山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

 百名山の記録(その1.2) 宮之浦岳 (2007年)

2014年08月22日 | 日本百名山

 はじめに

一つの山に集中していた時代が過ぎ、多くの山々に目が向くようになった頃、いわゆる「深田久弥の日本百名山」と呼ばれる山々の幾つを登ったのか数えてみた。30座とちょっとだった。
  若い頃から、一山一山に集中的に通っていたのだが、そのころは、「深田久弥の百名山」は意識したこともなかった。
 退職も間近となり、古希の先輩と記念の北アルプス縦走を行った。白馬岳から槍ヶ岳までだが、テントと山小屋利用で8泊9日だった。退職の2006年は、単独の南ルプス縦走を行った。夜叉神峠から光岳までで、テントと山小屋利用の9泊10日の山歩きとなった。
 この頃から、登る山の内容より、山の数の方が気になりだした。そこで、本格的な「百名山対策」を考え、一応、南から北へと向かうことにした。南には宮之浦岳があるが、その途中にまだ未踏の百名山が4座あった。開聞岳、霧島山・韓国岳、祖母山である。まず、最南端の山に登り、帰りながら4座に登ることにした。
 これが、私の百名山登山のスタートです。以後、似たようなパターンを繰り返しながら2007年には新たに30座を終えることができた。
 2008年からは、主に東北、北海道方面と徐々に山の数を増やしていった。
  この記録は、私の山行の主に「百名山」を中心としているが、それと関係のない山行の記録も載せている。
  また、自分のこれまでの山行をこの際整理してみたいと思ったからでもある。そして、山とは全く関係のないような「お話」や「記録」なども入れてみた。

 

 百名山スタート


     宮之浦岳~開聞岳~霧島山・韓国岳~祖母山 

 
 2007年3月25日

 松江を発つ。三好から中国縦貫道に乗り、一路南へ。九州への山行は、「久重のミヤマキリシマ」見物以来ということになる。その時は、坊ヶツルでテントを張り、九重連山に登った。山一面を赤く染めて咲くミヤマキリシマの美しさに圧倒された。その時の記憶は未だ鮮烈である。
 百名山は、九州地方には六座あるが、その中の二座(大船山と阿蘇山)は既に登っていたので残りは四座ということになる。
 下関を過ぎ、いよいよ九州に入る。以前、今のように自動車道が整備されていない頃、連休のラッシュにぶつかり大変な目にあったことを思い出した。午前中に到着予定が、午後に大きくずれ込んでの九重入りだった。まだ、ツツジの季節には早かったが、下界のラッシュとは無縁な、ゆったりとした九重の山々を、大いに堪能できた。
 そんな思い出に浸りながら、九州自動車道を一路鹿児島港へと向かう。鹿児島港へは夕刻に到着する。駐車場を捜すのに苦労したが、近くの交番で親切な説明を受け港にある有料駐車場に入る。南の島々からの船が着き、人々がはき出されて行くのを見ていたら、何だか異国に来たような気持ちになった。異国情緒に浸りながら一夜を駐車場で過ごす。


 翌26日は朝から素晴らしい天気だ。雨の屋久島などとの言葉は何処かに飛んでいったようだ。8時30分発のフェリー乗り、屋久島宮ノ浦港着が12時30分(?)。下船後、バスの時間表を確かめて昼食とする。食事は「トビウオ定食」だったが、トビウオは我が山陰では、5月頃でないとお目にかかれない。噛みしめると、南の島の香りが口いっぱいに広がってきた。
  13時36分のバスに乗り、登山口となる白谷雲水峡を目指す。バスの中から、時折海を見る。バスから見る南国の海は、春のおぼろな光を浴びて、何処までも白く光っていた。 白谷雲水峡に着く。観光客の多さはさすがだ。ここから、島第一の観光ポイント「屋久杉」が近いからだろうか。


 案内板に目を通し、ザックを担ぐ。弥生杉を見物し、白谷白水峡を横に見ながら原始林の歩道を歩く。多くの下山者をやり過ごしながら、白谷山荘に着く。水もあり、時間的にもここで一泊とするのも良いのだが、先を急ぐことにする。多分、今夜はテント泊になりそうだと覚悟する。「もののけの森」を抜け、辻峠でしばし休憩。ここから、楠川歩道分岐まで下り、軌道敷の残る水平道をひたすら歩く。日も傾き夕暮れも迫った頃、大株歩道入口に到着。奥まった場所に立派な建物が見える。山小屋?と思い入ってみるに、何と環境に配慮した最新のトイレだ。あまりの立派さに、一瞬、ここを今夜の宿にしようかとさえ思ったほどだが、少々臭いが気になり止めることにする。
 大株歩道入口から急な登りが始まる。今夜の宿泊場所のことを思うと気が急くが、なかなか適当な場所に当たらない。天気も下り坂のようだし、ますます薄暗くなってくる。あせっていると大きな杉の木の下に出た。案内板に「翁杉」とある。すぐ近くに、板敷きの休憩用の台場があり一張りのテントなら張れそうだ。これぞ天助け、翁杉様々と感謝して重い荷物を降ろす。時計は18時20分を指していた。(翁杉はこの数年後倒れた)


 天気は下り坂だったのだが、雲の切れ目から月が出た。千古の時を経た大杉の下で持参した焼酎をチビリチビリ飲む。せせらぎの音が、人の話し声に聞こえる。酔いにまかせて巨木に話しかけてみる。月明かりの下で何も答えない大杉。この林の巨木たちが過ごして来ただろう悠久の時の流れが、今も静かに引き継がれているのを感じた。
 鹿児島港の雑踏の中から、深閑とした屋久島の原始林へとの変化の激しさに戸惑いながら眠りにつく。深夜、雨音を聞く。  (その1)

 

    27日は雨。暗いうちから人の話し声がする。早出の登山者たちの一団がやって来たらしい。聞くと、今朝早く白谷山荘を出発したとのこと。雨にもめげず、元気に登って行った。 簡単な食事を終え、テントをたたむ。雨に濡れたテントは重いが、快適な一夜を過ごせたことに感謝する。翁杉にお礼の挨拶をして別れる。
 すぐに、ウイルソン株の前に出た。とんでもない大きさの杉の木だっただろうが、今は枯れた株が残っているだけだ。株の中にテントでも張れそうだ。
 小雨の中、小さな上り下りを繰り返し、縄文杉に着く。木と板を組み合わせた台場には、既に多くの観光客が集まっていた。記念写真を撮り、先を急ぐ。間もなく、高塚小屋に着く。中は、停滞のための登山者で一杯だった。朝早くから行動していたと見えて、誰も寝袋に入りお休みの様子。二階は空いていたのだが、新高塚小屋を目指す。
 雨は相変わらず降り続け、一向に晴れる様子はない。一応の雨対策はしてきているのだが、気分は重い。水場らしき沢で、鹿に出会う。水を飲みに来ていたらしい。私も水筒に水を詰める。歩き始めるとすぐに山小屋が現れた。新高塚小屋だ。今日の歩きはここまでと中に入る。大きな小屋だが、一階は既に満員。大学生だろうか、ほとんどが若者だ。
 二階に上がり、寝れた荷物を整理する。湿った体が寒いので、お湯を沸かし、焼酎を温める。アルコールが胃袋に流れ込むと、急に空腹を感じピーナツをかじる。
  体も温まり一段落してから、外の様子を調べるため戸外に出る。雨は止んだようだが、一面の霧だ。先ほど聞いたラジオでは、明日は晴天らしい。宮之浦岳への道を確認し小屋に帰る。 (その2)

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