7月25日 (土)
松江を24日(金)の午後1時に出発して、富山県の高速SA「有磯海」泊。ここは、芭蕉奥の細道での句「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」で有名なところ。有磯海とは、富山湾のことだそうです。
いよいよ今日は会津朝日岳へ。この山は、ここ4年間登山禁止となっていた。やっと登山口までの道路整備が出来て今年より解禁。北陸道を長岡でわかれ、関越自動車道は小出インターで降りる。あとは、越後三山などを横に見ながら、60里越えをして只見町に入るわけだがこの辺りには、浅草岳とか守門岳とかがあり思い出も色々ある。
途中、道の駅「いりひろせ」でソバを食べる。ここのソバは、つなぎにやまごぼうの葉からとれる繊維を使っていてちょっとめずらしい。味はいまいちだが、同じ質のソバでは、志賀高原入り口にある道の駅「北信州やまのうち」の20食限定の方はよかった。
六十里越 記念碑 向こうに田子倉湖が
河井継之助たちが越えた峠は、旧道の方。 「 六十里 腰抜け武士の 越す峠」 辞世の句
只見町に入る。左にちょこっと見える山が「会津のマッターホルン蒲生岳」
水害の跡も生々しい、いわなの里。 いわなの里にある駐車場だが・・・。
いわなの里の施設は壊滅状態。復旧にはもう数年はかかりそうです。男性が一人で片付けをしていたので駐車場の事を聞いたら、登山のための駐車はこの奥にあるといわれた。写真にある場所でテントを張ろうとしていたのだがテントはダメだそうです。仕方なく、奥まで行ってみる。10台くらいは止められそうなスペースがあった。そこに張ろうとしていたら、次々に車がやってきて結局車中泊をすることとなった。
はじめに入ってきた車から、変な装いをした男性が下りて来た。最初は、「おとこおんな」かと思った。スカートのようなものを身につけているので何とも妙な感じだった。話では、スコットランドの服装だそうだ。そういえば、スコットランドでは男もスカートをはく。この男性は、200名山を目指していて、夕張岳での熊の話をしてくれた。
その日の夕張岳は、霧が出て視界は良くなかったらしい。頂上で先着のこれまた単独の男性がいて、一緒に下山しようということになり視界の悪い中、下山を開始。しばらく行くとハイマツの中に何かいるようで、近づいてみたら熊。先にいた男性が、「熊~、熊~」と言って熊の前で腰を抜かしへたり込んでしまったので、あわてて引きずって後ずさりし頂上まで引き返す。幸いにも、この熊は食事中で人間には関心がなくて襲われることはなかったそうです。鈴をつけて歩いていたけど効果なし・・・? これは、彼の話です。
7月26日(日)
暗い内から車がやってくる。こちらも早めに食事を済ませ、5時にスタート。スカートの男性はまだ車の中。沢沿いに進み、山道に入る。三吉のミチギの水場まで体がなれないのできつい。最近あまり歩いていなかったので体がなまっている。くたびれてここで一休み。
後に会津の山々が見えてくる
水場から、くねくねとした道を登ると人見の松。さらに登りは続き日陰もなくなる。7時35分、叶ノ高手にたどりつく。この辺りから、頂上が見えてくるが、先はまだ長そうだ。とのかく暑い。
登り下りを入れながら、避難小屋に着く。
中はあまりパッとしない避難小屋。あまり、お世話になりたくないな~。
そして、いよいよ最後の登り。
途中で追い越したスカートの男性が登っています。下にいればケツが見えそうですね。
8時45分、頂上です。右がスカート。
会津朝日岳 1,624m
北から東にかけて、 守門岳、浅草岳、大日岳、飯豊山。北から西にかけて、越後駒ヶ岳、中岳、平ヶ岳、至仏山。南の方に男体山や赤薙山などが見えるようです。
頂上まで、3時間45分かかりました。まあまあのペース。下山は、三吉のミチギまでが長いこと長いこと。スカートもここでダウンしていた。登ってくる連中も、暑さに参っていた。暑いと体力を奪われる。
鮮やかに咲いた山アジサイ。シモツケソウも咲いていた。
12時45分、登山口へ。只見町で風呂に入り、ビールを飲む。暫し休んでから、長岡を経由して新潟市まで行く。
道の駅「新潟ふるさと」
結局、ここの道の駅で2泊して、新潟港から小樽行きのフェリーに乗る。