電車内で女子高校生に痴漢をしたとして、懲役1年10月の実刑を受けた大学教授が、最高裁で、逆転無罪の判決となった。
先日の話だ。
こんなことは、最高裁では異例のことだ。
最高裁が、自ら判決で、一審、二審の有罪判決を破棄して、無罪を言い渡したのだ。
五人の裁判官が審理し、3対2の小差だった。
何ということだろう。
「この人が犯人です!」・・・
この事件は、もともと目撃証言もなく、物証もなかった。
証拠は、女子高校生の「被害を受けた」という供述だけだった。
しかし、大学教授の一貫した主張は、一審、二審では認められなかった。
それを、今回は「女子高校生の痴漢証言は信用できない」と断じたのだ!
これまで、被害証言があれば、自動的に逮捕→起訴→有罪となる、滅茶苦茶(?!)が横行してきた。
科学鑑定や目撃情報もなくて、犯行を強く否定しても、痴漢被害者が証言するだけで、駅長室へ連行され、警察に通報される。
これで、もう人生がアウトなのだ!
無罪を主張し、長期にわたって身柄を拘束されると、誤認逮捕を承知で、容疑を認める人までいた。
異常なことだった。
教授は、先日テレビの会見の席上で、晴れて無実の歓びを語りつつも、失ったものの大きさに無念の涙をにじませていた。
司会の女子アナまで、涙声になっていた。
女子高生のあいまいな言い分ひとつで、人生を台無しにされるわけにはいかないのだ。
ただ、逆転無罪といっても、3対2で2人の裁判官は無罪に反対だったのだ。
これが、2対3で逆だったらどうだろう。
天国と地獄の違いだ。
被害者の供述しかない裁判で、判定がいかに難しいか。
こんな事件は、いいかげんにしてもらいたい。
満員電車に乗ることが、どんなに怖ろしいことか!
女子高校生は、何を見て犯人だと言ったのか。
痴漢事件の捜査には、人違いによる冤罪の危険が常につきまとう。
教授は、獄中で妻との離婚まで考えていたという。
自分の正しい主張が認められなかったら、どうすればいいのか。
立場を置き換えて考えてみると、こんなに怖ろしいことはない。
痴漢行為は、確かに卑劣な犯罪だが、被害者は、犯人を間違えたら、冤罪によって人生が大きく狂ってしまう人もいることを忘れてはいけない。
大事なことは、被害を未然に防ぐ手だてを社会全体が考えていくことだ。
そうでないと、二重の悲劇を防ぎようがない。
難しい問題だ。
今度のことでは、DNA鑑定の結果も何もなかったようだし、検察は自己に不利な証拠は何も提示しなかったというのだから、こちらも許しがたい。
これでは、犯人にされた方はたまったものではない!
この最高裁の判決を、当の女子高校生はどう感じたのだろうか。聴いてみたい。
いろいろな問題を孕みながら、裁判員制度もいよいよ始まろうとしている。
・・・失われた時は、もう帰らない。
過ちを、犯さない人間はいない。
人間なんて、愚かなものだ。
そして、愚者が賢者をも裁く。
誰かが、誰かを、神ならぬ、人が人を裁くのだ・・・。
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今回の裁判では「法律のプロ」が一貫した主張をかんがみて裁定しました。しかし、これが「数日で結論を出さなくてはいけない裁判員の判断」であったなら・・・!
しかも裁判員制度は殺人などの重犯罪だとか・・・。ゾッとします・・・。
裁判員制度・・・。
選ばれるかも、ほんとうに・・・。
いろいろなこと、学ぶべきことが沢山、沢山ありますねえ。
人生、一生勉強とはよく言ったものです。