たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

二拝二拍手一礼

2022-07-27 06:58:18 | 神社
ネットで、ある所を見ていたら、「二拝二拍手一礼」は、平成になってから広まった作法。と書いてあった。

なるほど、そういえばそうかもしれない。

さらに、二礼二拍手一礼は、神職の作法であり、玉串奉奠に伴う作法だそうです。

そういえば、氏子総代の時に榊をお供えしたことがあったなぁ。あれが、玉串奉奠なんだろうなと。

柏手は、神社によっても違うようです。

ウィキペディアより引用します
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出雲大社や宇佐神宮、彌彦神社では「四拍手」である。

伊勢神宮や熱田神宮での神事では「八度拝、八開手」となっている
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それはともかく、二拝二拍手一礼の作法は、かなり昔からあるのかもしれない。

このような事は、時間がたつにつれ複雑になっていくのが恒例。

二拝二拍手一礼は、わりとシンプルなんで、原型に近い作法と勝手に解釈したうえで

少し妄想をしてみましょうか。。。へへ

まず、何処から広がったのか?

これは、伊勢神宮と考えるのが適当か?すると、最初は、倭姫と言うことになります。

次に、二拝二拍手一礼の「二拝」は、誰にお辞儀をしているのだろうかと言うこと。

良くわからないので、とりあえず、倭姫のおじいちゃんとおばあちゃん、つまり

彦坐王と、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)この二人おいらの解釈では

スサノオとクシナダヒメです。

二拍手はだれか? 倭姫が御霊を宿した鏡と勾玉の主である、大国主と、保食神

つまり、これもおいらの推測ですけど、伊勢津彦=サホヒコと、アメノウズメ=アジサハヒメ

最後の、一礼は、サタヒコでしょう。

ここで一つ疑問が出てきた。クシナダヒメの御霊はどうやって伊勢に来たのか?

サタヒコは、間違いなく母親の御霊も何かに宿らせて伊勢に連れてきているはずです。

ここで思い出すことが、櫛田川の事です。

調べてみると、神話がいろいろあります。

そのなかの一つを見てみましょうか

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「竹田の国」(現在の松阪市櫛田町)と呼んでいた地で頭に飾ざしていた櫛を田に落とされたそうです。それを津あたりから伊勢志摩方面までを道案内されていた大若子命(おおわくごのみこと)が拾われお届けになられたそうです。
 「倭姫命」は、喜びと感謝を込め、その地を「櫛田」と名づけ、櫛を拾われたところに社を建て、大若子命に櫛田神社の祭神となるよう命じられたと伝わっています。
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田んぼに落としたのなら、自分で拾えるだろ?

他にも、池に顔を写して化粧をするときに落としたとかとにかく、落とすことになっていますけど・・・

両方とも、櫛田川沿いの場所です。この川を遡ると、辰砂が採れる「丹生水銀鉱」にたどり着きます

推測するに、美濃の方々津神社に眠るサタヒコの母親の御霊も倭姫により「櫛」に移されて

伊勢に来ているのではないでしょうか。

そして、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と一緒に保管されているのでは?←妄想です。













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