山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

山とお寺 四国八十八ヶ所札所めぐり(その9)1月4日

2021年01月18日 | ぶらり

  

                  釈迦 入滅

         

お釈迦様は、北枕、右を横にしてお亡くなりになりました。紀元前のこと。釈迦は、一つ所に長く住むことはなく、教えを説きながら歩いてておられました。最後の旅は、故郷へと向かっておられたようです。

 釈迦の教えとは、「よく生きなさい」ということに尽きると中村元先生は言っておられます。

                       みくろ洞

               

               

 1月4日

 昨日、最御崎寺の後、空海が修行したと伝えられるみくろ洞を見る。みむろ洞は落石の危険があり今は中に入れません。近くに涅槃の釈迦像があり、その横に青年空海の巨大な立像があります。

 空海が修行を行った場所ではっきりしているのは、海岸に面したここ「みくろ洞」、奥深くけわしい山奥にある大龍寺などが知られています(自身の著書に書いてある)。空海という名前は、空と海の地での修行から得たと言われますが・・・。

 修行と言っても、生きていくのに基本的に必要な衣食住の確保はどうしていたのか不思議な気がします。衣と住はいいとして、問題は食です。釈迦は、午前中はお布施に歩き、午後から修行に入られたようです。1日1食が基本だったようです。

 インドでは、古くから修行者にお布施をする(食べ物などを供える)習慣があったようですが、日本ではどうだったのだろうか。

 空海も、午前中は托鉢(お布施を受ける)に歩き、午後修行に入ったのだろうか?近くに町や集落があればいいのだけれど、どうも気になります。現在のように、コンビニがあるわけでも無い時代です。

 仏経修行に乞食道というのがあります。施しを受けながら生活していくという修行です。かの漂泊の詩人山頭火は、このスタイルで各地を巡り、多くの句を作っています。

                    暮れても宿がない もずが鳴く

            

 四国のお寺には、山頭火の句碑が多い。

 3日に高知県を終え、徳島県に入る。夕刻道の駅「日和佐」着。すぐ近くに23番薬王寺がある。

4日は早朝薬王寺に参る。墨書・御朱印は7時から始まる。どのお寺も、朝は早い。この後、阿南市の溝田氏と連絡を取り、自宅へ伺う。

 溝田さんとは、山旅の中で出会った。もうかなり前のことになっているが、時折連絡を取ったりしているし、氏のブログ(阿南市 溝田で出る)はいつも拝見させてもらっている。

 日本人としては、珍しい生活をしておられる。多分、ヨーロッパ当たりでは、こんなライフスタイルは多いかもしれないと思うのだが・・。

 すごいと思うのは、旅の範囲が桁はずれていて、国内のみならず世界が相手。それも海旅がすごい。ヨットで世界の海に乗り出すということなど一般の日本人には考えられない。四国育ちだから、そんな雄大な気持ちが培われたのか・・・?

 確かに、太平洋を眺めていると、車より船がほしくなるのはわかる。考え方も広くなるような気もする。仕事はほどほどに辞めて、奥方と日々の生活を楽しんでおられる。

 溝田さんと出会ったのは、100名山の途中で、荒海山登山の時。自分は登りにかかっていたが、溝田さん御夫婦は下山の中で、何かにつまずかれたらしく上から大きな声がしてびっくりしたのを覚えている。後で、氏のキャンピングカーでお話をしている。

 自分は、荒海山の後に七ヶ岳、牡鹿岳と登った。確か七ヶ岳登山口でもほんのちょっとだが顔を合わせ、最後に出会ったのは、この日の夕刻道の駅「たじま」。

 以後、今日まで会うことはないが、身近に感じられるのはいつもブログを拝見しているからだろうか。

                                                    続く 


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