たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

少彦名命(すくなひこなのみこと)

2021-01-10 09:43:06 | 神社
『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、

『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされています。

何か理由があるのでしょうか。

おいらが思うには、古事記が正しくて、日本書紀が何かを隠そうとしてる。そう見えます。


その他としては、

少名彦命と天日鷲命の両者は同一神とされている。 阿波国を開拓。


説明としては、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宇宙に突如として現れた神様、アメノミナカヌシ。

それに続く様にタカミムスビ、カミムスビが現れる。

これを造化三神と呼ぶ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少彦名を、朝廷別王として考えると、神産巣日神(かみむすびのかみ)は、彦坐王。

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、崇神天皇。

そして、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、開化天皇となりますけど、どうしよう?(笑)


別の話では、

カミムスビ神が「私の手指の間から漏れこぼれ落ちた子です」といい、

わが子のスクナヒコナ命にオオクニヌシ命と義兄弟になって一緒に国づくりをするように

命じたといいます。

これが実話なら、伊勢津彦(=大国主=さほひこ)が、伊勢を追い出されて砥鹿神社に着いたとき

まだ、彦坐王は存命で五社大名神社で、再会したかもしれません。

でもね、カミムスビ神が「私の手指の間から漏れこぼれ落ちた子です」と言うあたり、茶目っ気を

感じませんか?




さらに、別の話では、少彦名は、海の向こうの常世の国からガガイモの実の船でやって来た小人神。

御伽草子の一寸法師などのルーツとも言われています。

明るくユーモラスでいたずら者、豊かな知識と技術をもつ知恵者。

前に、朝廷別王は、おちゃめな性格と書きましたけど、やはりそのようですね。




最後には、淡島で粟(あわ)の茎にのぼり、その弾力を利用してはじき飛ばされるようにして常世の国に渡ったという説。

あるいは熊野の御崎(みさき)から海を渡り、常世の国に帰った説などあります。

この話が、少彦名の茶目っ気から生まれた物語ならば、彼の死後、景行天皇が、その物語に付き合ったのかもしれません。

景行28年、御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したそうです。

景行天皇は、倭姫の兄、ということは、彼にとって朝廷別王は、叔父になります。



御崎の「静之窟」の場所は、潮御崎神社のすぐ近くです






夏至の日の出が、磐座から見えるようです

本州の最南端ですね。まだ行ったことがありません。行きたいなぁ。




以下参考にさせてもらいました

高塚の森

こちらも

さらに

少彦名命の祀られている神社です

宿那彦神像石神社   石川県七尾市黒崎町ユ59
加夫刀比古神社    鳳珠郡穴水町甲ハ80 
少彦名社       羽咋郡志賀町深谷ハ13甲
笠間神社       白山市笠間町1-1
大湊神社       福井県坂井市三国町安島23-15-11
眞子神社       鳥取県西伯郡大山町東坪143

なぜこんなに少ないのだ!と言う意見も出て来るようですが、少彦名=朝廷別王=サタヒコ=猿田彦

と考えれば、すごく多い!と感じるのではないでしょうか。
        
       ↑
( ps  少彦名命の祀られている神社は、もっとたくさんありました。 )
 



その他興味深いところは
古麻志比古神社     珠洲市若山町経念12-32         彦坐王
長瀬神社        鳥取県東伯郡湯梨浜町     天鈿女命アマノウズメノミコト

もう一つ、彼の茶目っ気から連想するのが、田県神社のご神体。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本牟智和気命(ほむちわけの... | トップ | 糸魚川からの足どり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事