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山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

雄阿寒岳と雌阿寒岳(その2)

2014年11月12日 | 日本百名山

2008年6月28日 雌阿寒岳 
 5時30分、登山口にあるポストの登山者帳に名前と下山時刻を記入してスタート。今日も針葉樹の森の中を行く。北海道の針葉樹には、エゾマツ、トドマツなどがあるが、見分ける方法は木の肌と樹形で分かるとのこと。
 アカエゾマツの林には、マイズルソウやゴゼンタチバナが目立つ。マイズルソウは山陰の大山でも見かけるが、ゴゼンタチバナはない。この花の南限は本州中部あたりであろうか。6時05分、3合目。ハイマツ帯に入りイソツツジを目にするようになる。すっかり晴れ上がった青空の下、火山特有の砂礫の道をひたすら登る。今日はコンデションも良いらしく、息は上がるのだが、あまり苦しくは感じない。6時55分、7合目着。左下遙かに、オンネトー湖の青が見える。火口壁の間に、赤沼が見え出すと頂上は近い。

             

 7時35分頂上に到着。今日も360度の眺望が得られた。昨日登った雄阿寒岳、すぐ目の前には、阿寒富士。驚かされたのは、青沼の美しさだ。頂上より稜線通しにわずかに下ると、まん丸い青沼が現れる。小さな池なのだが、そのまん丸な形と美しい青の色合いに思わず息を飲む。不毛の大地に、青く輝く宝石を置いたようだ。

 
        

 青沼を右手に見ながら、阿寒富士に向かう。ザクザクとした砂礫の道を下ると、阿寒富士とオンネトーとの分岐に着く。阿寒富士の頂上に向かって、ジグザグと踏み跡が見える。 砂礫のもろい登り道だから、何とも歩き辛いが一歩一歩確実に進む。約25分程で頂上に着く。時計は8時25分だった。

            

         

 ここから望む雌阿寒の姿は、雄大そのもの。雄阿寒岳が背景に小さく見える。緑豊かで端正な雄阿寒岳に対し、今なお噴気を出し続ける雌阿寒岳は荒々しくエネルギッシュな迫力に満ちている。
            

          

 阿寒富士と雌阿寒岳への分岐まで下りる。この辺りには、コマクサをはじめメアカンフスマ、メアカンキンバエなどが荒涼とした砂礫地に赤、白、黄色の美しいアクセントを付けて目を楽しませてくれる。

        

 オンネトーへと下る途中、登ってくる小学生の一団に出会う。1年生から6年生までの一団だが、人数からいって近くの分校の生徒たちだろう。低学年は途中で引き返すそうだ。 登ってくるのを、道の隅の朽ち木に腰掛けて待つ私を見つけて、不思議そうな顔をしていた。1・2年生の幼い生徒たちがチョロチョロするので引率の方々も大変そう。
 最近、学校の行事の中からこのような活動がなくなりつつある。授業時間確保とか安全面での心配とかいろいろとあるのだが、残念なことだ。このような生きた自然の中での体験が肥やしとなり、教育の基礎・基本となる土台の部分を形成していることに気づくべきだが、今の教育現場は違う方向へと進んでいるように感ずる。
 樹林帯を抜けると、オンネトーキャンプ場に前出る。ここからオンネトーの湖畔沿いに今朝方出発した登山口まで国道を歩くことになる。
 オンネトーは、青々とした水をたたえた実に美しい湖だ。頂上の青沼も美しかったが、近づく事はできなかった。また、百名山では、草津白根山の湯釜が神秘的で美しいのだがこの湖がミルキーブルーなら、オンネトーはコバルトブルー。それも、水際まで近寄れる。水底に沈んだ倒木が手に取るように透けて見える。必見の湖だと思う。湖面に映し出された雌阿寒岳と阿寒富士が、豊かに吹き抜ける風に揺れてた。
    

         

 写真を撮っていると、木陰に休んでおられた男性から、「小学生たちとどの辺りで会われましたか」と聞かれた。教育委員会の方らしく、生徒たちの登山の安全を心配して待機しているとのことでしばらくお話をする。
 11時20分、雌阿寒岳登山口に帰着。イオウの匂いの強い温泉に沈。今日の疲れが癒されるような心地がする。

 明日は懸案の幌尻岳だ。風光る大地、どこまでも続く原野、北海道の田園は広く果てしない。本土は今梅雨らしいが、ここは梅雨を知らない別天地だ。夕刻幌尻岳登山の駐車場に着く。
 幌尻岳は課題の山だ。十分な下調べもしないでいたものだから、北海道に到着してからこの山の難しさを知り当惑する。
 一つは、時間のかかる山だということ。もう一つは、徒渉があるということ。ガイドブックを良く読んでおけば良かったのだが、今となっては仕方がない。現実的な対応をするしかない。
 山小屋利用も考えたが、小屋から頂上までの時間と、帰りを考えるてテント泊と決める。また、沢歩き用の履き物がないため、運動靴で代用し、沢でのズボンは雨具を使用することにした。心配なのは水量と水温であるが、これは沢に入って見なければ分からない。
 幌尻岳の駐車場は車道の途中にあり、車はここでストップで、ここからさらに2時間程度歩かないと沢に入れない。夕暮れの中、明日の準備にかかる。
 そうこうしていると、車が1台到着する。群馬県から来たという親子で、母親と大学生らしい息子の二人づれだ。明日早朝に発ち、一日で終えるという。幌尻岳が、日帰りも可能だと、この時始めて知った。夜半、もう1台車が到着する。


百名山の記録 幌尻岳

2014年11月11日 | 日本百名山

6月29日 幌尻岳

       

 2時過ぎ、群馬から来たと言う親子のライトの明かりがチラチラしていた。早めの出発だったらしい。私は、テント泊の覚悟だから、ゆっくりとする。
 5時にスタートし、8時50分幌尻山荘に着く。途中、17回の徒渉があったが心配していた水量はあまり多くなく、水温もほどほどの冷たさだった。
 幌尻山荘の前で登山靴に履き替える。小屋は無人らしく閑散としている。「使用料1500円をボックスに入れてご利用下さい」との標示があった。近くにテントが一張あったが、テント場はほとんどないといったほうがいい。
 

 9時20分、山荘前をスタート。久しぶりのテント泊と張り切ってみたが、やはり登りはきつい。小雨もぱらつきはじめる。間もなく、団体さんがにぎやかに下りてきた。女性グループで、いわゆる中高年の方々だ。「お嬢さん方は元気ですね」というと、「ありがとう」とうれしそうな返事。8時50分、「命の水」に着く。ザックを降ろし、水を飲む。冷たくてうまい。「命の水」とはこのことだ。
 

 尾根道から稜線にかかる頃、群馬の親子と出会う。朝2時30分に駐車場をスタートしたとのことだ。その健脚ぶりに感心する。この分だと余裕で車まで帰れるだろう。
 ハイマツ帯を抜ける頃、幌尻の山頂が雲間に姿を現す。稜線の下手に、カール地形のような台地(北カール)が広がり、かなりの雪渓が見える。テント場として申し分の無い場所だが、急斜面を幾分下らなくてはならならず、道もはっきりしない。
 重い荷物にあえぎながらも、高山の花々に心引かれる。イソツツジやウコンウツギなどの低木の下にひっそりと咲くシラネアオイが可憐な顔をのぞかせる。
 頂上を間近に望むようになると、花々の種類も増えて来る。チングルマ、ハクサンイチゲ、ツガザクラなどがぞれぞれに群落を作る。ツガザクラは、ここでは3種あるらしい。 イワウメ、キンバイ、フスマの仲間も負けじと咲いている。12時55分、2052m幌尻岳頂上着。天気は下り坂らしく、眺望はない。ガスが激しく行き交う。七ッ沼辺りは、まったくもって雲の中。明日の天気が期待できれば、適当な場所にテントを張ろうと考えていたが予想ははずれたらしい。花々に別れを告げて、下山する。
 

 16時45分、幌尻小屋着。くたびれ果ててしばし放心状態だ。沢を流れる水音がいやに大きく聞こえる。霧が下りてきた。水を汲み、湧かす。ウイスキーのお湯割りで少し元気が出る。これからどうしようか、と考える。テント泊とするのか小屋泊まりとするかだ。 テント1張りなら何とか張れそうだが、条件としてはあまり良くない。小屋に入ってみる。真ん中にストーブが置かれて、良く整理され台所も使用可能だ。2階の棚には、毛布が積み重ねられ、窓から外の様子が見て取れる。庭に置かれたザックがポツンと寂しそう。
 結局、この2階で泊まることにする。1人で寝る山小屋は、正直いってあまり気持ちの良いものではない。ランプでもあればいいのだが、日が暮れれば真っ暗闇だ。残りのウイスキーを飲んで寝る。

  6月30日
 予想通り天気は悪い。雨が降るほどでもないが山は厚い雲におおわれて何も見えない。運動クツと雨具にはき替えて沢に入る。小屋のすぐ前の沢から1回目の徒渉が始まる。渉り切ったところで、男性に出会う。早い到着だと感心する。短いパンツに、簡易な沢用のズック。軽装なのに驚く。鳥取県から来たという。幌尻を1日でやろうとすればこんなことになるのだろう。
 帰りの徒渉は、回数を数えながら楽しくできた。17回きっちりで取水施設まで下る。8時35分だった。長い車道を歩き、駐車場に帰り着く。
 新しい登山者の方が数名、出発の準備をしておられた。明日7月1日から夏のシーズンが終わるまで、幌尻小屋は予約で一杯とのこと。明日から小屋も大勢の人で賑わうことだろう。いつか晴れた日にもう一度登ってみたい、と思いながらクツ紐を解いた。


百名山の記録 雄阿寒岳と雌阿寒岳   

2014年11月10日 | 日本百名山

2008年6月27日  雄阿寒岳 1371m
 早朝、雄阿寒岳登山口へ車を移動する。登山口は、阿寒湖が阿寒川へと流れ込む位置にあり、車数台を停めることのできる駐車場にはトイレもある。6時15分、霧の中をスタート。針葉樹の林を行く。足下には、マイズルソウやゴゼンタチバナの群落が広がり、大ぶりのサクラソウはオオサクラソウ。
                 

                                        ゴゼンタチバナ

             
              

 一合目までがいやに長い。この山の「合目」の区切り方はどうなっているのだろうか。他の山と違うような気がする。こんな時は、ゆっくりと歩くのが一番。長丁場をゆっくりと歩くことを、富士山で学んだ。私は、この歩き方に「富士山歩き」と命名した。
 8時50分、やっと4合目に到着する。

         

 実質的にかなり登っているらしく、いわゆる4合目とは違うようだ。5合目で標高は1200m。「実質的に8合目に相当する」らしい。どういうことだろう。8合目なら、8合目とすれば良いのにと思う。

 

  視界も開け、阿寒湖の向こうに雌阿寒岳が赤茶けた山肌を見せる。活火山の名の通り、噴気がかいま見える。

       

 急登もほぼ終わり、ハイマツ帯の中ゆっくりと頂上を目指す。
 朝霧も晴れて、素晴らしい北海道の青空が空一杯に広がる。暑くもなく、寒くもなく吹き渡る風が心地よい。9時35分、1371m雄阿寒岳の頂上に立つ。360度の大展望だ。斜里岳、羅臼岳が彼方にかすみ、東にうっすらと見えるのは大雪山だろうか。地図に詳しい人なら、幌尻岳、十勝岳も指し示すことができるだろう。

         

  眼下には、ペンケトー、オンケトーの2湖が、遙かに摩周湖、屈斜路湖は緑の中に光っている。ハクサンチドリやイソツツジ、イワウメなどの花々が雄大な北海道の自然の中で 風に揺れ騒ぐ。

          ハクサンチドリ                    イワウメ 

           

                  雌阿寒から見る雄阿寒岳

        

        

  明日は雌阿寒岳。今日はゆっくり温泉に浸かることにしよう。12時40分、駐車場に帰着し、湖畔を散策してからそのまま雌阿寒岳へと向かう。

                    松浦武四郎 碑

  

                 マリモの歌 バックは雄阿寒岳

       

 雌阿寒岳への登山口は幾つかあるのだが、麓に温泉のある雌阿寒温泉登山口の駐車場に車を停める。温泉は目の前、トイレもきれいだ。数台の車は明日の登山者のものだろう。 明日の準備を済ませ、一風呂浴びる。イオウの匂いが体にしみ込むようだ。一日で雄阿寒、雌阿寒を済ませることもできるのだが、1日1山として今日は早めに寝ることにする。 


百名山の記録 斜里岳

2014年11月08日 | 日本百名山

  明日の斜里岳へ向かう前に、確かめておきたいことがあったので知床公園線をカムイワッカの滝方面向かうが、知床5湖までで車はストップ。この先は今、道路の整備中だそうだ。硫黄山登山口まで行ってみたかったのだが、あきらめる。
 斜里岳へは、ウトロから知床国道をしばらく引き返すことになる。途中、清里温泉で汗を流す。山に登った後のお風呂はいい。心身共に爽快な気分となり、次の山への意欲をかき立ててくれる。特に、土地土地に湧く温泉は、100名山の隠れた楽しみの一つだ。
 さっぱりしたところで斜里岳登山口へ向かう。広い北海道の田園風景の中で道を間違える。キタキツネに笑われながら、何とか清岳荘の駐車場に着く。すぐ前に登山口があり、登山ポストも設置されている。

                         エサをもらえると思って出て来るキタキツネ

              

 今日は、清岳荘に泊まることにする。泊まりだけで食事はないが、新しく清潔でありトイレがきれいなのがいい。素泊まり3,000円也。駐車場には3組の登山者が車を停めておられた。小屋の客は、ご夫婦が一組。私は、外の車の中で食事を済ませてから小屋に入る。小屋の管理人さんから斜里岳についての説明を聞く。外は深い霧に包まれて深閑としている。広い部屋に毛布を敷き横になり、団らん室にあった本を読みながら暇をつぶす。

 2008年6月26日 斜里岳
  5時20分、霧雨の中をスタート。登山道は一旦車道に出るが、間もなく新たに登山口の標識が現れる。渓流沿いの道をひたすら進む。昨日、小屋の管理人の方から残雪が崩れて危険な箇所があると聞いていたので慎重に歩く。渓流沿いの道は、沢登りの感がするが水の中を歩くことはない。注意を受けた残雪の大きなブロックを越えて、登山道の分かれに着く。下二股だ。この後、道は上二股で合流するのだが、沢沿いの道が旧道で山手に分かれる道が新道。登りは旧道、下りは新道を行くのが一般的らしい。

           

           


 旧道には、「~の滝」というのがやたらと多い。有り難そうな名前の滝もあり、退屈しのぎには良い。道は濡れた岩や、急な岩盤の上に延び、水の流れを巧みに避けている。慎重に歩かないと危険そうだ。下りにこの道を使うとすれば、さぞ苦労するだろう。そのために新道は開かれたのかもしれない。岩質のせいか滑らないのが幸いだ。
 

 上二股から、涸れ沢のような低木帯を進むとやがて視界は開けて、稜線が見えてくる。最後のガレ場を登り切ると馬の背に着く。8時着。頂上はもう指呼の間に見える。
 途中、ミネザクラ、ウコンツツジ、ツガザクラ、チシマノキンバエ、チングルマなどを見る。馬の背で一息入れ、頂上に向かう。1547mの斜里岳頂上に8時20分着。

          

         

 今日も雲海が広がり下界は見えないが、近くの主だった山々はよく見渡せる。知床半島の中央部に位置するのが羅臼岳、斜里岳はこの半島の根っこ部分にあたる。羅臼岳と斜里岳を直線で結び、南西方向に延長すると阿寒岳、さらに延長すれば幌尻岳へと向かうことになるのだが、見えるのは赤く崩れたような山肌の雌阿寒岳ぐらいまでだ。
 地上からの景観を万喫して、下山する。帰りは新道を行くことにする。天気は素晴らしく回復して雲一つ見えない一面の青空だ。朝霧のでる日は、山頂は晴れ。こんな話を羅臼で聞いたような気がしたが・・・。

                         振り返ると

           

                       遠くなる斜里岳

           

 上二股より、山手の新道に入る。多少のアップダウンの後、熊見峠に着く。見晴らしの良い峠だが、道はこれより一気に下りにかかる。雪解け後でかなり荒れてはいるが、順調に下れる。雪解け時期なら泥濘に捕まり、さぞ苦労することだろう。そんな時は、旧道を下った方が賢いかもしれない。下二股まで下りてホットする。11時15分、清岳荘駐車場に帰り着く。天気は安定してきたらしく、流れる汗も心地よい。
 斜里岳を終え、阿寒岳へと向かう。広大な大地に延びる道の両脇に広々と広がる畑。栽培されている野菜は、何だろう。トウモロコシ、ジャガイモ、メロン・・・。
 国道391号線は、摩周国道と呼ばれる。この道路は、摩周湖の西、屈斜路湖の東を通り、これまた屈斜路湖の西を走る美幌国道と弟子屈で交差する。弟子屈を「てしかが」と読めるのは、現地の人を除いてそういないだろう。
 摩周国道は、さらに南に延びて釧路へと達するのだが、美幌国道は東に折れて途中パイロット国道と名前を変え、別海町を抜け浜中町厚床に終わる。
 摩周国道から、阿寒横断道路に入ると阿寒は近い。双岳台の展望所に差しかかる頃、行く手にひときは目立つ山が姿を現す。その瞬間の印象は、「三味線のバチ」だ。そのバチを立てたような形の山が雄阿寒岳だった。山の姿や形は、見る方角・位置により全く異なるものだが、突然に出現したユニークな山容に驚かされる。パンケトウ、ペンケトウの湖の呼名も何か暖かさを覚える。
 車を阿寒湖畔の駐車場に入れ、「まりもの湯」に浸る。町中の温泉なのだが、客は誰もいない。コイン乾燥洗濯機も備えてあり、これ幸いと汚れ物を投げ込んで洗う。
 長旅の秘訣は、「トイレと風呂と洗濯」の3つを確保することだ。トイレは「道の駅や高速のサービスエリア」などで、風呂は大体「各地の温泉」で、洗濯は「コインランドリーか宿に備え付けられている洗濯機」で済ませることにしている。
 阿寒湖周辺は、一大観光地となっていて、人も多い。マリモ見物の観光船が湖に行き交い、町は観光客で活気を呈していて、街角に流れるマリモの歌を聴く。湖畔入り口付近には、松浦武史郎の句碑が建ち、さらに進むと石川啄木の句碑がある。
 松浦武史郎は江戸期の探検家として一般的に知られているのだが、あの時代に、彼を蝦夷地探検に向かわしめたものとは何だろう。折りがあれば調べてみたいと思う。
 この日は、近くのキャンプ場の駐車場に車を停める。各地からやって来たと思われる旅行者が、思い思いにテントを張りくつろいでいる。久しぶりに落ち着いた気分になる。
 


百名山の記録 シリベシ(羊蹄山)山

2014年11月07日 | 日本百名山

 2008年6月
 

 百名山の完登を目指して始めた山旅もいよいよ佳境を迎えつつある。屋久島は宮之浦岳を皮切りに北上し、約70名山を終えた今、遠い遠い存在であった東北・北海道の山々に足を向けることとなった。
 遠くて広いこの地域の山々をどう登り歩くか色々思案したが、結局、北から順に一山ずつ登ることにした。

 平成20年6月21日(金)、小樽港へ向かうフェリーに乗船するため舞鶴港へと向かう。いつもは通り過ぎるだけの舞鶴だが、今日は東舞鶴港の埠頭に車を止める。運送手続きを済ませ、出港までの待ち時間を「舞鶴引上記念館」の見学でつぶす。
 ロシアにおける捕虜収容所での過酷な生活、飢えと寒さの中での労働、捕虜とはこんなにまで悲惨な状況下におかれるものなのか。館内一杯に展示された資料が胸を打つ。
 引き上げ者の母子の途方に暮れた写真。一体この親子は、この後どのようになったのだろう。夕暮れの舞鶴港に暑い一日の終わりを告げるようにポツリと明かりが灯る。昭和20年の6月も、このようにして暮れていったのだろうかとふと思う。
 港に帰り、乗船車の列に並び、待つこと3時間。やっとフェリーに乗船だ。これから約20時間の船旅が始まる。ガラガラの2等客室に手荷物を置き、風呂に入る。船内はクーラーが効いているので舞鶴での蒸し暑さが嘘のよう。風呂上がりのビールでのどを潤し、船室でゴロゴロと過ごす。
 22日は退屈な一日だ。船は日本海をゆっくり北上する。秋田沖では、楽しみにしていた鳥海山の姿が見えない。乗務員に聞くと、航路が沖合のため見えないとのこと。大変残念。
  夕刻より、船内がざわつき始める。北海道の大地が見えてきたからだろう。落日が美しい。
 20時45分、予定通り小樽港に着く。いよいよ北の地に上陸。といっても今夜の宿に当てがあるわけでもなく、取りあえず小樽港に一番近い高速道路の金山パーキングに入り車中泊とする。

 6月23日 シリベシ山
 朝日の中、今回最初となる山、シリベシ山へと車を走らす。目指すは倶知安コースの登山口だ。いくつかの町を抜けると羊蹄国道という標識が目に入る。
 倶知安峠を越えると目の前は一変する。その変化はシリベシ山との唐突な対面に始まる。蝦夷富士と讃えられるシリベシ山。初夏の風に吹かれ、降りそそぐ日の光の下に、北の大地の中から生まれたようなシリベシ山がそこにあった。
 7時40分、倶知安登山口着。すでに数台の車が止めてあり、2組の夫婦が山の準備に取りかかっていた。駐車場隅の木陰には、昨夜を過ごしたと思われるテントが一張り。
 車から降り、山の空気を吸うとなぜか心が騒ぐ。急ぐ必要はないのだが落ち着きが無くなるのはいつものことだ。忘れ物のないよう荷物の中身を確かめ、はやる心を抑えながら7時15分あこがれのシリベシ山目指してスタート。
                

                       登山口にて 

         

 北海道の山に登るのは久しぶり。かって利尻、礼文そして大雪山には登っているのだが、この頃は百名山への意識は全くなかった。そして今、北海道に残す7名山への山行が始まった。
 樹林帯に伸びる山道を行く。爽やかな緑の風が心地よい。梅雨入りとなっている本州の気候が嘘のように感じられる。「梅雨のない北海道」とはこういうことなのかと感じながら歩く。
 リズムよく歩が進む。体の細胞1つ1つが自然の中で目覚めてくるような、そんな不思議な感覚に包まれていく。遠い過去から伝わって来た命の連鎖。歩速度と呼吸のバランスの心地よさ。進め進めだ。
 間もなく先行していたご夫婦を追い越す。ご主人さんは幾分息も上がり苦しそう。奥方の方が健脚らしい。さらにしばらく行くと、2組目のご夫婦に追いつく。このご夫婦、お2人とも健脚らしい。               
  沢筋にサンカヨウの白い花がチラホラと見える、山陰では、もうとっくに散ってしまっている花なのだが、なぜか懐かしく感じる。シラネアオイが可憐な笑顔で迎えてくれる。ここは北海道だから、シラネアオイはエゾシラネアオイとでもよぶのだろうか。急登にあえぎながら山小屋への分岐に到着。眺望の開けたスペースに団体さんが一息入れておられた。
       

                    シラネアオイ    

        

 10時9合目着。朝、あんなに晴れ渡っていた空に雲が広がる。下山してこられた方から、今朝の山頂での素晴らしさを聞く。久しぶりの天気だったらしい。
 低木帯から草本帯へと入り、ツガザクラが現れはじめると急登もほぼ終わり、ザクザクとした砂礫の道を歩くことになる。

                   黄色いスミレの群落

       

 母釜と呼ばれる火口跡を横に見ながら、なおも進むと巨大な火口の縁に出る。これが父釜だ。火口の縁が縦走路のようになっていて、その一角にシリベシの山頂があった。

  っv     

 10時50分、1898m道央最高峰に立つ。

                  シリベシ(羊蹄山)山

         

  火口壁に向こうに、登山者の群れがアリのように見えるのがおもしろい。薄いベールに包まれて、何か白黒映画の1シーンを見ているようで現実のものとは思えない。山をさすらい歩く漂泊者の群れのようでもあり、浄土へと旅立つ信者の姿のようにも見える。
 風のまにまにガスが切れ、現実が姿を現す。一人ひとりの姿がくっきりと見えるのは、澄み切った空気のせいだろうか。
 火口壁の縁を時計回りに周り、雪解け水の豊かさに驚きながら避難小屋へと下る。この上もなく簡素な避難小屋に着く頃、天気も多少持ち直して時折青空が顔を出す。小屋の周りには、乏しい燃料の足しにするのだろうか、濡れた木材の切れ端が天日にさらしてあった。素泊まりのこの小屋も、シーズンに入れば多くの宿泊者で賑わうことだろう。この小屋に泊まり、朝早くに頂上を目指せば感動的な日の出のシーンに出会えるかもしれないのだが、どうも天気は期待できそうにない。あきらめて下山することにする。
            

                   火口を一回りして

         

 14時20分、駐車場着。汗を流しにと、近くの温泉へと車を走らす。シリベシ山は雲の中。ニセコアンヌプリの山々がシリベシ山とは対照的で印象的だ。ニセコ昆布温泉という変わった名前の温泉に浸り次に登る山について思いを巡らす。
 羅臼山を2登目の山と決める。明日は移動で一日をつぶすことになるが、途中立ち寄ってみたい土地もあるのでちょうどよい。天気も下り坂だ。


百名山の記録 羅臼岳

2014年11月07日 | 日本百名山

 2008年6月24日
 小樽~札幌~旭川とつなぎ美幌から網走に入る。途中小雨ぱらついたが、オホーツクは曇り空。網走監獄の観光案内板が目に付く。倶知安が自衛隊の町なら、網走は監獄(現刑務所)の町。それだけ、かっての監獄が果たした役割は大きい。監獄によって町が発達した例の一つだ。
 網走といえば、かって巷で流行った歌と共に映画「網走番外地」を思い出す。
                  春に春に追われし花も散る
                  酒(きす)ひけ酒(きす)ひけ酒(きす)暮れて
                  どうせおいらの行く先は
                  その名も網走番外地  

              網走刑務所(立っているのは人形)

    

           左の人物は、脱獄の名人(後に模範囚となる)

         

 


 高倉健さん主演の映画「網走番外地」の主題歌であるこの歌を、当時、飲むとかならずといってよいほど歌ったものだ。この虚無的で、もの悲しい調べに乗ってスクリーンに映し出されれる冬のオホーツクが記憶の片隅から消えないのは何故だろう。
  網走監獄はいわゆる記念館的な博物館として当時の姿を復元させたものらしく、網走刑務所とは別のものである。監獄が、歴史文化博物館として今なお残るのは、北海道開拓の歴史とも密接な関係があるからだ。
              

                    網走刑務所の歌

       

             

            遙か遙か彼方にゃオホーツク
           赤い真っ赤なハマナスが
                   海を見てます泣いてます
                   その名も網走番外地
 
 歌を口ずさみながら、車をオホーツク海沿いに走らす。斜里を過ぎ、ウトロに入る。オシンコタンの滝を横に見て岩尾別温泉の駐車場に車を止める。この駐車場はホテル「地の涯」のものらしく、登山だけを目的とする者の駐車場は限られていて、隅の方に移動させられる。
 今日は登山口までの下見だけなので車を置いて様子見だ。ホテルの横手をしばらくたどると狭いけれど車数台は置けそうな駐車場があり、その奥に木下小屋がある。登山口はこの小屋の前となっていて、登山ポストが置かれ、「クマよけスプレーお貸しします」のビラが貼ってあった。有料なのだろうが、どうしたものだろう。
 ホテルの駐車場に帰り、川沿いに整備された天然温泉を見物する。ホテルの従業員の方たちが整備されたそうで、無料となっている。
 今夜の宿泊地をウトロの「道の駅」と決めていたので、一旦引き返すこととする。オホーツクに沈む夕日を見ながらビールで乾杯。今日も車中泊とする。

 6月25日 羅臼岳
 北海道の朝は早い。松江と比べ緯度にして約12度の差があるので、時間にするとざっと44分の差があることになる。だから、4時にはもう明るくなっている勘定だ。
 朝はすぐに岩尾別温泉前の駐車場に移動する。4時25分、木下小屋前の登山ポストで登山者届けを済ませ、スタート。クマ注意の看板があるが、出くわさないようにと念じながら歩く。クマは、蜂の巣やアリの巣などを狙って出没するらしく、その場所が登山口をしばらく登った辺りらしい。
 私より早く登っている人がいるので幾分安心だが、危険地帯は早く抜けるのが一番だ。
 樹林帯の中にくねくねと続く道もいつしか尾根筋に入り、間もなくオホーツク展望台に到着する。下界は霧に被われ視界はない。羅臼が霧に包まれる日は、素晴らしい雲海を見ることができるそうだ。5時45分、弥三吉水に到着。水場の横に一張り程度のテントを晴れそうなスペースがある。冷たい水でのどをうるおしなおも登ると、極楽平だ。

          


 極楽平は、平坦地でもあり一息入れるのに良い場所。しかし、すぐに急登が始まる。急坂を過ぎ、霧も晴れて来た頃、行く手に雪渓が現れる。いよいよ大沢に到着。ここを詰めれば羅臼平。雪渓の端に先行者が休んでおられた。簡単な朝の挨拶を交わして、雪渓への登りにかかる。汗にまみれた身には、雪渓歩きは冷たくて気持ちが良い。息は切れるが、一気に羅臼平までがんばることとする。雪渓の溶けたあとの地肌には、沢山の花々が美しく咲き誇り、谷間を埋めている。これから本格的な花のシーズンを迎えることになるのだろう。エゾコザクラの可憐な花に励まされるようにして雪渓を詰めると羅臼平。
 右手にゴツゴツした岩を重ねた羅臼岳、左手にはゆったりとした起伏は三つ峰だ。ヒグマ対策のための看板が立てられ、金属製のボックスが置かれていた。食料類の管理のためらしく、匂いのするものは全てこのボックスに入れておけとのことだ。ここでキャンプをする登山者がいるのだろうか。

                      エゾコザクラ

             

 
  羅臼平から頂上へと登山道が延びて、その先に人影が見える。もう一人先行者がいるようだ。頂上直下に残るやや急な雪渓を慎重に登り、最後の岩場を越すと羅臼岳の頂に立つ。8時20分だ。知床半島の盟主、羅臼岳。

          

 1661mの頂上からは、雲海の彼方にクナシリ、エトロフ島が淡く浮かび上がって見える。そのずっと手前に硫黄岳が際だっているが、羅臼岳から硫黄山までの縦走は魅力的に見える。北海道に残された秘境が幾つかあるとすれば、このルートは、それを体験できる一本だろう。

          
 

 雲海に眠る北の大地は広く、果てしない。今日は、オホーツクの海を見晴るかすことはできないが、漠とした広大な自然のただ中に立っているのだというやや緊張した存在感に浸る。下の雪渓で出会った青年が登ってきて、あれこれ説明をしてくれた。彼は、どうも地元の人らしい。風が強く、寒い。写真を撮り下山する。青年はラーメンを作るといって風陰に姿を消した。腰にナイフを下げていたが、ヒグマ対策なのだろうか。
 羅臼平まで下り、一休み。この頃、ポツポツと登山者に出会う。青空も現れ、天気も良くないそうな気配。先ほど立った羅臼岳が、青空に映えて美しい。
 雪渓には、エゾコザクラを始めとして、チングルマ、エゾツガザクラ、アオノツガザクラ、チシマフウロなどの花々が嬉々として風に揺れている。北の大地に訪れたつかの間の春の喜びと命の燃焼を、花たちは無心に表現しているようだ。どの花も皆美しく、そして輝いて見える。
 雪渓もほぼ終わり、ふと振り返ると、先ほど頂上近くですれ違った男性が素晴らしい早さで下りてくる。感心して見ていると、アッという間もなく近づき追い越された。歩くというより走るといった感じだが、彼は、山岳マラソンの選手かもしれない。
 私もまねをして走る。下りなのでおもしろいのだが、つまずいて転倒する。少し足首を痛めたが、大したこともないようなのでまた追いかける。羽衣峠、仙人坂、極楽平と過ぎるがいっこうに追いつくような気配はない。樹林帯に入ると、ヒグマのことが頭をよぎり休む気にもならない。オホーツク展望台を過ぎ、間もなく終点かと思われる頃、やっと男性の姿が視野に入って来た。かれはもう余裕で歩いていた。
 登山口手前でやっと追いつく。ちょっとビックリした様子の男性と話しながら下る。、九州からやって来たというこの男性は、サロマ湖100キロマラソンに参加し、北海道の山々を走破する計画とのこと。この後、阿寒岳、幌尻岳を目指すという。
 私が、明日斜里岳に登るというと、「斜里岳は昨日登りました。羅臼岳の途中ですから・・・」と話された。11時45分駐車場着。この男性とは、また何処かの山でお会いすることを楽しみにして別れる。 
 

 
 


百名山の記録 焼岳

2014年11月07日 | 日本百名山

2008年 5月26日 焼岳


 昨日の夕刻、沢渡の駐車場に着く。近くでお風呂に入り、駐車場にて車中泊。管理のおばさんがやって来て、2日分の駐車場代金を取られる。缶コーヒーをもらう。
 上高地へは、5月の連休のオートルート以来となる。今回の百名山の計画には入れていなかったのだが、至仏山への入山できなかった代わりに急きょ加えた。
 沢渡大橋5時30分のバスで、上高地バスターミナルへは5時55分着。山々の雪の多さに驚く。北アルプスの山々は、やはり良い。思い出の山、懐かしの山だ。

  焼岳はと見ると、華やかな穂高連峰の中にありながらも、北アルプスの異端児とでも言いたげに梓川の流れの果て、幾分の雪を頂いて座している。
 6時25分、焼岳登山道入り口。2輪草の咲き競う道をゆっくり進む。やがて残雪が現れ、土道と雪道のミックス状態が続く。かすかな踏み跡とテープに導かれ進む。時折、樹間に焼岳の先端を見る。樹林の切れた辺りから、梓川の左岸、六百山から霞沢岳へと続く稜線が青空の下にくっきりと姿を現し始める。
 残雪の大きなブロックをキックステップで乗り越し、取り付けられたハシゴを登ると、眼前に焼岳が現れる。遅い月が、ちょうど頂上の真上にかかり、白い煙のようなものが見える。水蒸気なのだろうが、なんとなく緊張する。
 最後の長いハシゴを登り切ると、焼岳の北の頂きから中尾峠へと続く稜線が、早くやって来いとでも言わんばかり。最高の天気に恵まれ、今日は貸し切りの贅沢な頂上となりそうだ。焼岳の小屋が根深い雪の中にぽつんと佇み、間もなくやって来るであろう主を待ちわびているようだ。
                                     焼岳を見上げる

               

  頂上を目指す。ガラガラと崩れかかる岩屑の中を、ペンキの目印に導かれて登る。この
山も激しい崩壊にさらされているのが良く分かる。雪解け後だから、特にそうなのかもしれない。いよいよ気になっていた雪渓の端にたどりつく。雪は、いくぶん弛んでいるのでキックステップはよく効くのだが、結構な斜面に緊張する。上高地から見上げた時から気になっていた場面だ。真横にトラバースするより、斜め上方向へトラバースした方が歩きやすく、安心感もある。しかし、こんな所は早く抜けたいので、焦る気を抑えながらも確実なステップで渡る。
  北峰の肩から、乗鞍岳がを正面に見え、中ノ湯方面への沢はびっしりと雪に覆われている。まだまだスキーもできそうだ。
               

                   梓川と前穂・奥穂

          

 北峰へは、白いペンキでルートが示してあるが、すぐ脇で蒸気がシューシューと音を立てて不気味である。それに比べ南峰は穏やかそうなのでそちらを登ることにする。かすかな足跡をたどり岩場を越す。

          

 9時50分、南峯2455.5mに立つ。

               標識は風化してやっと読める程度

         


 帰りは雪のトラバースが気になったが、よく見ると登った箇所より少し下部の方がくびれて狭そうなので、そこを渡ることにする。数歩で渡り、幾分登り返して登山道に戻る。 ガラガラと落石を誘発しそうな下りだが、今日は他に人もいないので気分的には楽。シーズンに入ればさぞ難儀することだろう。
 展望台まで下ると、写真を撮っている男性に出会う。話すと、小屋開けの準備に来た方たちで、百名山登山にはまだ早いとのこと。南峯の話をしたら、あそこは立ち入り禁止区域だと注意をされた。南峰は、中ノ湯方面からだといくらでも安全に登れるように見えたのだが、どうしたものだろうか。

                    彼方に槍ヶ岳が・・・

         


 11時55分、ニリン草の咲く登山口まで無事下山する。梓川の畔は、多くの観光客で賑わいを見せていた。焼岳はと見ると、そしらぬ顔をして相も変わらず蒸気を吐き続けていた。自分は、本当にあの頂きに立ったのだろうかという妙な疎外感を感じたた。修学旅行の若々しい一団が、北アルプスの残雪にまぶしく見えた。


日本300名山(その他の山やスキーなど) 平成26年度(後期 その1)

2014年11月04日 | 日本百名山

    

 

         

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                                                  その2

        

      餓鬼岳と唐沢岳(白沢登山口~餓鬼岳・唐沢岳~中房温泉)    

                          その1

         

       日本の名山選定と日本三百名山       

          

     ちょっとそこまで 大出日山          

 

    秋の山へ 池の段~吾妻山(9月27日)    

 

    秋の山へ 池の段~吾妻山(9月26日)    

    

             白砂山             

     三百名山の二九九座目(平成26年9月14日) 

     

             鳥甲山             

    

                      佐武流山                   

      

             中之岳             

     

             八海山             

      

     百名山の記録  妙高山(その2)      

             ダケカンバの華

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     百名山の記録   蓼科山~霧ヶ峰~美ヶ原   

    


 百名山の記録 上州 武尊岳~皇海山

2014年11月04日 | 日本百名山

22008年 5月24日 上州武尊岳
 この山も、昨年トライしたのだが、折からの雪のため前武尊岳までで引き返している。あの時は、皇海山も至仏山も登るに登れない事情があり、急きょ片品村のスキー場から登ることにした。天気は良くなかったのだが、とにかく一つでも多くの山を登ろうと欲を出したのがいけなかったのかもしれない。前武尊山まで登ると、辺りは真っ白。それでも登山道はハッキリしているので、進むことにしたが、途中枝に付着していた氷が、風に揺すられ、頭上から落ちて来る。結構な大きさなので頭にでも当たれば大変なことになりそうな状況もあった。それでも、頑張って進んだが倒木が道をふさぎ、それを乗り越えようとヨッコラショとやった直後、ズドンと滑り落ちた。木株の間にお尻からはまり下の崖に滑り落ちなくて事なきを得たが、この時、目が覚めたようにその危険な状況に気づき、引き返すことにした。雪の積もった倒木にまたがり、乗り越えようとしたのだが、雨具という代物は、雪の上では何とよく滑るものか認識を新たにした。
 周囲に幾らか木が生えていたから助かったようなもので、雪の登山道に潜む危険を身をもって体験した。
 そんな経緯もあって、今回は水上町側から登ることにした。前日の夕刻、登山口の確認を済ませておく。登山口は、「裏見の滝」入り口でもあるのだが、なぜかトイレが締め切ってあり使えずやむなく少し引き返した、水上宝台樹の駐車場に車を停めることとする。
 管理事務所の方にお願いし、立派に整備された広場の片隅で夜を過ごすこととする。トイレも近い。
 

 24日は早めに起き、5時15分登山口をスタートする。途中、山菜採りらしき男性に出会う。武尊神社の前を、小鳥のさえずりを聞きながら歩く。剣が峰分岐から本格的な山道となり、手小屋沢避難小屋は雪に埋もれている。

            

 この辺りから、徐々に残雪が現れ、急斜面の登高に苦労する。それでもわずかにトレースが残っているので安心感はある。急な岩場を越し、目の前に現れている急なピークが頂上かと勇んで登るに、違った。尾根筋の道が、ゆるやかに延び、その先に武尊山の頂上が見える。

                                        見えて来ました

           

                 あれに見えるは、剣が峰

      

 8時20分、頂上着。

         

 今日も天気に恵まれ、風はややあるのだが視界は良好。頂上に据えられた方位盤で周囲の山々を確認し、簡単なエネルギーの補給を行う。
 頂上のすぐ下手に、前武尊山へ続く尾根と、剣が峰へ延びる尾根との分かれがある。

 剣が峰は、手のひらを立てたような急峻な山だ。重量感はないが、スッキリとした形で武尊山を引き締めている感がある。9時35分、剣が峰山頂。前武尊山の後ろ遙か、奧白根山、皇海山が・・・。

                    ショウジョウバカマ 

       

 下山の折り、ショウジョウバカマの群れを見る。この花が群れて咲いているのを見るのは始めてのことだ。時折現れる残雪に足を取られながら、11時40分駐車場に帰り着く。多くの車があり、裏見の滝や山菜採りの人々で賑わっていた。
 これでまた、昨年来の課題が一つクリアーでき満足する。ここから次の山、尾瀬の至仏山へ抜けようと思ったが、途中通行止めに遭い断念。この道が開通するには、しばらく後のことらしい。照葉館という素晴らしく静かな旅館の風呂に入る。かけ流しの天然温泉で、渓流のせせらぎを聞きながら、一人くつろぐ。 
 

 25日 皇海山
 昨日、尾瀬戸倉の駐車場で、至仏山への登山はまだ解禁されていないと聞き断念する。そのまま駐車場で車中泊とし、翌25日、皇海山へ登ることとする。途中、「吹割りの滝」という有名な滝があり、昨年から気になっていたので寄ってみる。滔々と流れる川に断層が走り、水の落ち込む様は迫力満点だ。早朝の人気のない川面に朝霧が立ち登り、水量の増した流れに圧倒的なエネルギーを感じさせらる。

        

 皇海山への登山口へは、近にある追貝の役場前を通過して行くのだが、昨年度は、崖の崩落があり通行止めとなっていると役場の案内で聞いた。どうやら道路は整備されたらしい。とは言うものの、しばらく行くととんでもない悪路が現れ、ハラハラドキドキの連続。自動車がパンクしないかと、そればかりを心配しながら進む。手に汗握る日本一悪そうな道の終点に、何と数台の車が停まっている。登山客を乗せてきた車らしい。1台は中型バスだ。よくもここまで来られたものだと感心する。
  

       

 登山口前の、皇海橋の横に車を停めスタート。道は、沢を縫うように着けられており、しばらくは沢沿いに進む。道はやがて急な登りにかかり、先行していた女性グループをさっさと追い抜く。やがて不動沢のコルに出る。ここで、庚申山荘側からの道と合流することになる。7時30分に皇海橋のたもとを出発し、8時45分不動沢のコル着。ここから尾根伝いの道をたどり頂上を目指す。

                  後ろに見える山は庚申山

          

 若干の残雪はあったが、調子よく登り、9時20分頂上に立つ。頂上での展望はあまりないが、それでも木の間越しに奧白根山をはじめとして白く雪を冠した山々が見える。写真を撮り下山する。

                     皇海山頂上

         

 11時25分駐車場着。
 駐車場では、2名の運転手さんが話しをしておられた。一人はタクシーの運転手さんで、東京から来たという年配の登山者(単独)の下山を待っているとのこと。他は、あの中型バスの運転手さんで、帰り道の心配をしておられた。確かに、雨でも降れば、あの道路は間違いなく崩落が始まりそうだ。何分にも、来る道々で道路に落ちた石を退けたりもしているので、気持ちはよく分かる。運転手さんの一人は、帰れなくなった時のことを考えて、食料を持参しているそうだ。
 ここで、一人の運転手さんから別の道があることを教えてもらう。こちらの方が、道は良いそうだ。その道は、このまま林道を進み、利根へ出る道で自分たちはこちらから帰ると言う。利根方面からやって来ている車もあるから大丈夫とのこと。
 今日通った道のことを考えると、敬遠したくなるのは人情。私も利根への道を選ぶことにする。


百名山の記録 苗場山~谷川岳

2014年11月03日 | 日本百名山

 2008年5月 22日 苗場山 晴天


 8時30分、かぐらみつまたスキー場の駐車場からゴンドラに乗る。さらに、シャトルバス、リフトと乗り継いで6合目の下の芝辺りまで上がり、ショートスキーにシールを貼り付け苗場山を目指す。9時30分だ

      

 ゴンドラやリフトは、登山のみの者には利用できないことになっていて山スキーを持って来ていた甲斐があった。
 下の芝から中の芝までは、樹林帯の中を行くのだがトレースがハッキリせず道が分からない。適当に進み、雪が切れハイマツの出ているところは、「ハイマツスキー」で強引に進む。ハイマツの上は、歩くよりスキーを着けたまま乗っかるようにして進んだ方が比較的楽だ。この時期、苗場山、神楽ヶ峰方面へ向かう人は少ないらしく、トレースもあまりない。時折、トレースらしきものを認めるが、すぐに消えてしまう。
 ハイマツ帯を抜け、木々の間に今は休んでいるリフトの終点を見る。少し急な雪面を、シールで登り切ると中の芝。雪原の上辺りが神楽ヶ峰の頂上らしい。眺望も開け、いよいよ苗場山が姿を現す。神楽ヶ峰の頂上と思われる辺りは雪に埋もれハッキリしない。

            苗場山が見えて来た。左手ピークが神楽ヶ峰。

         

 ピークでシールをはずし、苗場山の鞍部に向かって滑り込み、雷清水の少し上で板をはずす。富士見坂を下り、坂を登り返すと、目の前に白いクジラの腹のような雪の丘が現れ、それを登り切ると突如として遙かに漠とした雪原が展開する。
 11時55分、とうとう苗場山の頂に着いたのだ。あこがれの山の頂には、半ば雪に埋もれた山小屋が過酷な冬の試練を乗り越えて静かに佇んでいる。
 春霞にぼんやりと浮かぶ山々、穏やかな日射し、天空の憩い、人気の絶えたこの悲しいまでの風景も、雪解けと共に多くの観光客で賑わうことだろう。

                         苗場山

         

                     神楽ヶ峰を振り返る

          

 昼食を済ませ下山とする。途中、タカネアオイの小花を見つける。ここかしこで頭を出しているコバイケソウの花はまだまだだ。

          

 太陽は燦として、雪解け水がせわしなさそうだ。
 雷清水で咽をうるおし、神楽ヶ峰を登り返す。ピークからスキー板を着け、下ノ芝まで一気に下り、樹林の間を巧みに切り抜けるともうゲレンデだ。スキーヤーに混じって滑り、シャトルバスの待つ駐車場にたどり着く。15時15分、かぐらみつまたスキー場の駐車場着。
         

           春急ぐ 雪解け水の せわしなさ   悠

  23日   快晴

 昨夜は、みなかみ町道の駅にて泊し、早朝土合口の有料駐車場に入る。ロープウエイの始発が8時なので1時間以上待たされる。
 時間があるので、すぐ上の登山指導センターに行ってみる。若い職員の方が事務を執っておられ、谷川の様子を聞くに、もう雪は少ないらしい。山スキーならまだできないものかと、少なからず期待していたのだが残念。
 彼の有名な一の倉へ通じる道路は、今日の10時に開通とのこと。ロープウエイまで帰所在なさにぼんやりしていると、男性が話しかけて来られた。谷川へはよく登られるらしく色々と詳しい。一緒にロープウェイに乗り込みあれこれお話を聞く。穏やかな話しぶりだが、時々小声になり聞きずらいのが気になる。
               

                    谷川岳へ

        

 素晴らしい空中からの景色を見ながら天神平に着く。昨年スキーに訪れて以来だが、雪は溶け、様子は一変している。リフトを乗り継ぎ、尾根筋まで一気に上がる。ここまで、ほとんど歩くことが無いのだから、登山と言うよりは観光と言ったイメージ強い。
 しかし、ここから登山は始まる。今日も好天に恵まれ、谷川連峰一帯は翌見渡せる。白毛門の眺望も良い。天神尾根をポツポツ歩き始めると、一緒になった男性があれこれ親切に説明をしてくれる。どうやら、道案内をしたいらしい。夏道、冬道、危険箇所等教わりながらのんびりと登る。
 今年定年を迎えたが、持病があり薬を服用しているとのこと。その内、薬も効かなくなるかもしれいと、しんみりと話す。手が震える病気らしく、言葉が詰まるのはそのせいらしい。私も、酒をよけい飲んだ後は、手が震えますよと言うと、笑う。
 谷川岳3000回登山のおじさんの話などを聞きながら、高度を稼ぐ。間もなく残雪が現れるが、要所にステップが切ってある。登り切るとオキノ耳は目の前、すぐ下に山小屋がある。小屋で缶ビールを求め、頂上で乾杯する。時計は11時を指していた。まだ早いなと、男性が言う。なにせ、360度の大パノラマを貸し切っての谷川岳山頂だ。巻機山からも苗場山からも眺めたあの頂きに、今立っている。谷川岳は、百名山の中では、やはり特殊な山だと思う。

                    残雪の谷川連峰

     

                       頂上小屋

       

                        トマの耳

        

                       オキの耳

         

 この後、男性は小屋に下り、私はオキの耳まで縦走。11時30分オキの耳。昼食を摂り、しばし山頂に憩う。縦走路は一の倉岳へと延び、その下にあの一の倉沢があるのだがここからはあまり見えない。はるか下方、一の倉駐車場に数台の車を認めた。どうやら、道も開通したらしい。谷川連峰とは何処から何処までを言うのか知らないが、白毛門あたりから、ぐるりとこの谷川岳まで縦走できるらしい。大島亮吉の「近くて良い山なり」と述べた言葉は実によく分かる。
 下山を始める頃、幾人かの登山者が登ってきた。私たちは、早い山登りをしていたわけだ。谷川岳は、縦走に限れば楽しい山なのだ。山小屋を覗いたが、誰もいない。先ほど一緒に登った男性は、もう下山したらしい。入り口に、あの男性が置き残したと思われる食料と飲み物が置き残してあった。そう言えば、朝刊を持って登るのが習慣であり、小屋を出るときには持参したウイスキーを残して帰る、と言っていたのを思い出した。独特な雰囲気を持った男性だったが、持病がそうさせていたのだろう。不治の病とも言っていた。
 夏道横の雪の斜面を一気に下る。この時、例の男性を追い越してしまったらしい。13時50分、上のゴンドラ乗り場に着く。 14時駐車場着。

                谷川の 残雪 青葉 天回廊        悠
 
  マチガ沢、一の倉沢を覗き、湯メテル温泉で湯に浸かり、上州武尊岳へ向かう。