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山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

百名山の記録    巻機山

2014年11月02日 | 日本百名山

2008年5月19日
  今日は移動日なので小諸など見学する。懐古園の藤村句碑、近くに建てられた寅さん記念館などを見る。午後、次に予定していた苗場山の登山口の下見をする。北越雪譜で有名な秋山郷側の登山口は駐車場もトイレも新しく立派だが、途中の道路の整備が十分でなく進入禁止となっていた。車を置いてしばらく歩いて見たが結局あきらめて神楽スキー場側に回ることとする。上信越自動車道から関越自動車道へと大きく迂回し、塩沢石打PAで車泊とする。夕方より雨。車の中で雨音を聞きながら休む。
 20日 曇り
 天気は良くない。川端康成の小説「雪国」ゆかりの湯、「駒子の湯」に浸った後、巻機山登山口の下見に行く。登山口は川沿いの駐車場奧に有った。今日は登山者はいないらしく車は見あたらない。雪解け水が激しく流れていた。湯沢PAまでで引き返し、車中泊とする。
 22日  快晴
 6時10分、3合目駐車場をスタートする。既に2台の車が停めてある。早い先客らしい。登山道は幾つかあり、特に沢沿いには滝などもあり素晴らしいコースとのことだが、まだ雪に覆われて危険もあるため尾根筋のコースを行くことにする。

                                   駐車場入り口

               

 5合目辺りまでは、石ころと木の根っこの樹林帯だが、まもなく残雪が現れる。先行していた青年が重そうなザックを肩に、汗を拭きながら休んでいた。巻機山には詳しく何かと説明をしてくれる。前後して歩く。間もなく、下山する別の男性と出会うが、彼は雪の斜面に自信がないらしく、引き返すとのこと。
 樹林帯の中は、日射しが弱く雪の溶けるのは遅い。日中も、気温が上がらなければ堅雪となっている。青年がアイゼンを着け始めたが、自分は持参していないのでそのまま登ることにする。雪は少々堅いが、キックステップでなんとか樹林帯を抜ける。
 間もなく雪原に出て展望が開け、谷川連峰がまぶしい。ここは7合目辺りらしい。頂上へと続く登山道がハッキリと確認できるので道迷いの心配も無くなり、一人でどんどん登る。8時45分、8合目に着く。いわゆるニセ巻機山の手前だが、眺望はますます開けてくる。ニセ巻機山辺りから残雪が現れ、間近に、半ば雪に埋もれた山小屋が見える。

                    ニセ巻機山

         

 雪の斜面を下ると、後は頂上への最後の登りだが、雪のため道がハッキリせず頂上めがけて直登する。
 雪の斜面から、ササの斜面に移り、また雪の斜面が現れる。真っ白な雪原は、巨大な白クジラの腹の上のようだ。やがて越後側の山並みが現れて頂上らしき地点に立つ。雪の中から、標識が少しばかり頭を出している。頂上を示す標識なのかしらと思うが、本当のピークは少し向こうに見え、雪の中に木道も見え隠れする。付近から

                頂上付近から 避難小屋も見えます
 

          

 さらに進むと牛ヶ岳と米子頭山の分岐点に達し、朝日岳縦走路入口とある。

             

 休んでいると、先ほどの青年が追いついて来たので説明を聞くに、巻機山山頂には三角点はないとのことだ。先ほどのピークが頂上で、標識のあった地点が一般的に頂上とされているとのこと。

                       頂上付近

         

 越後3山、谷川連峰を飽きるほど眺め下山する。
               

                        越後三山

         

 12時40分駐車場着。あまり天気がよいので車の中の物を引っ張り出し虫干しする。山菜採りのおやじさんとしばし歓談。高速のPAで車中泊。

                      春の巻機山

          

 

 

 


百名山の記録 草津白根山~浅間山

2014年11月02日 | 日本百名山

草津白根山 17日~18日

 四阿山が早く終わったので、草津白根山へ向かう。

 途中、志賀高原ではまだ春スキーを楽しむ多くの人々を見かける。志賀高原は、まさに一大観光地といった感を強く受ける。 恵まれた自然環境の中、雪あり温泉ありだ。草津白根の有料駐車場に車を停める。今日の宿泊場所になりそうだ。湯釜まで登り、エメラルドグリーンの火口湖を見る。進入禁止の張り綱があり、勝手にできないのは残念だ。

        

  草津白根山の頂上はどの辺りかと見渡すが、どうもハッキリしない。

    (写真左手の山が展望台。その後ろに草津白根の頂上があった)

     

 まだ日高いので、スニーカーのまま展望台でもある蓬の峠まで登る。途中、雪が出てきたがあまりはまり込むことはない。頂上の反対側に回り込むとロープウエイの山頂駅が見下ろせるのでそこまで行くことにする。ゆるい雪の斜面を下っていると、反対側の斜面に人の姿が見える。どうもガイド付きの観光客が下山するところらしい。あまりにも軽装なので、自分もこのまま登ってみることにする。
 一旦舗装の道路に下りまた登り返すのだが、樹林帯の中は残雪で一杯。ハッキリした踏み跡に交じり、スキーのトレースもある。尾根に出る。踏み跡が2つに分かれるので、右手を行く。間もなくピークに達したが、道はそこで途絶えてしまう。夕暮れも間近なのでここで引き返すことにする。夕刻、万座温泉で汗を流し、夜は白根山駐車場で車中泊。

          雪が出てきて今日はここまで。


       

 翌18日、6時10分スタート。車道をしばらく歩き、昨日のトレースをたどる。尾根まで登り、今日は左のトレースを行く。こちらが正解。間もなくきちんと整備された道に出た。昨日の到達点の少し下辺りになるのだろうか。

    

 展望所があり日本百名山の碑があった。

    

 本白根の三角点は別の場所にあり、現在立ち入り禁止とのこと。ここから万座温泉側へと登山道が延び、ゆったりとした高原の山並みが静寂の中に眠っているようだ。ふと、深田久弥のことをが思い出された。霧の中からザックを担いで現れて来そうなそんな気がした。彼が初めてこの地を訪れたのは6月の頃である。今はまだ残雪におおわれて人の気配もない探勝歩道を、感慨に浸りながらタート地点に帰り着いたのが8時20分だった。
 

 18日 浅間山
 草津白根山を終え、すぐに浅間山に向かう。浅間山も頂上には入れないので外輪山を歩くことにする。車坂の駐車場に車を置き、案内センターで浅間山の説明を聞く。今から登るとすれば、黒斑山か蛇骨岳までだろうとのこと。頂上に登れないなら登れる所までと割り切って出発する。時計は既に11時15分を指している。
 雪解けの悪路が続くが、軽いザックなのでハイペースで登る。下山者が、色々とアドバイスを与えてくれる。突然、浅間の異様とも思える光景が目に入る。黒い巨大な土のかたまりに、残雪による白い筋が幾本か入り、他の山では決してみることのできない特異な姿だ。

    

 黒斑山12時40分着。蛇骨岳13時20分着。蛇骨岳の手前で、前掛山まで登ってきたと言う年配のグループに出会う。前掛山は、浅間山頂上に最も近いピークだ。自分の持つガイドブックには、このコースについては載っていないので計画からはずしていたが、いつかは登ってみたいものだ。眼下に広がる広大は草原も魅力的だ。

   

   

 15時50分車坂駐車場着。これで取りあえず4座を登ったことになる。車中泊も続いたので今日は宿泊まりとする。車坂の高峯高原ホテルに宿を取る。溜まった洗濯物をホテルの洗濯機をお借りして洗い、豪華な夜景が見えるはずの食堂で夕食。天気さえ良ければ小諸市街の向こうに、南アルプスや遠くは富士山まで見えるとのこと。霧に包まれた静かな一夜を過ごす。


百名山の記録 高妻山~四阿山

2014年11月01日 | 日本百名山

2008年 5月15日 晴れ

 松江発6時40分、大山は春の霞につつまれる。ふと芭蕉の句が浮かぶ。
       春なれや 名もなき里の 春かすみ (芭蕉)

                                日本海を北上する

                                          

                  尼御前SAにて

                    

  北陸道のパーキングやサービスエリアに芭蕉の句碑を尋ねながら北上し、18時10分戸隠牧場着。夕間暮れの牧場には誰一人見あたらない。駐車場泊。


                   

 

 16日(金) 晴れ
 5時に起床し、6時50分高妻山目指してスタート。牧場の中に延びる登山道を行く。高原の朝の空気は気持ちよい。所々に青々とした葉を茂らせた巨木が、まだ淡い光の中で佇んでいる。放牧された牛の柵を幾つか通り抜けると、いよいよ山に入ったという実感が湧いてきた。足元には、イチゲとニリンソウが眠たそうに頭を垂れ、カンバの巨木の下にちょっとしたお花畑を作っている。ミズバショウに出会うのも久しぶりのことだ。道は、沢沿いに続き、幾回か水を渡る。赤いテープと登山標識に従い、なおも進むと泥をかぶった雪渓が現れ、正面中央の奥まった所に小さな滝が流れ落ちている。

             右手が高妻山。左が黒姫山

                                    

              二輪草の群落

                          

 右手前方に赤いテープが目に入ったので、右手から尾根に取り付く。しかし、道らしき痕跡はなく、しばらく辺りを探すがどうもおかしいのでまた雪渓に下り立ち、滝の下まで行ってみる。
 雪解け水を集めて流れ落ちる小さな滝だ。雪渓の先端に立ってルートを探すしていたが、ふと足下の雪渓を覗いてギョッとなった。真っ暗な闇が大きな口を開いて、一体何処まで続くのか分からないのだが、したたり落ちると水を飲み込んで消えている。今、自分が乗っている雪が崩れでもしたらと、思わず身震いする。先端の雪の厚さは30~40cm位だろうか。
 早々からイヤなことが続くが、とにかく滝の横を回り込み上へと登って様子をみることにする。雪渓から近い岩壁に移り、慎重に滝の横にを登る。いくらか登るともう下る気になれず、上へ上へとヤブこぎとガレ場登りを繰り返す。完全に道迷いの状態になっていたのだが、上へ登れば尾根に出るだろうとの信念でがむしゃらに登る。
 悪戦苦闘の中、クマザサの中に雪渓が現れる。雪渓を詰め、クマザサをかき分けていると見覚えのある避難小屋が現れた。今の位置からだいぶ離れているのだが、なんとかたどり着けそうだ。
  9時25分、一不動避難小屋に到着。ここまでに2時間35分が経過したことになる。約1時間をロスしたことになるが、無事の到着を喜ぶべきだろう。
 ここから、たくさんのピークが続くが、道はハッキリしているので前に進めめばいい。展望も良くなり、戸隠山へと続く急な尾根筋も、眼下に広がる戸隠牧場も指呼の間に見渡せる。 三不動、四普賢、五地蔵と続き、高妻山らしき山頂も幾分近づいてきた。ふと見れば、昨年登り歩いた妙高、火打、雨飾の山々が白い雪化粧に美しい。特に、ここから見る妙高の姿は奇異な感じがする。コニーデ型火山の特徴なのだろうが、ひときわ目に付く。 高妻山山頂直下は雪におおわれ、部分的に夏道が現れている。キックステップで直登する。結構な傾斜だが、靴の先端が雪によく食い込む。何度か息を継ぎながら、十阿弥陀に到着する。ここが頂上かと思ったら、まだ先があり、向こうの頂きに標識らしきものが見える。雪の溶けた岩尾根をたどりやっと頂上に着く。12時10分であった。


               高妻山頂上

                          

 高妻山北東斜面は、まだかなりの雪におおわれて、そのまま乙妻山へと繋がっている。 当初は、乙妻までの縦走を考えていたが、道迷いで帰りコースが気になっていたのでここまでとする。簡単な昼食を済ませ、写真を撮って早々に下山。雪の斜面は、靴のかかとに体重をかけて一気に下る。ワンステップ、ワンステップがしっかり雪をキャッチするので安心だ。頂上がグングン遠ざかる。春の緩んだ雪は、登りにしろ下るにしろ一直線で歩けるから早い。かなりのペースで避難小屋まで帰る。ここからしばらくは未知のルートを辿ることになるのだが、雪の上に残るトレースを頼りに下ることとする。
 鎖のセットされた急な岩角を曲がると、帯岩と呼ばれるスラブに出る。一枚岩の難場だが、スタンスはハッキリしており、要所要所に鎖が固定されているから、一歩一歩確実に渡ればいい。渡りきると、クサレ雪の斜面が続き午前中に迷った沢に下り立つ。
 初めに迷ったのは、沢の左斜面を登るべきを右斜面に入ったり、正面の滝に気を取られたためだ。適当に引き返していたらあんな事にはならなかっただろう。少し無理な登山だったと反省する。
 沢の水に導かれながら、牧場までたどり着く。途中、カタクリの群落を見る。16時牧場着。これで、昨年来懸案であった山が一つ解決した。靴ひもを解き、次の目的地に向かって車を走らす。

 17日(土)四阿山  晴れ
 先日夕刻、菅平牧場に着き登山口の確認を行う。高妻山から一気に菅平に移動し、あずまや温泉(ホテル)で汗を流す。温泉の利用はすでにタイムアウトではあったが、親切な管理人さんのおかげで入れてもらえた。登山者用駐車場にて車中泊。ここからも四阿山への登山口があるようだ。
 翌17日、先日調べておいた登山口へ移動し、6時10分管理事務所前の登山口よりスタートする。先行者あり。昨日同様、牧場の中を行く。広い牧場の中のアスファルトの道を少し歩くと、四阿山登山口の標識があり、本格的に登山道に入ることとなる。

               四阿山を見る

                          

 緑の木々の間を縫うように進むと、やがて視界も開け、大きく波打つような菅平牧場が眼下に広がる。四阿山の裾野には、牧場だけではなく多くのスポーツ施設や宿泊所等の建物があるらしく、それらが新緑の林に包まれるように佇んでいる。
 ダケカンバがおもしろいリズム感で裾野に広がり、あちこちに残雪を見る。次々と現れる大小のピークを越しながら高度を稼ぐ。左手に緩やかなカーブを持つ稜線は、根子岳からのもの。帰りはあの稜線を下ることにしよう。
 高度が上がるに従って、残雪も増えて来る。道を見失わないように気を配る。先行者の足跡を追う。小四阿、中四阿と登り詰めると根子岳との別れに出る。平坦な雪原が広がり、雪解け後にはお花畑となることだろう。間もなく、雪に覆われた木道が現れるが頂上はその上らしい。9時山頂着。

                           

 細長い山頂には2つの祠があり、手前の祠の前で男性が一人休んでおられた。奧の祠を拝、手前の祠と拝した後男性とお話しする。地元の方らしく、山の説明を聞きながら途中まで一緒に下山する。この男性とは、根子岳分岐で別れたが、本来なら自分も根子岳を回りたいがと残念そうな様子。足に痙攣が起きることがあり、遠回りは不安とのこと。
 分岐からは、やや斜度のある樹林の中を残雪を踏みしめながら一気に下りる。かかとで踏みしめるザクザク雪の感覚が気持ち良い。おもしろいように下れるので、今までの疲れが吹き飛びそうだ。途中、根子岳からの団体さんとすれ違う。この登りはきついだろうと思う。十ヶ原は四阿山と根子岳のコルだが、ここから登りとなる。晴れ渡ってきた爽快な山の気にエンジンは全開。根子岳10時40分着。

            根子岳 後ろが四阿山

                           

   四阿山を見ながら朝食とも昼食ともつかない食事を摂る。緩やかに続く稜線をのんびりと下り、12時50分管理事務所駐車場へ着く。荷物の片付けをしていたら、先ほど四阿山の頂上で出会った男性が下りて来られた。お互いビックリしたが、よい思い出になった。 


百名山の記録 大峰山

2014年10月28日 | 日本百名山

 2008年 4月20日~21日 大峰山(八経ヶ岳) 

  松江を18日に発つ。夕刻、洞川到着。昨年の暮れに訪れているので多少の知識はあるのだが、細部は知らないことばかりだ。
 いくら百名山といっても、登山シーズンをはずれると閑散として人気もなく、ましてや年の暮れなどに至っては寂しさばかりが北風に舞っている。大峰山も大台ヶ原も例外でなく、重苦しい雪雲の中に沈み込んでいたのを昨日の事ように思い出した。

  今回、春の雪解けを待っての再挑戦。しかし、天候は思わしくなく、翌19日も登山はあきらめて下見を兼ねて周囲をドライブする。
 昨年は、天川村から上北山村へ抜ける道路は閉鎖されていたのだが、今年はすでに開通していた。大峰山から大台ヶ原に抜ける最短コースでもあるこの道は、途中、ミタライ渓谷などの名勝もあり、迫力満点のスリルに満ちたコースだ。昨年引き返さざるを得なかった大川口の橋を渡り、行者還トンネルの入り口に着く。ここから大峰山の主峰八経ヶ岳への最短のコースは始まるのだが、今回は、大峰山寺の建つ山上ヶ岳からの縦走と決めていたので登山口を記憶に留めて置くだけとする。

 トンネルを抜け、急な細道を下ると国道に出る。国道を左折し、大台ヶ原ドライブウエイの標識に導かれて進むと、やはり昨年引き返さざるを得なかったゲート前に出る。
 なんと、今年もまだゲートは閉まったままだ。五月に入らなければだめなのだろうか?車が駐めてあり、数名の方が話しておられる。道の事を聞くにやはりダメらしい。特に今日はシカの駆除があり、猟銃を使うので危険とのことだ。
 いよいよ行く当てもなくなり、温泉にでも浸かろうかと思い近くの温泉を捜と、小処温泉というのがある。聞いたような気のする名前だがとにかく行ってみることにする。小橡川の奥にひっそりと佇む温泉だが、今日は休み。
 しかし、この温泉は大台ヶ原登山の基地でもあるらしい。少し引き返すと、大台ヶ原へ抜ける林道があり、進入禁止を示す置物が横に退けられている。どうも車が入っているようなので私も入ってみることにする。
 

 グングンと進むが人気はない。時折、鹿が現れては驚いて逃げていく。天気が良ければ最高のドライブ日和となりそうなのだが、太陽は時折雲間から顔を覗かせる程度だ。時折、霧とも雲ともとかないガスに被われらがら、何とか大台ヶ原の駐車場に着いた。
 大台ヶ原ビジターセンター前に数台の車が駐めてあり、幾人かの人がバタバタしている。その中の一人がやって来て、「私は、環境省の・・・です」と自己紹介があり、一般の人はまだここへは入れませんとのこと。丁重な拒否の挨拶を受け、引き返すこととする。鹿の駆除があり神経を使っている様子だ。

  今日の下見は予想以外の収穫なので気持ちよく帰ることとする。結局、19日はまた洞川温泉センターの駐車場で泊まることとする。

 20日、天気も良くなってきたようだ。7時30分、大峰大橋の有料駐車場に車を停めスタート。やっと懸案の山に登ることができそうだ。テント泊の準備なのでザックは重いがとにかくゆっくり歩くことにする。静寂な杉木立の登路、少し水分を含んだような大気、小鳥の声がよく響く。9時20分洞辻茶屋着。青空も見え始め、天気は回復に向かいそうだ。しばらく休んでいると、後から人の声。どうやらゆっくり歩きすぎたらしい。何も急ぐ必要はないのだが、腰を上げることとする。
 

 道は二手に分かれる。いわゆる登り専用の道と下り専用の道だ。どちらが歩きやすいのか分からないが、とにかく登りの道を行くこととする。急な岩場、時折雪の斜面に出くわす。ズックなどでは大変だろうな、などと思いながら乗り越す。徐々に展望も開けて来る。
 また人の声を聞く。自分より先を行く人はいないはずなのだが、と思いながら進むと「西ノ覗」に数名の人がたむろしている。断崖絶壁の上から、太い綱を巻き付けて谷底へ体を覗かせる修行だが、確かに迫力満点。お前もやってやろうかと進められたが、体に悪そうなのでお断りする。この方たちは、先ほどの「下り専用」の道を登ってこられたそうだ。「登り道」は、雪があり、危険だと宿の方に聞かされていたとのこと。
間もなく、宿坊らしい建物が現れ、さらに行くと大峰山寺だ。1719mの山上ヶ岳には11時着。天候もすっかり回復し、大峰山寺前で一休みする。先客の一団は、山上ヶ岳の頂上で早い昼食らしい。
 

  いよいよ世界遺産大峰奧駆道の核心部に足を踏み入れることになる。山上ヶ岳から弥山・八経ヶ岳間が難場中の難場らしい。気を引き締めて歩き始める。天気は確実に回復した。 落ち葉の積もった中に修行者が歩いたであろう道が続く。時折、残雪に埋もれてルートを見失うが何とか13時40分、1779,9mの大普賢岳に到着する。やせた岩の尾根道、急峻な登り下りの険路はますます多くなる。
 国見岳、七曜岳といくぶんくたびれかけてきた体にむち打ち先を急ぐ。そろそろねぐらをさがさないといけない。水の音を聞き、行者還小屋を見る。冷たい水を汲み足し、小屋に入る。無人の山小屋にしては立派な小屋だ。4部屋あり、水場も近いから山小屋泊まりの登山者にとっては格好な場所だろう。
 

 まだ幾分か時間の余裕もあるので、もう少し先へ進むことにする。道もいくぶん穏やかになってきた。どうやら今日の難場は越えたらしい。 行者還岳を回り込み、一ノ峠手前の明るい尾根筋で今日の歩みを終えることにする。時計は、17時20分。18時、テントを張り終えウイスキーの水割りを始める。つまみは、チーズ、スルメ、貝柱等。ラジオが良く入る。ドイツでは、ビールは液体のパンと言われているそうな。ラジオでそんな話を聞きながらぼんやりと時を過ごす。
 お湯を沸かし、夕食の準備を始める。いくぶん疲れているのかあまり食欲はない。簡単な食事を終え、暗くなったのを幸いに早々に寝る。夜中トイレに起きるが、木立の間に満点の星を見る。下界の光もチロチロ見える。風もなく穏やかな夜だ。古の修験者たちもこのような幾夜を過ごしたことだろう、と思いながらまた寝袋にもぐり込む。
 

  21日5時20分日の出を見るが、すぐ雲間に隠れる。7時正式に起床。ビールで朝飯を済ませる。晴天、快晴、鳥の声。枯れ朽ちた倒木のがあちこち。昨夜は気がつかなかったが、シカの糞が散乱。
 9時20分、弁天の森。10時50分弥山。意外に多い残雪に驚く。最高峰八経ヶ岳へは残雪の中を歩く。オオヤマレンゲはまだ眠ったままだ。あの白い花を愛でられるのはいつの頃だろうか。11時25分、八経ヶ岳1914,9mに立つ。
 今年度、百名山の第1号だ。風弱く、快晴。絶好の山日和だ。越してきた山々が青空の中に映える。
  帰りは、狼平から栃尾辻を経て天川役場横に下り立つ。役場前からタクシーを呼び、大峰大橋に措いてある愛車まで帰る。道々、タクシーの運転手さんから、大峰山の事故や危険さについていろいろなお話を聞く。
 百名山の1つである八経ヶ岳に登り、世界遺産の大峰山寺と奧駆道を歩けたこと大きな収穫だ。大台ヶ原はまたの機会として取っておくことにする


100名山の記録 赤城山~天城山

2014年10月28日 | 日本百名山

2007年 11月13日(火)
 昨日、武尊岳敗退の後、車を赤城山麓の大沼湖畔、青木旅館に着ける。今回初めての宿泊まりとなった。由緒ある旅館で、かって「与謝野鉄幹・晶子」などの文化人が多く宿泊したらしい。風格のある宿で、腹一杯のご馳走をいただいた。宿のご主人とも親しくお話しでき、大変勉強になった。大沼と書いて「おの」と読み、小沼と書いて「この」と読むそうな。最近では、登山客より、湖での「ワカサギ釣り」の客が多いという。写真家でもあるご主人の素晴らしい写真を拝見させてもらう。

 


 8時30分、駒ヶ岳登山口より登り始める。「赤城山」とは、このあたり一帯の山々の総称らしく黒檜山をさして一般に赤城山と呼んでいる。駒ヶ岳は、その黒檜山へと続く尾根づたいの1ピークだ。快晴そのものといった空の下、登山道に付けられた階段を上る。 赤城山は100名山の中では、登るに易しい山の部類に入ると思う。富士山を後ろに見て、頂上へ向かう。駒ヶ岳に9時20分、黒檜山へは10時着。

                                            赤城山山頂

 

                  頂上はそう広くはない

 

                  小沼(この)方面

 

 頂上らしからぬ頂上だが、木立の間に上越の山々を見る。頂上西側は風が強くゴーゴーと鳴っているが、東側はいたって静か。尾根を挟んでの極端な違いに驚かされる。来た道を帰る。どうも、このコースが一番いいようだ。
 ガイドブックに、赤城山のすそ野の面積は、富士山に次いで広いとあった。最初は疑っいたが、車からみる赤城山の裾野は確かに広い。私は、関越自動車道のとあるパーキングからまじまじと、何度何度も見つめたものだ。
 この日、関越自動車道で東京に入り、東名高速に乗ってパーキングでの車中泊と決めた。 

 11月14日(水)
   早朝より移動する。沼津インターから国道136号線を下田街道へと向かう。天城山の登山口を確認していなかったが、とりあえず「伊豆の踊子」の舞台を見ておきたかったので伊豆市に入ることとした。天城越えの歌で有名になった「浄蓮の滝」を見物する。

                          浄連の滝

      

                         伊豆の踊子像

      


「石川さゆり」さんのレリーフと歌詞を刻み込んだ記念碑があったが、何だか取って付けたような感じがして興ざめだ。津軽半島の突端にもこの歌手の記念碑があったはずだが、あの地では歌が流れるようになっていた。
 それにしても、このあたりの街道筋には文人の碑が多く、まさに「文学の散歩道」といった感がある。茶店のご主人に、天城山への登山口をお伺いすると、素人が行けるようなところではないとたしなめられた。多くの枝道があり、距離的にも大変だそうな。
 観光パンフレットをいいただて失礼する。天城街道(下田街道のこと)は、現在新しい道路となっているが、旧道も通れるとのことで、ちょっと狭いが旧道を行くことにする。  旧天城トンネルの手前に。「水生地」という地点があり、ここに小さな駐車場がある。ここから、天城山への縦走路が延びているのだが詳しい資料がないため、こちらから登るのはやめにする。登山者とおぼしき人が数名いたので様子を聞くに、自分たちは八丁池まで行くとのこと。天城山への登山口は、伊東市側にありゴルフ場の側からから入るそうだ。  やむなく車を進める。途中「旧天城トンネル」や「寒天橋」などと聞き覚えのある地点を通過し、伊豆半島の東側、相模灘の海岸線に出る。伊東市の市役所荷より、天城山へのルー登を聞く。登山口近くにある施設の電話番号を聞いて、ナビに入れる。
 後はナビまかせで、無事天城山登山口に着く。天城高原ゴルフ場入り口横の駐車場に車を置き、11時の遅いスタート。天城山も赤城山同様幾つかの山々の総称であり、最高峰は万三郎岳1405mである。
 道は素晴らしく整備され、所々にナンバーを付けたプレートが立ててある。これは、遭難など不慮の事故が発生した時、位置を確認するためのものらしい。スタートが遅かったせいか、早くも下山者に出会う。徐々に急登となるが、1時間ほどで万二郎岳に着く。先着のご夫婦が休んでおられた。

                              万二郎岳

     

 先を急ぐと目の前に富士山が現れる。白く雪化粧の富士は、相変わらずの表情でドッシリと構えている。年度末には、また何度目かの挑戦だ。
 アセビの林を抜け、石楠立から万三郎岳に登り着く。休憩もそこそこに、涸沢分岐点に向かって下る。重い荷物は担いでいないので、小走りに下る。途中、何パーティーかの団体さんを追い抜き駐車場に帰る。2時過ぎの帰着だった。

           

                            万三郎岳(天城山頂上)

          


 赤城山、天城山と素晴らしい天気に恵まれたのだが、上越方面の天気は悪いのだろうか。  谷川岳、巻機山など、当初の予定がこなせず心残りの今回の山行だった。その代わり、いずれは登らなければならなかった赤城山と天城山の2山に登れたから、よしとしなけならないだろう。 14日は、東名のパーキングで車中泊し、15日午後帰省する。


百名山の記録 日光白根山~上州武尊岳

2014年10月27日 | 日本百名山

2007年11月11日(日) 日光白根山

 
  昨日は、奥白根登山口のロープウエイ駐車所で車中泊。座禅温泉という近くのホテルで温泉に浸かる。。泉源はスキー場の中にあり、そこからお湯を引いてきているそうだ。
 日光白根山への登山口は幾つかあるが、ロープウエイのある丸沼高原の方から登ることにした。スキーヤーで賑わう人工降雪のゲレンデを横に見ながら、標高2000mの山頂駅まで一気に上がる。ロープウエイで400mの高度を稼いだことになる。8時45分、ロープウエイ山頂駅スタート。遅いスタート。日の出から数時間は、素晴らしい天気だったのだが、どうも雲行きが怪しい。ロープウエイの始発が8時30分なのでゆっくりしたのがいけなかった。横着をせず、他の登山口から登るっていれば、今頃頂上で 素晴らしい景色を満喫できただろうにと、反省しきり。
 案の定、この日はいけなかった。登るにつれて、天気は悪くなる一方。秋晴れの空をバックに、白根山の立つ姿は素晴らしいの一語に尽きるのだが、間もなく雲の中に隠れてしまった。おまけに、パラパラと雨も降り始める。
 山腹を巻くように整備された登山道が樹林帯の中に延びる。山頂駅付近の整備はかなりの力の入れようと見た。2000mの高所に「足湯」があるのも珍しい。

                     ロープウエイ 

  

                   山 頂 駅(ここに足湯がある)

 

 ガスの中、何処をどう歩いているのか見当つかず、ただ足元を見ながら登る。森林限界を過ぎた辺りから、雪が降ってきた。ガレ場ともザレ場ともつかない急な登りを越すと頂上らしき地点に着く。下山への道しるべはがあるが、頂上と印したものは何もない。祠らしきものがるのだから頂上だろうか。雪は吹雪に変わり、視界はゼロ。吹っ曝しで、風をよける場所もない。突然、人の声がした。菅沼方面からの登山者らしい。男性一人に女性2名。何か大きな声で話しながらやって来た。一見大学生のパーティーのようだ。頂上の確認をすると、「あそこそこが頂上です、気をつけて行って下さい」と彼らがやって来た方向を示す。吹雪の中に、黒っぽい岩頭がかすかに見える。すぐ近くだ。少し下り、岩場を登ると、「白根山頂上」の道標が現れた。10時40分登頂 日光白根山2578m

                       雪の山頂 

    


  先ほどのパーティーは、前白根山の方に姿を消した。多分、菅沼から奥白根、前白根の頂上を踏み、湯本温泉の方へ下る計画だったのだろう。
 私は、来た道を引き返すこととした。本来なら、五色沼から弥陀ケ池辺りを巡ってみたかったのだが・・・。
 いっこうに止みそうもなかった雪も、下れば嘘のよう。山頂駅の職員さんに、頂上の様子を尋ねられた。「山頂は、もう冬ですよ」と答えロープウエイに乗る。
 下の山麓駅でも、職員さんから同じ質問を受ける。今日の登山者は、私一人だからしょうがないけれど、誰も本物の雪が待ち遠しいのだろう。
 ロマンチック街道と名付けられた120号線を南下すると、途中国道401号線にぶつかる。この道を北上すれば尾瀬の至仏山に向かうのだが、南下して皇海山を目指す。皇海山の登山口は、東側庚申山の方からと、西側追貝側からの2つがあるが、尾瀬に近い方から入山することとする。
 登山口に至手前、村役場の近くに温泉があり、今日の汗を流す。皇海山への道の状態を聞くのだが、要領を得ないので役場に行って聞くことにする。「今年の台風の影響で土砂崩れがあり車は入れません」とのこと。そこから歩いてどのくらいかと聞くが、かなりの距離があるらしく結局今年の皇海山登山はあきらめる。
 一路尾瀬を目指す。途中、「吹割の滝」があり、たくさんの車が止まっていた。「日本100名瀑」に数えられ、NHKの大河ドラマに出て来るあの滝だ。
 道路脇の空き地で休憩していると、「鳩待峠への乗り入れはできません」の看板。尾瀬の観光シーズンは終わったのだろう。貴重な尾瀬の自然を守るために致し方ない処置とあきらめる。

 そううすると、この近くの100名山は武尊岳しかない。明るい中に、登山口まで着きたいものだと急ぐ。武尊岳の裾野は牧場なのだが、スキー場としても整備されている。 スキーヤーのために造られたとしか思えない立派な道路に、宿泊所や食堂、温泉などが点々と立ち並ぶ。
 しばらく進むと、奥まった場所に駐車場が見えてくる。駐車所は幾つかあり、一番上に車を止めることとする。そのすぐ上に、リフトの発着場がある。明日の下見を兼ねて上がってみる。大きな建物の前に、これまた大きな作業用の車が数台駐めてあり、車と車の間に「武尊山登山口」の標識を認める。
「車中泊の準備」をする。赤黒い夕焼けが、凄さをまして来た。明日の天気はあまり望めそうにもない。また雪かもしれないと思う。
 

11月12日(月)
  6時起床。 昨夜の雨で山頂は雪だろうか。少し心配だが、雨具を着けてスタートは8時55分。
 昨日確認しておいた登山道に入り、落ち葉の中を一歩一歩進む。雨交じりの天気なので頂上辺りは全く見えない。天候次第では早めに下山と決めていたから急ぐ必要はない。 道は、スキー場の中を通り、舗装道路となっていた。どうも先ほどの駐車場からここまで車が入るようだ。舗装道路はしばらく続き、そのうち歩くのがイヤになった。どうやらこの道は、リフトの終点まで続いているらしい。あきらめて歩く。
 かなり歩いて、やっと終点に着く。リフトはさらに上まで延びている。かなり長く感じたスロープだが、やっと尾根の取り付きに着きホッとする。
  案内板に従って登り始める。ぬかるんだ道、急な登り、途中雨から雪に変わる。リフトの終点地を下に見て、ひたすら登ると小屋らしきものが現れた。前武尊岳の頂上だ。時計は10時を指している。

                       前武尊山頂

    

                              日本武尊(ヤマトタケル) 像   

   

 雪は止みそうにもない。頑張って前進。少し下りと、眼前に雪をかむった岩尾根が現れその姿にギョッとする。こんな所を登るのかと一瞬ためらったが、道はその横手の笹藪の中を巻いている。安心したのもつかの間、今度は、頭の上から氷の直撃。ブナの木に着いた氷の固まりが、風に揺すられバラバラ、ボトボトと落ちてくる。 大きい固まりで、人参くらい。枝に付着していたため筒状だ。それもかなり高いところからだから、まともに当たれば大変なことになる。
 

   

 小さな峠に出て一息入れる。アイゼンなしでちょっと不安になる。峠を越すと、道は尾根の反対側に続く。大きな倒木が道をふさいでいるので乗っ越すことにする。馬乗りになりもう一方の足を上げたとたん滑った。アッと言う間もなく、向こう側に尻から落ちる。 倒木に雪がが積もり、その上に雨具を着けたまま乗っかっていたからよけいに滑りやすくなっていたのだろう。かなりの斜面に着けられた狭い巻き道だが、ブッシュのお陰でそれ以上滑り落ちることもなく止まる。体が木の根っこと倒木の間に挟まれ、しかも右手に持ったストックまでが何かに突き刺さったのかびくともしない。しばらくは、体を動かすこともできず雪の中に倒れ込んだ状態が続いた。
 こんな無様な経験は、今までになかったことなのだが連日の山登りで気が緩んでいた証拠かもしれない。雪も激しくなり、アイゼン、ピッケルなしでは危険と判断し引き返す。 この山は、来年再挑戦すればいい。今度は、山の反対側、武尊神社側から登ろうと思う。  12時25分、駐車場へ帰り着く。雪の峰への心構えがもう一つしっかりしていないので、方向転換を決意する。当初の計画では、この後、谷川岳や巻機山などに登るつもりだったが雪のなさそうな山(赤城山と天城山)へと移動することにした。


百名山の記録 男体山

2014年10月25日 | 日本百名山

 2007年11月9日(金)


 今日は移動日。352号線沿いの紅葉を楽しみながら日光へと向かう。途中から県道350号線、栗山舘岩線に入る。地図に「悪路が続く」とあるように、運転に気を使う。この道も、冬季は閉鎖されるようだ。途中、「田代山」への案内板が出てくる。あまり聞かない山名(当時の自分は)だが、この町ではかなり力を入れているのが見てとれる。後で分かったことなのだが、この山は、「花の100名山」の一つ。間もなく栃木県へと抜け日光市に入る。
                                  

                                         田代山登山口

       

                      福島県から栃木県へ

  

 午前中は素晴らしい天気。途中の道路脇の草原で、車のなかを掃除。全てを引っ張り出して虫干しだ。
 霜降高原を経て、日光東照宮を参拝する。近くに市営の温泉があると聞き行ってみる。「やしおの湯」と言う温泉だ。「やしお」とは、ヤシオツツジのことだ。中国地方ではあまり見かけないようだが・・・。名物のマイタケ蕎麦を食べる。ここの駐車場で泊まろうかとも思ったが、まだ日も高いし、とりあえず明日予定している男体山登山口まで行くことにする。
 しかし、間もなく天気も下り坂となり、山々には雲が掛かる。いろは坂というくねくね道から男体山が見えるはずなのだが、頭はすっぽりと雲に隠れ全景は見せてくれない。いろは坂を越し、男体山登山口のある二荒神社に着く。この神社には、登山者用の駐車場があって嬉しい。天気は下り坂。時折小雨がぱらつく。駐車所は、二荒神社のすぐ前横にあり、目の前は車道を隔てて中禅寺湖だ。
 

11月10日(土)

 しばらく晴天が続いたせいか、今日は朝から湿っぽい。周り一帯はガスに包まれ、視界はいたって良くない。簡単な食事を済ませ、雨具を着込んで出発したのは7時35分。
 神社の入り口で、登拝料金500円を納める。お守りと簡単な地図をもらい、丁寧な説明を受ける。「登山口の門は閉まっているから、横丁から入ってください」とのこと。
 男体山登山シーズンは既に終わり、正式には、登山は禁止らしい。山自体が神域だからなのだろう。門の横から回り込み、登山道に立つ。うっそうのとした木立、年降った巨木の間に多くの信者や登山者に踏み固められてきた道が延びる。
 霧に濡れながら歩く。天気は悪いが、体は今日も快調だ。黙々と歩いていると、突如車道に出た。戸惑っていると、下から車が上がってきた。一目で工事用と分かったが、登山道と車道の交差するような山は、あまり気分のいいものではない。
 しばらく車道を歩き、4合目からまた登山道に入る。霧は小雨に変わり、見る見る雪に変わっていった。今年初めて見る雪だ。昨年は、10月7日頃だったか、スゴ乗越しから薬師に向かう途中で初雪に出会ったのを思い出した。あの日は、全国的な荒天で、多くの遭難者を出している。小雪の降りしきる中、頂上を目指す。ゴロゴロした急な岩場が続き息も上がる。5合目の小屋で小休止して、8合目まで一気に登った。8合目の避難小屋で小休止する。時計は10時を指していた。小雪が舞い、下界は全く見えない。
 ゴロタ石の登りが終わると、赤茶けたザレ場となる。
 10時45分登頂 男体山2486m  吹雪の中に二荒山の大神がポッンと立っておられた。この神様は、オオクニヌシノ命なのだが、何で出雲の神様がこんな所におられるのかよく分からない。頂上は休憩所の向こうにあり、神刀がぐさりと差し込まれていた。赤さびた大刀は、何時のころからのものだろう。

                         頂上にて

    

            勇ましい姿の大国主命は、出雲では見かけないが・・・

    

                           大  剣

    

 霧島山頂上にある、「天の逆矛」は有名だが、これは人がもてる程度の大きさで、銅製。この地のそれは、とてつもなく大きく、鉄製だ。
 絶景と言われる頂上からの風景を見ることなく、小雪降る中を下山。八合目の小屋あたりで、登山者に会う。地元の方らしく、しばらくお話を伺う。ほぼ毎日登拝しているとのことだ。シーズンを過ぎると、普通は、神社からは入れてもらえない。しかし、横道があり、自分はそこから入ったとのこと。頂上での雪の話をしたら、不思議そうな顔をしておられたが、どうも気温は上昇中らしい。そう言えば、先ほど積もりつつあった雪も姿を消している。ツルリと滑りそうな岩肌に不吉な予感。怪我のないようにと、慎重に下る。 多くの参拝者で賑わう境内を抜け、13時15分、無事、神社駐車場に帰り着く。
  着替えをすませ、一路、日光白根山へ向かう。


百名山の記録 平ヶ岳

2014年10月24日 | 日本百名山

2007年11月8日(木)

 


 暗い中、檜枝岐村の駐車場をスタート。今日も好天の兆しが見える。まだ眠そうにぼんやりとした光を投げかけている家々の明かりを尻目に、352号線に車を走らす。
 長い登りの後、道はカーブの続く下り坂と替わる。夜明け前の寂としたアスファルト道路。ライトの光。山々の輪郭が少しだけ見えてきた。道路の凍結に注意しながら峠を越える。
 平ヶ岳は、越後駒ヶ岳と燧ヶ岳との間に位置し、登山口から頂上までの標高差および所要時間は今回の100名山中で一番である。私自身、この山を今回の山行における最大の課題と考えていた。
 明るくなった頃、登山口に到着。準備を整えて歩き始めたのは、6時20分。しばらくは車道のような道が続くが、間もなく尾根への登り口に着く。本格的な登りとなる。
 鷹ノ巣尾根までの2時間ほどの急登。これをどうコントロールして登るかが前半の課題であろうか。谷合いの日の出は遅いのだが、7時前、やっと太陽が顔を出し始める。尾根を歩く自分の影が、向かい側の斜面に映っておもしろい。

         

    急がぬように、休まぬように目標を短めに取りながら歩く。初めの1時間は、足慣らし、体慣らしでいいからなるべくゆっくりと歩く。体が温まり、汗が噴き出る。呼吸を整えながら登る。時間の経過が早いのは、体の調子がいい証拠でもある。
 意外と早く、尾根に飛び出す。下台倉山の道標をみる。ここからしばらくは尾根伝いの道をたどるのだが、遙か彼方に平ヶ岳の頂上らしき山が見える。一体ここからどれだけの距離があるのだろうか。非現実的な空間がどっしりと行く手に広がる。ただ、ひたすら歩く以外にない。
 台倉清水を越し、一気に白沢清水まで急ぐ、ここでしばしの休憩。樹林帯を抜けると笹の斜面がピークを取り囲むように広がり、その中に一本の道がくねりながら延びている。
 頂上は、この手前のピークを越したもう一つ向こうらしいのだが、「手前のピークが平ヶ岳の頂上だったらいいのになあ」などと勝手な妄想を抱きながら登る。
 このピークは、池ノ岳と呼ばれ、美しい地塘の存在する所。看板に「姫ノ池」と記してある。緩い木道を下り、ツゲの林を登り切ると平ヶ岳の雄大な湿原が姿を現した。ついにやって来た。およそ下界の喧噪とは無縁な、ただ純粋に山を愛する者たちだけに許される秘境なのかもしれない。 

                                  姫の池

           

 

    11時40登頂 平ヶ岳2141m

                                 何もない平坦な頂上

              

 頂上は、昨日登った会津駒ヶ岳から中門だけへと続く湿原に似ている感じ。ただし、この頂上には山小屋はない。その分だけ素朴な雰囲気に包まれている。こんなところで星空を見上げながら、一夜を過ごしたらどんなに素晴らしいことだろうと思う。
 何もない湿原に、かすかに流れる大気と晩秋の鈍い日の光。この頂きも間もなく雪に被われ、全てが深い眠りにつくことだろう。巡り来る春まで静に休めばいい。悠久の自然が、ひっそりと息づいているのを感じさせられる平ヶ岳の頂上だった。 
  登ってきた道を、帰る。もっとゆっくりしたいのだが、帰りの時間が心許ない。登りに稼いだ時間は、頂上での休息で消費してしまったから、帰りも急がなくてはいけない。
 ガイドブックによれば、往復約10時間とある。登りに5時間20分、休息で約1時間を使っている。最悪の場合でも、4時30分までには下山したい。

                                      燧 ヶ 岳

            


 燧ヶ岳を横に見ながら、太陽さんとの競争を始める。ツガの林を抜け、姫ノ池から笹の斜面を一気に下る。大シラビソの樹林帯に入ると、白沢清水までは近い。台倉清水まで快調に飛ばすが、この頃からさすがにバテてきた。下台倉山まで長く感じられたが、14時45分到着だ。後は、急坂を一気に下ればいい。下り1時間30分とあるこの坂を、1時間で無事クリアー。危険な急坂だが、何とか無事下山できた。15時50分駐車場着。

                                                    (登山口6:20~平ヶ岳頂上11:40~下山15:50)

 


 車の脇に座り込み、しばし登山の余韻にひたる。


百名山の記録 燧岳~会津駒ヶ岳・中門岳

2014年10月24日 | 日本百名山

 2007年11月6日(火) 燧ヶ岳

  天気予報通り案の定雨。早朝だいぶ降ったらしい。どうしようかと迷いながら、取り合えず村内の様子を調べることとする。川沿いに細長く伸びた村だが、観光に力を入れている様子がよく分かる。地理的には、燧ヶ岳の裏側に位置し先に述べた3山への基地としても最高の場所である。
 村の下調べの後、尾瀬御池に向かう。裏燧の登山口でもある。案内所でパンフレットをもらい燧ヶ岳アタック開始。9時駐車場・登山口スタート。
  濡れた登山道をひたすら登る。途中尾瀬特有の湿原を通過する。広沢田代、熊沢田代との道標あり。よい日和のよい季節に歩けば素晴らしい景色を堪能できることだろうが、11月の山は密かに静まり、ただ霧が山を被っている。相変わらず頂上は見えない。湿原の中に木道が伸び、その先は淡い霧に消えていく。
  

                        

 急いだせいか息切れが激しくなった。ちょっと歩いてはハーハー、少し歩いてもゼーゼーと何だか体力が急に落ちたような状態になってきた。「俺ももう年だからなあ」などと妙にしんみりしたりしながら足を引きずっていると、何やら大きなごつごつとした岩場に出てきた。岩場を回り込みふと顔をあげると霧の中に見えたのは祠だ。そして、「柴安ぐら」への矢印が目に入ってきた。そうするとここは「俎ぐら」なのだろうか。
 一面の霧、視界は至って悪い。とにかく先に進む。ちょっとした下りの後また登りが始まる。しかし、この登りはすぐに終わり、燧が岳の頂上に立った。
 眼下に尾瀬ヶ原や尾瀬沼を挟み、遙かに至仏山を望むところなのだが全ては霧の中に眠っているかのよう。

 12時05分登頂。 燧ヶ岳2356m。

  写真を撮り、下山に掛かる。雨の気配も気にもなる。何も見えない山頂には長居は無用とばかり下山を急ぐ。雨と霧に濡れた急勾配の登山道、滑らないよう注意を払いながら歩を進める。登りに苦労しただけ、下りは早い。頂上から熊沢田代まで、一気に下る。
 心配した天気も、何とか持ったようだ。期待した景色こそ見えなかったのだが、取りあえず雨にも遭わず何とか無事下山できそうだ。
 ホッとした安堵感が広がる。気持のせいか、広沢田代までがいやに長いように感じた。間もなく登山道を整備する工事現場の物音が聞こえはじめ14時30分、無事駐車場着に飛び出す。来年への準備なのだろうか、遊歩道整備の工事が初冬の裏燧に進められていた。  雨であきらめかけていた燧ヶ岳登山への満足感が、運転している車の中でじんわりと広がってくる。今日という日に感謝。
 アルザ尾瀬の郷で入浴。今日はただ今私一人。紅葉のシーズンは去ったようだが、露天風呂周辺に植え込まれた木々のそれは今が真っ盛り。晩秋から初冬へと繋がる自然の変化の様にただ感激。
 風呂上がりは、駐車場横の食堂で新蕎麦を肴に、乾杯。山の疲れと、湯上がりの心地よさがいつも以上に体と心を酔わせる。
                  

                                         (尾瀬御池登山口9:00~燧ヶ岳頂上12:05~下山14:30)

11月7日(水) 会津駒ヶ岳

   今日は朝から素晴らしい天気。昨日調べておいた登山口取り付き点横に車を駐める。7時スタート。このルートは、初めから急な階段登りだ。ブナの巨木を縫いながら歩く。キリッとしまった朝の空気。昨夜来の放射冷却のせいだろう。
 落ち葉を踏みしめながらひたすら高度を稼ぐ。途中、ヘリポート跡や水場の標識もあり格好の休憩所もあったが、どんどん登る。体調も良く、万事好調だ。こんな時の山歩きは、本当に楽しいと感ずる。
 やがて視界も開け、湿原が広がる。足元の小さな池塘には氷のカーテンだ。燦々と降りそそぐ太陽、麦秋の湿原、遙かに延びる桟道。駒の小屋はすぐそこだ。

                                池には氷が一面に

                                     

  10時登頂。会津駒ヶ岳2132m。
 頂上から中門岳へと広く延びる尾根は、高層湿原となり、その中を木道が延びる。尾瀬ほどの広がりはないが、その眺望の素晴らしさと、季節季節に咲き乱れるであろう花々はまさに「山上の庭園」と呼ばれるに値するだろう。
 山を、遠くから眺めてよしとする山と、登ってよしとする山との2つに分けるなら、会津駒ヶ岳は、後者に属すると思う。
 中門岳まで足を伸ばす。冷たく感じられた山の空気も、太陽の熱を受け、今は真夏の日射しを思い出させる。燧ヶ岳の遙か向こうに、富士山がポッリと頭を出している。

                      

                        


 今日も頂上一帯は、貸し切りのようだ。のんびり、ゆったり、一歩一歩確かめるように歩く。中門岳に立つ。「この一帯を中門岳と云う」との木柱あり。東側、大戸沢山の尾根のあたりに何やら白く輝く一帯が見える。樹氷なのだろうか。太陽の光を受けてキラキラと光る。昼食を楽しみながら、果てしなく続く山なみをただ見続ける。

                    

 駒ヶ岳小屋まで帰り、時間をもてあましていると突如足音が聞こえ、一人の男性が現れた。肩で息を切りながらやって来たその男性は、沢を詰め、ヤブをこぎ、この下でやっと歩道に出たとのことだった。ニッカーボッカにセーター姿の、昨今ではオールドなスタイルで、一見クマさんのようにがっちりした体格の根っからの山屋さんといった感じ。
 ヤブこぎの楽しさについて語ってくれたその男性は、傷だらけの足を出して見せてくれた。もの凄いヤブこぎだったらしい。「クマの足跡があったぞ、おっかねーなー」と語る横顔に、クマの顔がオーバーラップする。
 

                          

  山の楽しさを語り合った後、私は、一足先に下山することにした。この男性は、駒ヶ岳の頂上を踏み、中門岳まで足を伸ばしたのだろか。 会津駒ヶ岳と中門岳に後ろ髪を引かれながら木道を下る。まだ日は高く、秋色は深まるばかり。気温の低いせいだろう、木道の陰った部分には、いだ溶けきらない霜がうっすらと残り、気をつけて歩かないと危なそうだ。
 風に乗ってどこからか人の声が聞こえてくる。叫び声のようでもあり、怒鳴り声のようでもある。近くに登山者がいるのだろうと思い歩を進めていたら、案の定スリップ。尻からどすんと落ちた。「コノヤロー」と自分で自分に悪態をついていると、今まで気がつかなかったのだが、すぐ先の休憩用ベンチに一人の男性が汗を拭きながら休んでおられる。
 かなりのお年と拝見したが、かくしゃくとした山なれた感じのご老体。挨拶をかわし、私も一休み。先ほど打った尻が少し痛む。
 この男性、登山と云うより健康管理のため毎日山に登っているとのこと。6年間で、18キロもやせたそうだ。かって、体重が増えすぎ、歩くのも困難だったそうである。もう少し長く生きたいと思い、医者の指示を守り、食事と運動に気をつけて頑張っていたら、薬も一つ、二つと要らなくなり、膝関節に水も溜まらなくなって、健康を取り戻したとのこと。
 「何でも同じだが、基礎基本、教科書にある通りをきちんと忍耐強く実行していれば成功するものだ。偉い人とは、そんな努力を続けた人のことだ・・・」
 こんな内容のお話を繰り返しされた。「自分は、好きで山に登っているのではない」とも話された。男性のザックや衣類などの装備には、様々な工夫がなされてた。ダブルのストックは、スキーストックを加工したものらしく石づきの部分の長さは少し短めにてあった。 長いと泥などに差し込んだときすぐに抜けないことがあり危険とのこと。握りの部分は「くの字」型に曲げられているのは、力が入りやすくするためなのだろうか。
 肘や膝の関節部分には、古い下着の一部を切り取ってスパッツのようにしてあるのは保温対策だそうだ。ザックにも様々な工夫が加えられているようだった。
 いろいろな点で考えさせられた出会いだった。  14時20分、取付点着。
  今日も檜枝岐村の温泉で汗を流す。豊かにあふれる湯船の中で、明日の平ヶ岳登山に思いを馳せる。

                        (登山口7:00~会津駒ヶ岳頂上10:00~中門岳~会津駒ヶ岳頂上~下山14:20)


百名山の記録 越後駒ヶ岳~

2014年10月23日 | 日本百名山

日本百名山  2007年11月3日(土)~

越後駒ヶ岳~燧岳~会津駒ヶ岳~平ヶ岳~男体山~奥白根山~赤城山~武尊岳~天城山
 

 今回も、日本海側からの入山。久しぶりに国道9号線に乗り、日本海側を北上する。まず第一に目指す山は越後駒ヶ岳である。ガイドブックには、魚沼駒ヶ岳とあるが越後3山の中心的な山でもあり、越後駒ヶ岳の方が通りがいいように思う。
 ただ、地元の人々の山に対する気持ちが、その山の呼称につながっていると思われるので、どちらの呼び名を使うかは人それぞれかもしれない。
 魚沼とは、新潟県魚沼市あたりを指すのであるが、コシヒカリの産地として有名を馳せている地でもある。
 鳥取、兵庫、京都、福井と快調に飛ばすが、北陸自動車道の敦賀インターまでの永いこと・・・。夕闇迫る舞鶴市を抜け、敦賀インターに着くまでが大変難儀に感せられるのはいつものことだが、関東や関西に住んでいる人が本当にうらやましく思われてくる。 
 北陸道に乗ってしまえば一安心。後は適当な時間帯に、適当なパーキングで車を止め、泊まればいい。勿論車中泊である。
 我が愛車のには、快適な夜を過ごすための装備が調えられている。松江を発つことすでに10数時間が経過。今夜の泊まりは尼御前サービスエリア(SA)と決定。
 

11月4日(日)


 車の騒音を聞きながら目覚める。SAの洗面所で顔を洗う。このSAの裏手には観光用の歩道が敷かれ、日本海へと伸びている。義経伝説の地であるらしく、義経に付き添った女性の碑があり、その足下に秋がひっそりとうずくまっていた。
         

          果てしなく 秋を隠して 冬の海

  朝日を浴びながらいざ出発。朝の日本海を左に、右にはアルプスの山々を見て目的地が近づきつつあるのを感ずる。越前、越中、越後等の地名を目にするごとに、遠くにやって来たものだという実感が湧く。
  北陸街道は、かって芭蕉が奥のの細道で通過した道でもある。越中境PAで、
       

          一つ家に遊女も寝たり萩と月    ( 芭蕉 )


の句碑を目にした。山への道々、思いがけない出会いである。そういえば、前回の山行では、有磯海SAで、

          早稲の香や分け入る右は有磯海  ( 芭蕉  )

の句碑に出会った。そこで私。

 
                  行く秋はトンネル抜けた親知不


 北陸道自動車道から関越自動車道と乗り換え、堀之内ICで国道352号線に入る。道路地図によるとこの道は途中より樹海ラインと名付けられ、 目指す越後駒ヶ岳の登山口は、この樹海ラインの頂点、枝折峠にある。
  心細くなるような狭い道を、対向車に出会わないようにと祈りながらひたすら車を走らす。途中、三島由紀夫の文学碑に出会う。少し時期遅れの紅葉を横目に、やっと登山口に到着。今夜の宿泊地(車中泊)でもある。
 枝折峠は新潟県に属するが、越後から会津方面に抜ける文字通りの峠である。真新しい駐車場とトイレが整備され、多くの観光客たちが車旅の疲れを癒していた。


 私が到着したのは3時過ぎだったか、まだ多くの人でにぎわったいた。
  越後駒ヶ岳に登ったと思われる登山者が、ぼちぼちと下山して来る。その中の一人に山の様子を聞く。朝方雨が降ったようで、視界は悪く、登山道の所々は沼のような状態とのこと。「長靴だよ」と冗談交じりの一言。確かに、足下は泥だらけ、スパッツがなければとんでもないことになりそうだ。
 昨日、は多くの登山者で駐車場も一杯だったそうである。夕闇がせまる頃、2名の下山者。話を聞くと、今朝9時頃からスタートしたとのこと。朝方雨が降っていたためスタートが遅れたそうである。
 朝9時にスタートしても、この時間帯に下山できると分かり何やらホッとした。日も落ちてから、最後の下山者がいた。単独行者で、ヨレヨレになって降りてきた。ライトも持たず、傍目から見ると、黒い影がかすかに揺れているといった感じ。こちらは既に一杯やって酩酊気分。最初は、人かどうか分からず、クマでも出たのかなと思ったが、かすかな残光にすかして見てやっと人と判別できた。
 自分の車まで数mの距離がきついらしく、極限のバテバテ状態らしい。それでも、こうして自力で下山できたのだからと、声も掛けずに車の中から様子見ていると、やっと自分の車にたどり着き車中に姿を消した。しばらく静寂が続いたが、やがてエンジンの音を残し闇の中に消えて行った。

  山では色々な人に出会うものだが、装備は勿論のこと、事前の調査はしっかりと行い、自分の体力と山との軽重を正しく把握しておかないととんでもない目に遭うものだ。山の怖さは、いつも危険との背中合わせということ。ちょっとの油断や不注意が事故につながることは他人ならず、私もよく経験するところ。反省しきり。

  11月5日(月)

 朝6時10分スタート。朝焼けが素晴らしい。ここ数年で一番の美しさだ。カメラマンが尾根に急ぐ。霧が、雲が、流れるように尾根を渡る。
  いよいよ100名山も、越後の山々に手が届いた。そんな気持ちが、心の奥から湧き上がって来るのを感ずる。どうやら今日は好天に恵まれるらしい。一歩一歩、ゆっくり歩けばいい。夜明けと共に視界が広がる。カメラマンが尾根の途中に三脚を据え、朝の一瞬を狙っている。
 「朝焼け素晴らしかったですね」、と声を掛けると、「ああ」と何か素っ気ない返事。それでも負けずに、「あの山は何という山ですか」と聞くと、「荒沢岳」とこれまた最も簡単明瞭な返事。写真に集中しているからそうなのか、それとも、シャッターチャンスを失ったため不機嫌なのか。
 「もう少し早く来ていれば良かったのに」と内心思ったりしたが先を急ぐ。途中、銀の道と交差したりするが、登山道はしっかりと整備され、道迷いの心配はない。ただ、所々ぬかるみがあるのはどうしようもない。ガイドブックによれば、明神尾根を経て、小倉山までが2時間半ほどだから行程の約半分。「百草の池」などと何やら曰くの有りそうな名前の池が有るのだが、季節はずれのせいもあってか、ただの水たまり。とにかく先を急ぐ。     
 小倉山から、頂上まで約3時間。この3時間のうち2時間が勝負何処だ。徐々に急登となり、息も上がってくる。あえぎあえぎの登行だが、確実に高度を稼ぐ。急な岩場が目前に
見えてくる。あれを乗り越せば「駒の家」、もう一息の頑張りだ。 濡れた岩場は怖いが、今日は朝からの好天気。岩は白く乾き、踏み後もハッキリしている。とにかく、一歩一歩。やっと、「駒の家」に到着。冬支度の小屋は、しっかりと閉ざされ人気はない。

                          頂上から見た駒の小屋

               

       
  冬季の利用者はいるのだろうか。頂上へ伸びる稜線を歩む。頂上まで、しばらく掛かりそうな感じなのだが、意外に早い到着。10時20分登頂。越後駒ヶ岳2003m。
 2名の先着者在り。何処までも明るい太陽の光の下、四方の山々が鈍く光る。雪を頂いた山々が見える。「あれは飯豊連峰かな」「ではあれは何だろう?」「多分、北アルプスの白馬あたりでしょうか」
 先着の登山者の会話を聞きながら四方の山々に見入る感激の一時である。360度のパノラマに上越地方の山々は勿論、彼方の山々が一望される。
 越後駒ヶ岳から尾根伝いにつながる中岳と八海山の越後三山、眼前にそびえる荒沢岳、そして、そのバックには双子峰の燧ヶ岳がその存在を強くアピールしている。
 私に分かる山はそれくらい。今見渡せる限りの山々は、一山一山すべて名のある山々なのだろうけれども、調べるべき資料の持ち合わせがなく、ただ、呆然と眺めることしかできないのは残念なことだ。

                                頂上にて

           

                                 八海山

           

  今日の登頂者は、私を含めて三名。一人の方は、早々に下山され、残った二人でああだこうだと山名の特定をしてみたが「~らしい」くらいのことしか分からず仕舞いだった。
 そのうちもう一名の方も下山され、頂上は私一人となった。静かな時の流れを感じながらも、心はもう明日の山のことに向かっている。この好天は、今日まで。明日は崩れるとのこと。予定は平ヶ岳だが、悪天候の中の長丁場は気が進まない。天気が回復するのを待つのも一案だ。何せ時間はたっぷりあるのだから。
 とりあえず今日の宿泊場所を決めるのが先決と、頂上を後にすることにした。15時05分枝折峠の駐車場着。
 奥只見ダム沿いに付けられた道路を一路尾瀬御池に向かう。道幅は広くなったが、執拗な程のカーブの連続。途中「平ヶ岳」登山口の道標を見る。間もなく尾瀬御池に到着。  人気のない建物とガランちした駐車場、初冬の風が暮れ始めた広場に冷たく占領していた。こんな所で一夜を明かす気にもなれず、檜枝岐村という変わった名前の村まで下りることにする。
  後で分かったことだが、この村には3つの温泉と多くの民宿等の施設、スキー場もある。なによりもいいのは、蕎麦の美味い所でもあるのだ。「燧の湯」という公共浴場で一風呂浴び、温泉の駐車場で車中泊。結局、この村を基地として、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、平ヶ岳の3山を登ることとなった。

                                                 (枝折峠6:10~越後駒ヶ岳10:20~下山15:05)