愛知県海部郡甚目寺町上萱津字車屋19
祭神 鹿屋野比売神
昔、この付近まで海だったそうです。
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これは現在の地図です
その昔、神前に野菜や藻塩を供えて五穀豊穣の祈願をしていたのですが、
その供物をカメの中に入れたところ、ほどよい塩漬けができたのだそうです。
それを、当時の人々は神からの贈り物として万病をなおす御守としたのだそうです。
これが我が国の漬物の始まりであり、萱津神社が『漬け物の祖神』といわれる由縁とのこと。
神事を執り行う香の物殿 屋根の上にあるのは、瓶だとか。
この雰囲気、好きだなぁ。。。
日本武尊との縁が深いようです
日本武尊が東征する途中、ここに立ち寄られ、住民が瓶の中のお漬物を献上したところ、
「藪ニ神物(やぶにこうのもの)"深い森の中に、神のもたらした食べ物がある」
と感嘆されたという言い伝えがあるそうです。
さらに、連理の榊というのが、ここに祀られています
近寄ります
ちょいと、見づらいですが、上でつながっています。
この榊、すでに枯れていますが、日本武尊のお手植えだと言われています。
そして、伝説があります
日本武尊が伊吹山に遠征に行ったとき、大事な護身の 草薙の剣を持たないで出かけたんです
そのためなのか、パワーがなく大怪我を負い(伊吹山の邪神を退治に出かけますが、逆に邪神の毒気に当たったという説もあります)、この地にたどり着きました。
そうして、妻・宮簀媛(みやづひめ)に遺言を託します。
受け取った姫は、あわててここに来ますが、はすでに日本武尊は伊勢へと旅立った後でした。
そのなげき悲しむ姿から、ここは"不遇(あわで)の森"(阿波手の杜)と呼ばれるようになったそうです。
*(人が思う人に会えなかった事に由来しての「会わで」すなわち「会えないで」の言葉を振り当てた話と思われます。)
伊勢へと旅立つ前に姫に会えなかった日本武尊は、
「後にこのような悲しいことが起きないように」という想いを託し、
雄と雌2本の榊を植樹。それがのちに連理木になったそうです。
さらに、
引用します
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なかなかお妃をめとらなかった57代陽成天皇を心配した朝廷が、
全国から縁結びにまつわる品を献上するようおふれを出しました。
尾張地区から献上したのが、この連理の榊。
するとそのご利益があってか、天皇はのちに皇后をめとり、お世継ぎも授かったといいます。
萱津神社ではそれ以降、1000年以上にわたって毎年、
「献榊祭(縁結び祭)」を斎行しています(現在は毎年4月第二日曜日)。
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この祠のすぐ近くにも、おそらくご神木でしょう榊がありますが、それは他の種類との合体木でした。
ほとんど、神社に行くとピリッとした雰囲気にそれこそ禊を感じる造りなんですが、とくに
巨木があると、そう感じます。
でも、ここはそんな感じがしません
あの、萱葺きの香の物殿が、あるせいでしょうか?
落ち着ける場所です。。。
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