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訪問した時は、桜がきれいでした。。。
都美恵神社から、15kmほどです。
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階段を登ると
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2本の杉が出迎えてくれます
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樹齢は、500年以上でしょうか?久しぶりの巨木です。
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祭神は、倉庫・延命長寿の神である高倉下命(たかくらじのみこと)
この神様がよくわからない
色々調べてみます
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祭神は「高倉下命」で神武天皇の窮地を救った神様。
尾張にある熱田神宮の摂社「高座結御子神社」に祀られている尾張氏の祖である。
この地域は高倉下命の七代の後の子孫「倭得玉彦命」がこの地に移り住み氏神を祀ったことを起源とし、自信の氏神を祀った。
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記紀によれば、東征中の神武天皇は熊野で悪神の毒気により倒れたが、高倉下が剣を献上すると覚醒したとされます。
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社伝によると、高倉下命より七代目の子 倭得玉彦命(ヤマトエタマヒコノミコト)が伊賀国に一族とともに移住してきた
倭得玉彦命が祖神である天香語山命を祀ったとするのが当社創建由緒。
垂仁天皇の御宇(帝王が天下を治めている期間)とし、貞観三年(861年)に従五位下の神階を授かる国史顕在社である。
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ここで、おいらが作った家系図を見てみましょうか
一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命
七御子・建諸隅命 (川上摩須)
八御子・倭得玉彦命 (日本 得 魂 命)=天之御影神=天目一箇神
妹が 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)ーーーーーーー彦坐王
↓
サタヒコ
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ここにやってきた人は、サタヒコの母親の兄弟でしょうか。
垂仁天皇は、306年ごろに亡くなっていると思います。
倭姫が伊勢に行ったのは、297年頃と推測しますので、
その間に日本 得 魂 命はここにやってきたことになります。
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