以前のブログです。
なぜ、月夜見宮からのレイライン上にあるのか?
鍛冶が関係していると考えるのが適当ではないだろうか。
外宮では、燃料とする木材の調達が難しくなってきたのでしょうか。
それとも、人の出入りが多くなり、鍛冶をすることが出来なくなった。
もしくは、鍛冶の技術を秘密にしたかった。
まだ他に理由があるかもしれませんけど、なんだかの理由で宮川の上流に移動した。
しかも、久具都比賣神社のさらに上流です。川沿いに行った場合の距離は30kmぐらいあります。
徒歩だと、3日くらいかかるでしょう。人を近づけないという場所としてはうってつけですよね。
帰りは、小さな船(カヌー?)を作ってそれに乗れば、簡単に久具都比賣神社に行けます。
そこで、鉄と辰砂を交換して外宮まで行けば運搬はスムーズにいきます。
まあ、これはおいらの推測でしかありませんけどね・・・
瀧原宮が、内宮よりも早く出来たと言われますけど、もしそうなら、わりと早い時期に出来ています。
ということは、燃料の木が不足するということは無かったことになります。
そうすると、鍛冶の技術を知られたくなかったという理由が有力になります。
なぜ、月夜見宮からのレイライン上にあるのか?
鍛冶が関係していると考えるのが適当ではないだろうか。
外宮では、燃料とする木材の調達が難しくなってきたのでしょうか。
それとも、人の出入りが多くなり、鍛冶をすることが出来なくなった。
もしくは、鍛冶の技術を秘密にしたかった。
まだ他に理由があるかもしれませんけど、なんだかの理由で宮川の上流に移動した。
しかも、久具都比賣神社のさらに上流です。川沿いに行った場合の距離は30kmぐらいあります。
徒歩だと、3日くらいかかるでしょう。人を近づけないという場所としてはうってつけですよね。
帰りは、小さな船(カヌー?)を作ってそれに乗れば、簡単に久具都比賣神社に行けます。
そこで、鉄と辰砂を交換して外宮まで行けば運搬はスムーズにいきます。
まあ、これはおいらの推測でしかありませんけどね・・・
瀧原宮が、内宮よりも早く出来たと言われますけど、もしそうなら、わりと早い時期に出来ています。
ということは、燃料の木が不足するということは無かったことになります。
そうすると、鍛冶の技術を知られたくなかったという理由が有力になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます