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サタヒコが、305年に、大縣神社に住むようになってから、それほど時間がたたないうちに
春日井の白山神社で製鉄を行ったと思います。
当然、神大根王は一緒に行き、手伝いをしていると思います。10歳ぐらいからでしょうか。
17歳には、すでに氷上姉御神社に居るので、5年後の310年頃には、氷上姉御神社に移ったと推測できます。
猿投神社からの夏至の日の入りのラインに居久良河宮があるので、
猿投神社には滞在したと思います。
316年頃には、高材比売(たかきひめ) を妻にしています。その時どこで暮らしていたのか?
どうして金生山の赤鉄鉱から製鉄をすることになったのか?
それまでは、砂鉄からの製鉄でしたので、誰が赤鉄鉱から製鉄をする技術を導入したのか?
金生山の赤鉄鉱をだれが発見したのか?
謎だらけです・・・
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