ZENZAIMU(全財務公式ブログ)

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花散里(本部書記次長)

2018-01-25 14:16:07 | 主張

本日ブログ当番の溝口です。

本日は奇しくも父親の誕生日ということで「息子から見た父」というテーマでつらつら書き綴っていくことにしたい。

もはや親にブログの存在がバレ、いずれ読まれることになるだろうと思われますので、今年はあえて直接誕生日どうこうの連絡はせず、本記事を以って祝いの言葉に代えさせていただきます。

最後まで書いてみて、この段階でお断りしておきますが、この文章とにかくだらだら長いです。

読み飛ばしていただくことを心からお願いしたい。

さて。

(おそらく)息子というのは実は親のことはよく知らない。

うちの父もあまり自分のことを多くは語らない。

母親から父の幼少期の、ホントかよってぐらいの貧乏エピソードを懇々と聞かされ、そのたびに家族、あるいは親族で爆笑してきた。

父はよく笑う。本人は自覚していないだろうが、貧乏を乗り越えてきた処世術なのかもしれない。

私もそんな父を見て育ったせいか、つらいときこそ笑っていることが多いと思う。たぶん。

父は幼少期貧乏だったこともあり、子どもたち(私とお姉ちゃん)には湯水のごとく、お金を惜しまず投資してくれた。

中学受験のとき、夏休みには特訓とかいう名目で毎日、日能研に通っていたので、とんでもない塾代だったと思う。

自分はとりあえず大学が付いてるとこでいーやという安易な気持ちで関西学院の付属中を受験するため、日能研の岡本校に月1ぐらいで通っていたような気がする。

父の営む美容院も神戸市東灘区の阪急岡本にあり、塾のときはいつも、帰り途、餃子の王将に連れてってもらっていた。

毎回、父は唐揚げ定食を頼み、私は天津飯を頼んだ。

今でも一人で餃子の王将に行くことがあるが、父親と少年が二人でお店に来ているのを見かけたりすると、ノスタルジックな気分になることがあります。

いわゆる原風景というか、私にとってはそれが、知らないうちに魂に刻み込まれた光景のひとつのようであります。

原風景として思い描くものは人それぞれかと思います。父にとっての原風景というのもおそらく何かしらあるんだろうと思います。父は長崎県のたしか波佐見の近くの「さらやま」とかいうところの出身だったようにうっすら記憶しているので、今グーグル・マップで調べてみたところ、「皿山郷」というところがあるようで、もしかするとそこのことなのかもしれない。以前北九州地本にお邪魔させていただいたときに、懇親会でたしか林書記長が長崎のご出身というようなことをおっしゃっていたような気がするので、もしかしたらご存知かもしれません。いずれ生きているうちに行ってみたいと思う。

再度申し上げますが、私は親のことをほんとのところあんまり知らない。というのは、父の「さらやま」での記憶を思い描くことは私にはできないからです。同じように母であれば生まれ育った金沢の城下町を原風景として思い描けるのかもしれないが、私には図り知ることはできない。私たちは結局は独立した一人の人間だからです。だけれども私たちは体験を「思い出」というかたちで共有することによってつながっている。先ほどの話で言えば、私の原風景である「餃子の王将の父子」のエピソードに、私の家族は共感する部分があるはずです。つまるところ私たち人間は家族の中で、あるいは社会の中で「solitaire(孤独)」でありながら「solidaire(連帯)」しています。

原風景というと、もうひとつありまして、たしか昨年、帰省した際、無断で岡本のお店を訪問したとき、父が髪の毛を洗う用のイスに腰かけて、白昼堂々、解きかけのクロスワード・パズルを片手に、まどろんでいる場面に出くわした。

この場面もなぜか強烈に印象に残っている。

あとから思えばスマホで写真をとっておけばよかった。。

今でこそ岡本の「シャッター商店街」とまではいかないが、斜陽感漂う商店街で、今まで数十年、お店をせっせと切り盛りしてきて、昔は休むヒマもないような繁盛ぶりだったようですが、もう60過ぎのおじさまが一人で経営していて、お客さまは減りはしないまでも、決して増えるわけではない、そんな夕暮れ感漂うお店で、父がうとうとまどろんでいる姿を見て、心の底から「おつかれさまでした」という思いと感謝の気持ちがこみあげてきて、おそらくその光景が私の魂に刻み込まれることになったんだろうと思います。

人の一生は振り返るとあっという間に過ぎているようです。太宰治は「人間失格」を「ただいっさいは過ぎていきます。」と締めくくりました。鴨長明は「方丈記」の冒頭で「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と無常を川の水に例えました。人の一生はあっという間で、「死」に向かってまっすぐに突き進んでいます。人は「孤独」であるという前提では「死」は終局です。ところが、人は「連帯」しているという前提では「死」は終局ではなく過程です。桜が咲いて散るのと同じで、繰り返され、次につながっていきます。トルストイは前述のような発想のブレイク・スルーを通じて「死」の恐怖から解放されるための具体的な手段として「愛」の発露を提案しています。なんだか持論を展開していくうちに父への祝辞でもなんでもなくなってきたので、そろそろ筆を置くことにしたい。