先日、落語の寄席に行く機会があった。
テレビで見ることはあったが、寄席に足を運んだのは初めての体験。
この日の演者は、最近、テレビ番組の司会者となり人気・実力を兼ね備えた落語家のほか、そのお弟子さんたち数名。
さすがは師匠、高座に姿を現しただけで雰囲気心を捉まれる気がする。
お弟子さんたちも、日々の修業の賜物か、はては生まれ持ったワザなのか、間を置かずして笑わされる。
そしてあっという間に持ち時間が経過する。もっと聞きたいのに、という気分にさせられる。
私も現職に就いてから、人前で話す機会をいろいろ与えていただいている。
でも私は話すより、聞き手で相づちを打つほうが性分に合っている。
最近つくづく思う。口下手な、そして思いつきで話す両親から生まれた私が理路整然と話せるようになるには、訓練するしかない。修業するしかないのかと。
初めて落語を聞きながら、私も弟子入りできないかと、ちょっと真剣に考えた。
ついでに芸名も頭を捻って考えてみた。
数日後、後楽園かどこかの大きなホールの高座で、落語をする自分の姿を夢の中で見た。
最悪なことに“話がつまらない”と観客席からブーイングがおきて焦っている自分がいた。
でも不思議なことに、その焦っている姿をみてお客さんが爆笑していた。
悩んでも仕方ない。自然体でいこう!
カトーナオ