中島宮
愛知県一宮市萩原町中島
倭姫命世記によると、
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美濃国伊久良河宮に遷幸し、四年間奉斎。次に、尾張国中嶋宮に遷座し、倭姫命は国寿きされた。この時、美濃国造等は、舎人 市主、地口・御田を進り、御船一隻を進った。同じく美濃県主は、角鏑を作り、御船二隻を進るに、「捧ぐ船は天の曾己立、抱く船は、天の御都張」と申上げて進った。また、采女 忍比売おしひめ、また地口・御田を進った。忍比売の子がうけ継いで天の平瓮八十枚を作って進った。
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以前紹介した伊久良河宮の次に遷座されたところです
しかし、中嶋宮の故地とされる所はほかにも数箇所あるようです。
有力な説は
一宮市佐千原の式内社坂手神社脇の「七坪の塚」
一宮市今伊勢町神戸字宮山の式内社酒見神社
西春日井郡清洲町大字市場字御園の御園神明社
だそうです。
ならばということで、もう一箇所 酒見神社にも行きました
そちらは、後日ご紹介します
愛知県一宮市萩原町中島
倭姫命世記によると、
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美濃国伊久良河宮に遷幸し、四年間奉斎。次に、尾張国中嶋宮に遷座し、倭姫命は国寿きされた。この時、美濃国造等は、舎人 市主、地口・御田を進り、御船一隻を進った。同じく美濃県主は、角鏑を作り、御船二隻を進るに、「捧ぐ船は天の曾己立、抱く船は、天の御都張」と申上げて進った。また、采女 忍比売おしひめ、また地口・御田を進った。忍比売の子がうけ継いで天の平瓮八十枚を作って進った。
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以前紹介した伊久良河宮の次に遷座されたところです
しかし、中嶋宮の故地とされる所はほかにも数箇所あるようです。
有力な説は
一宮市佐千原の式内社坂手神社脇の「七坪の塚」
一宮市今伊勢町神戸字宮山の式内社酒見神社
西春日井郡清洲町大字市場字御園の御園神明社
だそうです。
ならばということで、もう一箇所 酒見神社にも行きました
そちらは、後日ご紹介します
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