以前、氷上姉御神社の北にある天白川をさかのぼると猿投神社に行けると書きました。
ところが、猿投神社付近に行くと、川が無くなったり、違う川沿いに進まなければなりません。
それを確かめようと思い出かけました。
とりあえず、氷上姉御神社の地図です
この、北にある川が天白川。
今回は、日進市から天白川に沿った道を通りました。
出発地点です
赤い線が今回通った道路です。左端が出発地点です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e6/bed8428ca07d559beaafa0713e3ccad1.jpg)
真ん中あたりの黒い〇付近が川の無い所です。距離は、1kmぐらい。
google地図で見てみましょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2b/246cf0d79c20d6f60e6ccad3b4d7c472.jpg)
おそらく、それほど問題なく移動できると思います。
田籾川の最上流の標高は120mほど、伊保川との合流地点は82m、籠川との合流地点は62mと、
標高差が割とあるので、川の流れは当時とそれほど変らないと思われます。
その後も、道に迷うこともなくあっさりと猿投神社に到着しました。
途中、古墳があったので立ち寄りました。
藤山1号墳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/bb/590d661907cac3ba1760eae8ce88e2cd.jpg)
登っていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dc/25080a98e575726e34d2a10a2bb978eb.jpg)
6世紀後半なので、猿田彦の時代とは300年ほど差があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/eb/2e65bf9480ee7cc5613ead484e8c2100.jpg)
うっかりして、石室を見ることを忘れてしまいました。
入室可能のようです。次回ですね。
猿田彦は何処に住んでいたのでしょう?
東之宮でしょうか?
それとも、広沢川沿いに広沢神社(広沢天神)と言う所がありますけど、そこだろうか?
広沢神社(広沢天神)の祭神は、少名彦神もしくは、泣沢女神と言われます。
朝廷別王=佐田彦=少名彦(すくなひこな)と考えますので、ここに住んでいた可能性も
充分あります。
以前、猿投山を歩き回ったときにこの前を通りましたけど、あまりに疲れていたので
訪問をパスしてしまいました。
今度は、じっくりと訪問しようかな。
広沢川をさかのぼると、西宮付近に行くことが出来ます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/8f/e56803581ea96c4380a9b7ef14e7bac5.jpg)
猿投神社の位置です
ところが、猿投神社付近に行くと、川が無くなったり、違う川沿いに進まなければなりません。
それを確かめようと思い出かけました。
とりあえず、氷上姉御神社の地図です
この、北にある川が天白川。
今回は、日進市から天白川に沿った道を通りました。
出発地点です
赤い線が今回通った道路です。左端が出発地点です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e6/bed8428ca07d559beaafa0713e3ccad1.jpg)
真ん中あたりの黒い〇付近が川の無い所です。距離は、1kmぐらい。
google地図で見てみましょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2b/246cf0d79c20d6f60e6ccad3b4d7c472.jpg)
おそらく、それほど問題なく移動できると思います。
田籾川の最上流の標高は120mほど、伊保川との合流地点は82m、籠川との合流地点は62mと、
標高差が割とあるので、川の流れは当時とそれほど変らないと思われます。
その後も、道に迷うこともなくあっさりと猿投神社に到着しました。
途中、古墳があったので立ち寄りました。
藤山1号墳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/bb/590d661907cac3ba1760eae8ce88e2cd.jpg)
登っていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/dc/25080a98e575726e34d2a10a2bb978eb.jpg)
6世紀後半なので、猿田彦の時代とは300年ほど差があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/eb/2e65bf9480ee7cc5613ead484e8c2100.jpg)
うっかりして、石室を見ることを忘れてしまいました。
入室可能のようです。次回ですね。
猿田彦は何処に住んでいたのでしょう?
東之宮でしょうか?
それとも、広沢川沿いに広沢神社(広沢天神)と言う所がありますけど、そこだろうか?
広沢神社(広沢天神)の祭神は、少名彦神もしくは、泣沢女神と言われます。
朝廷別王=佐田彦=少名彦(すくなひこな)と考えますので、ここに住んでいた可能性も
充分あります。
以前、猿投山を歩き回ったときにこの前を通りましたけど、あまりに疲れていたので
訪問をパスしてしまいました。
今度は、じっくりと訪問しようかな。
広沢川をさかのぼると、西宮付近に行くことが出来ます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/8f/e56803581ea96c4380a9b7ef14e7bac5.jpg)
猿投神社の位置です
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