の餞別、随行議員の土産代や飲み代に使われたようだ。
やましいことがないなら、何も隠すことはない。
それがいやなら、官房機密費といえども「事業仕分け」の対象にと言いたい。
使途を明示する必要はないといわれる機密費だが、どうせ選挙で負けたのだから、最後に全部使ってしまえと考えたのか。
国のために使ったのなら、いっそ堂々と説明してはいかがなものか。
それかあろうか、民主党までが、鳩山政権発足後9月と10月の2回に分けて、合計1億2000万円の機密費を内閣府に請求し、受け取っていたが、使途などについては明らかにしなかった。
おかしいではないか。
民主党は、もともと官房機密費は公表すべきだという立場ではなかったのか。
内容(使途)を、基準をもうけるなりして、明確に国民に公表すべきではないか。
民主党は、与党時代の自民党のようにならないでほしい。
官房機密費といえども、何に使ったか、国民に納得のいく説明をする義務がある。
それは、このお金が、国民の税金だからだ。
アメリカのクリントン元大統領の訪朝で、女性記者二人が解放された。
これは、何はともあれ朗報だ。
アメリカ人記者二人は、3月に中朝国境で取材中に、北朝鮮に身柄を拘束された。
そして、6月に労働強化刑12年という判決まで受けていた。
今回のクリントン氏の訪朝では、「深い謝罪の意」を表明したといわれる。
当然、人道的立場からの送還を求めたのに対し、金正日総書記が記者二人の特赦を伝え、釈放を命じたのだった。
金正日書記との会談で、六者協議や非核化の問題まで具体的に話し合われたかどうかは、明らかではない。
しかし、何かの話し合いが行われたであろうことは、察しがつく。
北朝鮮とアメリカの発表は、真っ向から食い違っている。
もともと、訪朝を仕掛けたのは北朝鮮で、特使にクリントン氏を指名するなど、したたかな戦略が見え隠れする。北朝鮮ならやりかねない。
北朝鮮が、米朝外交の正常化を含む、直接対話をつなげたいとの多大な期待があっただろうし、記者解放という問題で、既成事実化を図ったとも取れる。
いずれにしても、国家の体をなしていない国家、一筋縄ではいかない北朝鮮と対話の方法で、問題の解決に一致を見たことだけは確かだ。
この会談の席上で、クリントン氏は日本の拉致問題についても触れ、一日も早く家族を日本に帰国させて欲しいと要請したそうだ。
北朝鮮が、それに対してどう答えたかはわからない。
そうした申し入れを行ったことは、注目すべきことだ。
それで、ふと思った。
あの小泉訪朝の成果を思い出すのだが、日本の政治家が、勇気を持って北朝鮮に飛び込んでいくくらいの気構えもないのだろうか。
相手がこちらの要求に応じないからといって、正論を主張するだけでは事態は一向に解決しない。
北朝鮮に、正論が通じるはずもない。
外交は、正攻法ばかりが通るわけではない。
日本の、外交のお粗末は何としたことか。
米朝間が、水面下でどのような周到な事前折衝をしたか知らないが、クリントン元大統領は単身北朝鮮を電撃訪問し、女性記者二人を奪い返したのだ。
事件発生から4ヶ月で、難問を解決してしまった。
それに比べて、日本の政治家はどうだ。
膠着状態のままの拉致問題・・・、すべての拉致被害者の帰国まで鉄の意志で取り組むと言ったのは、どなたでしたか。
格好いいことばかり言っても、できなければ、それはやらないのと同じだ。
情けない話だ。
いたずらに、時間ばかりが過ぎてゆく。
どこまで、拉致の問題に日本政府は本気なのか。
自分の身を捨ててでも、誰か、政府高官が今すぐにも北朝鮮に飛んでいく人物はいないのか。
アメリカは、大統領経験者が訪朝した。
日本も、首相経験者が行けないのか。
北朝鮮が、指名してくることなど待っていても駄目だ。
そんな日は、おそらく来ない。
ならば、こちらから動くことだ。
そして、一日も早く、生きていると言われている横田めぐみさんを連れ戻すことだ。
麻生総理は、自分は外交が得意だと言っていなかったか。
それならば、この困難な使命を担ってこそ、日本の国の本当の意味での政治家といえるのではないだろうか。
「拉致問題」で、総理大臣の肩書きを手にしたものの、途中で投げ出したあの方の場合は・・・?
いま、何を思うのだろうか。
制裁や非難声明にばかり気をとられていては、いつまで立っても拉致は解決しない。
横田さん夫妻の胸中は、いかばかりか。
もう、いてもたってもいられない、その悲痛さがひしひしと伝わって来るようだ。
クリントン元大統領の訪朝の意味を、政治家は初心(?)に帰って、よくよく吟味してみて欲しいものです。
電車内で女子高校生に痴漢をしたとして、懲役1年10月の実刑を受けた大学教授が、最高裁で、逆転無罪の判決となった。
先日の話だ。
こんなことは、最高裁では異例のことだ。
最高裁が、自ら判決で、一審、二審の有罪判決を破棄して、無罪を言い渡したのだ。
五人の裁判官が審理し、3対2の小差だった。
何ということだろう。
「この人が犯人です!」・・・
この事件は、もともと目撃証言もなく、物証もなかった。
証拠は、女子高校生の「被害を受けた」という供述だけだった。
しかし、大学教授の一貫した主張は、一審、二審では認められなかった。
それを、今回は「女子高校生の痴漢証言は信用できない」と断じたのだ!
これまで、被害証言があれば、自動的に逮捕→起訴→有罪となる、滅茶苦茶(?!)が横行してきた。
科学鑑定や目撃情報もなくて、犯行を強く否定しても、痴漢被害者が証言するだけで、駅長室へ連行され、警察に通報される。
これで、もう人生がアウトなのだ!
無罪を主張し、長期にわたって身柄を拘束されると、誤認逮捕を承知で、容疑を認める人までいた。
異常なことだった。
教授は、先日テレビの会見の席上で、晴れて無実の歓びを語りつつも、失ったものの大きさに無念の涙をにじませていた。
司会の女子アナまで、涙声になっていた。
女子高生のあいまいな言い分ひとつで、人生を台無しにされるわけにはいかないのだ。
ただ、逆転無罪といっても、3対2で2人の裁判官は無罪に反対だったのだ。
これが、2対3で逆だったらどうだろう。
天国と地獄の違いだ。
被害者の供述しかない裁判で、判定がいかに難しいか。
こんな事件は、いいかげんにしてもらいたい。
満員電車に乗ることが、どんなに怖ろしいことか!
女子高校生は、何を見て犯人だと言ったのか。
痴漢事件の捜査には、人違いによる冤罪の危険が常につきまとう。
教授は、獄中で妻との離婚まで考えていたという。
自分の正しい主張が認められなかったら、どうすればいいのか。
立場を置き換えて考えてみると、こんなに怖ろしいことはない。
痴漢行為は、確かに卑劣な犯罪だが、被害者は、犯人を間違えたら、冤罪によって人生が大きく狂ってしまう人もいることを忘れてはいけない。
大事なことは、被害を未然に防ぐ手だてを社会全体が考えていくことだ。
そうでないと、二重の悲劇を防ぎようがない。
難しい問題だ。
今度のことでは、DNA鑑定の結果も何もなかったようだし、検察は自己に不利な証拠は何も提示しなかったというのだから、こちらも許しがたい。
これでは、犯人にされた方はたまったものではない!
この最高裁の判決を、当の女子高校生はどう感じたのだろうか。聴いてみたい。
いろいろな問題を孕みながら、裁判員制度もいよいよ始まろうとしている。
・・・失われた時は、もう帰らない。
過ちを、犯さない人間はいない。
人間なんて、愚かなものだ。
そして、愚者が賢者をも裁く。
誰かが、誰かを、神ならぬ、人が人を裁くのだ・・・。
土曜、日曜、祝日の高速道路料金1000円に、歓んでばかりいられない。
もちろん、これが麻生内閣の支持率アップをねらった、そんな見え透いた、インチキっぽい政策だぐらい大方の人はわかっている。
国民は、たとえ民度が低いと言われようが、何と言われようが、馬鹿ではない。
ご存知でしたか。
高速料金の値下げにつぎ込まれる税金は、10年間で総額3兆円にもなるそうで・・・。
何のことはない、高速道路を利用する人も、利用しない人も、1人24000円を負担する計算だ。
それでは、定額給付金と同じようなものではないか。
これも、税金のバラ撒き以外の何ものでもない。
とても奇妙なのは、05年に民営化された高速道路会社に、何故税金を投じるのかということだ。
確かに、マイカー利用者は増えるだろう。
このことも、地球温暖化対策の面から見たら、矛盾している。
高速料金一律1000円というが、ひと時の恩恵(?)にあずかれる人にとっては、それでも好評のようだ。
でも、運転免許を持たない人や、ETCを搭載していない車にとっては、何のメリットもないのも事実だ。
本当にやるべきことは何なのか。
解っているのだろうか。
誰にも公平にということを考えれば、JR新幹線の特急料金を例えば土曜、日曜、祝日に限ってもいいから、年齢とか制限なく割り引いたらどうなのだろう。
ジパングクラブというのがあるが、新幹線ならすべてというわけではない。
鉄道利用者の便宜をはかったら、観光需要盛り上がりの、一助ともなる。
行楽地へ車で出かける人が増える一方で、新幹線の特急料金が高いから、JRを利用する人が減っているという、そんな現象が続くことになるのだろうか。
世の中、そうそう甘い話などあるわけがない。
まゆつばものだ。
日本対韓国の決勝戦は、延長戦の末5対3で日本が優勝を飾った。
サムライ・ジャパンがやってくれました。
韓国に同点に追いつかれて、はらはらするゲーム展開だった。
苦悩する天才選手、イチローの神がかりとも思える打球がもたらした、完璧な勝利だった。
日本の歓声、韓国の悲鳴、狂喜乱舞するスタンド・・・。
最後の最後に、勝利の女神は微笑んだ。
日本の野球ファンは、誰もがその感動に酔いしれた一日だった。
名実ともにサムライ・ジャパンの世界一はうれしいかぎりだが、このWBCとやらは、変てこなルールがあって、これが野球なのかと思いたくなることもあった。
それは、野球の本質を疑いたくなるようなルールだからだ。
例えば、日本と韓国が、今回のように5回も試合をしなくてはならないことだ。
アメリカは、日本やキューバ、韓国といった強豪国と準決勝まで当たらないという、自分の国有利の組み合わせだ。
さらに、国際大会なのに、メジャーから派遣されたアメリカの審判が、常に球審と二塁塁審を務める。
準決勝の日本-アメリカ戦も、球審はアメリカ人だ。
第一回のときだったか、日本-アメリカ戦で、アメリカのデービッド球審が「世紀の誤審」をしたことは、まだ記憶に新しい。
審判は、自分の国のジャッジをしないというのが、国際大会のイロハなのではないか。
投手の球数制限について、一次ラウンドで70級、二次ラウンドで85球、準決勝と決勝では100級までと決まっていて、50球以上投げたら、次の登板まで中4日空けなければいけないのだそうだ。
球数って、投げれば投げるほど、グングン調子を上げていくタイプの選手だっているわけだし、民族によっても身体機能や特徴は異なるのではないか。
選手の起用は、監督が決めるのがスジというものだ。
WBCというのは、本来の「野球」と異なる競技というわけか。
日本が連覇を果たした、WBCのこの盛り上がりには素直に喝采を送りたい。
この大会連覇による経済波及効果は、何と550億円と言われるから、驚きである。
このサムライ・ジャパン効果で、不況にあえぐ日本をいくらかでも元気づけてくれることだろう・・・。
それにしても、韓国との5回戦はいかにも多すぎる!
同一カードの多くなった大会形式には、問題もあるのではないか。
観戦する方も、あきてくるだろう。今回も、いささか食傷気味だった。
五輪競技としての野球は、昨年の北京で取りやめになった。
五輪がないなら、WBCって、もっと‘完全な’形にする必要があるのでは・・・。
・・・アメリカの大都市のレストランでの、若者同士の会話だ。
「ねえ、WBCって何なのよ?」
「ワーナーブラザースのことじゃねえのか」
「何だ、そうなの。映画のことだったの」
「知らなかったのかよ」
「・・・!」
先日のテレビニュースが伝えていた。
とぼけた(?)話だが、それだけ覚めていて、WBCにはアメリカ人の関心が低いということだ。
ともあれ、日本では街中が沸きかえり、あちらこちらでお祭り騒ぎだ。
2013年には、第三回WBCが開催されるようだ。
国際的にもフェアなお祭りは、大いに結構なことで・・・。
4年後は、アジアで勝手にやってくれと言うようなことにならなければよいが・・・。
もし、アジアだけの野球なら、こんなものいらないという声が聞かれるのも、事実だからだ。
酔っ払い大臣が、まことにみっともない形で辞任に追い込まれた。
ローマG7に随行したのは、財務省事務方のナンバー2の財務官、国際局長、局次長、国際機構課長らの面々だ。
こともあろうに、酒癖が心配されていた中川前財務相に、ワインを‘ゴックン’させたのは国際局長だというではないか。
大事な国際会議を直前にひかえて、飲むほうも飲むほうだし、飲ませるほうも飲ませるほうだ。
記者会見の前に、日ロ会談が行われたそうだ。
このときから、すでに中川前大臣はもうろうとした受け答えをしていたことが分かった。
ロシアの外交官は、頭のスイッチが切れているようだと語っている。
これで、会見の直前まで正常だったという、そんな責任逃れは通用しない。
財務官僚の、危機管理も問題だ。
同行、同席していて、注意も何もしていなかったのか。
あの状態を異常と思わないほど、周辺は中川前大臣の泥酔を目撃し続けていたことになる。
見て、見ぬふりか。
そのことも問題だが、いやそれよりも、前大臣の政治家としての資質も当然問題だが・・・。
さらに言えば、新聞やテレビの記者たちは知っていて知らぬふりをしていたのだ。
特定の番記者ともなると、親しい閣僚や政治家の都合の悪い記事は書かないものなのだから・・・。
よくないことだが、新聞はしばしば政府寄りだ。
政治記事を、何だこれでは政府の広報ではないかと思ったこともある。
その実体はかなりひどいものだと、現役記者の話もきいたことがある。
拱手傍観でどうするか。困ったものだ。
引責辞任した前大臣が、会見の15分後には、今度はバチカン博物館の観光に出かけ、ひと騒動があった。
そこで、触ってはならない貴重な美術品に素手であれこれ触ったり、立ち入り禁止の場所にまでずかずか入っていって、警報が鳴ったというのだ。
一体、何をしているのか。
本来、礼儀正しい国民として知られているのに、このことで日本は大きな恥を海外にさらしてしまった。
今でも連日のように、酩酊大臣の素顔をこれでもかこれでもかと、マスコミが流し続けている。
こちらも、いい加減にしてほしいものだ。
もう、うんざりだ。
こんな醜態は、未曾有のことだろう。
本人も、テレビに映った自分を見て、辞任を決意したそうだが、それも当然だろう。
中川前大臣の辞任前夜、自宅の前に報道陣が集まっていた。
このとき、テレビの音声に飛び込んできたのは、「ガンバレー、日本一!」という大声援だった。
え~っ、何のことはない、その声の主は前大臣の夫人だった。
これも驚きだ。
まあ、次から次へといろいろなことが起きるもので・・・。
呆れて、もう言葉がないとはこのことだ。
それにしても、毎日毎日いつまでも、こんな醜態を垂れ流している大マスコミは何を考えているのだろう。
これが、そんなに面白いことなのか。
ほかに、することはないのだろうか。