年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

離れていく

2015-11-10 00:00:00 | Weblog
 早朝の3時に目が覚める。枕元のラジオのスイッチを入れると「歌は語れ」として森繁久弥さん、勝新太郎さん、高倉健さん、渥美清さんの懐かしい歌が聞こえてきた。覚醒した頭で目を閉じ聞き入る。
 5時、東の空を見ているとまだ暗い空にビーナスとジュピターの間にマースが見える。でも先日ジュピターとビーナスが接近していたのに少しずつ離れている。浮気もののジュピターが今度はどちらへ向かってるのか気にかかる。

 お味噌汁が飲みたくなった。急に。しかも小芋の入ったダシのきいたお味噌汁にネギがたっぷり入ったもの。フウフウしながら食べたいと・・・。当然やる気を出して作る。家人が誰もいないにつき、一人で大声でも小声でもなく、こりゃあウマい・・と一人で叫んでみた。が、それほどでもなかった・・トホホ
 4男から食材が無くなったとメールが入った。あわてて缶詰・野菜・米・レトルト食品・スパ・ウィンナーソーセージ・調味料・お菓子類など大きめの段ボール箱で送ったのが昨日。夜8時、届いたよ、のメールあり。これで年末まで餓死せずに済む・・とも。
 今夜は高校時代の仲間が集まりワイワイやろうかと。Yちゃんが横須賀から帰ってきたのにあわせてやろうかと。Yちゃんのご主人さんもこちらの病院では手術不可能と云われていたが、横浜で手術をおこなった結果うまくいき、もちろん日常生活など片時も目が離せない状態ではあるけれど寸時の休みを取り帰ってきた。彼女の指定航空機はJALマーク。なぜならご主人さんが勤めていた会社だったから。

 ご婦人さん方々のパートナーもそれ相応の年齢となり、介護することから離れることができない日常のようで。
 元JRマンであったTちゃんのご主人さんも病院から介護施設へと変わった。日々その付添いから離れることができない状態。
 一等航海士として近海船に乗っていたJちゃんのご主人さんは、入院するとか入院したなどの話は聞かない代わりに、高齢に向かうご主人さんの愚痴を聞くことに・・・相成る。
 いつものH君は何もしない毎日を逃れるために週4日のフルタイムの私同様就労に関する仕事をしており、遊び相手を求めているようで、T君に至っては、会社が黒字なのか赤字になってるのかよくわからないが、しっかり者の会長が控えており(奥様)あそぼ~と声をかけると断ることのない良い性格であるし・・。

 で今夜は、高校時代の箸が落ちても笑える話から現在皆が抱えている共通する苦労話を苦労とも思わず、当たり前のように各自喋っておった。感謝のひと時。

何を思い悩む

2015-11-09 19:28:45 | Weblog
 とにかくものぐさが高じているのがよくわかる。何もかも面倒くさい。かといって何もしていないわけでもない。

 毎日独りで何を食べようかと思い悩むことのなきように。冷蔵庫を開ければ先々週からの食材がラップを開けることなくそのままにある。買った時には薄緑色を帯びた黄色が黒色に変色したバナナも手つかずにあるほど。リンゴは庫内で芳香を放っているようだ。よって、牛乳を大カップになみなみ注いで6切れ食パンを1.5枚トーストが朝食。昼食はインスタントラーメンしょうゆ味の卵ぶっかけ&畑に次々と大きくなっている白菜や大根葉、春菊の10㎝ほど伸びた芽を間引きしたものを一緒に。夜は今のところ食欲がない。よってコーヒーが夜食となる。このコーヒーだけは念を入れている。手動ミルでコーヒー豆を挽き、フィルターをドリッパーにセットすることだけが一日の内でこだわっている作法?である。今日も何杯淹れたのか・・・しょっちゅうトイレに立っているが・・。

 そして、毎日何を着ようか、何を穿こうかと思い悩むことのなきように。整理たんすを引っ張り出せばぎっしりと折りたたんでいる衣服が種類ごとに仕舞われている。折りたたんだ衣服の行列を崩すのもなんだか気が引ける。よって畳んでいない取り込んだ洗濯山から、山を崩して探して履く着ることとなる。今日は仕事日ではないから。外に出なければ一日中パジャマでもいいわけで・・ハイ。

 先日まで続いた秋晴れも一昨日から崩れており、今朝も雨が・・・
 葉っぱが落ち切る冬支度の前の紅葉が美しいと思うことと同様に人が冬の時期に入る前の美しさってものがあるんだろうか?春の芽生えに生命の息吹を見るに対してその芽吹きを促すために葉っぱを落とす、あたかも死と生の入れ替わりのようなサイクルに見物客は感じ入るものなんだろうか。夕陽の染まる西の空の朱色と紅葉群の朱を見て、一時沈黙することはいったい・・・。
 何でこんなもの書き続けているんだろうか!昔、確かイギリスの市役所に勤める公務員さんが長らく日記を書いている本が、岩波から?出ていたものを読んだことがあるけれど、それで、長らく日常を描き続けているとそれなりに何かが見えてくるものがあるらしく、その例に倣ったようなもので・・。

介護の連帯

2015-11-08 00:00:00 | Weblog
 今日は母親がヘルパーさんやデイサービス利用でお世話頂いている施設でお祭りがあるという。先月、施設の職員さんから出欠の問い合わせがあり、参加の返事をしたばかり。

 コ-ラスのグループあり

 近くの神社から獅子舞保存会の方たちがやってきて

 子供に帰った老人が相好を崩し喜びあう。

 ボランティアさんたちが大勢やって来て、たこ焼やら焼きそばを振舞い、お餅つきをしている。
 ざわめきあう構内を眺めて・・・
 そうだったのか・・・ほとんど外の空気を吸いたい意欲があっても、身体的に誰かに意思をゆだねなければ、想うようにできない人たちがいるのがこのような老人福祉施設を利用している利用者さん方々。ベッドの上でほとんど24時間過ごさざるを得ない人たちにとって、今日は特別な非日常であることに気がついた。どこが面白いんだろうか・・?の目線は自分の意思で動くことができる健常者側の発想。健常者の目線ではない、非健常者の目線で考えなくてはならない・・・などと思ったりするも振舞って頂いた、おうどんにお寿司を食べた後、じゃ帰ろうか・・と車いすの母親を促す。

 入院中の義母もいっときのせん妄期を抜けて少しずつではあるが、かつての日常の何割かを奪還するに至り、近々リハ病院に転院することが決まった。その日にちを決めるに際し、妻の兄と相談することになる・・・がナヵナカ・・の電話あり。

久万高原町に上がる。













今日の説教

 祈るってことがあるけれど、心が空っぽになるほどに祈ることはない。まだ「まだ何とかなる」と自分の思いを残している。人生の闇が光に変わるほどの祈りができる者へ・・
 欲望とか薄っぺらな希望とか、そんなものをすべて捨て去って、何か揺るぎのない自分をどうやって創っていこうかと・・。



「ゆの森」へ

2015-11-07 18:11:12 | Weblog
 毎日4畳半の部屋でベッドに横になり、満足に歩くこともできず、面白くもないTV画面に目を移したところで、全く耳も聞こえないだけに絵だけを眺めてみても何も刺激されるわけでもなく、な~んもない毎日の苦痛を、アンタは理解できるか?っていうのが息子である私への詰問となっている94の母親である。

 考えてみれば、確かに私の仕事場の一つである刑務所では、その共同房において、受刑者が6畳ほどの部屋で数人が共同で過ごし、朝になればそこから出て作業工場に行き、無駄口をしゃべることは出来ないが、常に誰かを視認でき得る環境の中にいる受刑者の方が、足が不自由との身体的条件、ヘルパーさんがやって来る朝夕を除けば、いつも独りでいることを考えると刑余者より劣悪な環境に居ることになる。
 それでも昨年までは弟が生きていて、入院中の病室にいること、また自宅のベッドでほとんど横になってはいたものの話しかけると、それ相応の反応がある限りは、さみしいなどと聞くことはなかった。
 妻は、奈良にいて義母の入院中の病室に日参しているにつき不在、つまり私が妻の用事ごとを手伝うことのない毎日、

 それでは、母親を部屋から連出し、今日は紅葉を愛でようではないか、そして湯に入ってもらおうではないか・・と考えた。行先は高知・中津川渓谷にある「ゆの森」へ。あいにくの雨模様ではあるが紅葉祭りが開かれているようで・・
 
 自宅から車で90分の距離、

 紅葉祭りとはいえ、見物客はチラホラ

 この湯へは弟がまだ一人で歩くことの出来た時期に母親ともども一緒に来たことがある。数年前のこと。母親は、アッ来たことあるね・・などと思いだしたようで・・浸かる

 お湯の中では枯れ木のように浮いてしまうために嫌がる妹を呼び寄せ入浴介助のお手伝いをすることに。湯に浸かったあと、
 すっかり上機嫌となる母親であった。

 耳の聞こえない当人は・・あ~旅行に出かけたようだった・・と満足げ。母親に悪態をつきながらではあるが・・こんな良い子供はいねえよ・・などと言いかけると、妹からは、それを言っては兄の値打ちが無くなる、黙っておけばすごく親孝行に映るのになぁ・・。残念、しかし言っておかないとこちらの気持ちが・・・。
 霧雨のなかワイパーを動かして33号線を走る。秋雨前線が張る時期が来るんだろうか、するともうすぐ本格的な冬が来るはず。

特定非営利活動法人 沖縄鍾乳洞協会

2015-11-06 00:00:00 | Weblog
 いつもスマホに予定表を書き込んでいる。それによると本日の行事ごとは、午後から市人権委員理事会に出席し、そのあと高校で同じクラスであった山内君の講演会があり、そこから流れて懇親会突入・・とある。

 果たして人権理事会はどこで開かれるんだろうか・・と市役所・人権啓発課に問い合わせると、どこそこで何時開始ですよ・・と教えてくれた。私が、じゃ今日の会は何時頃終わる予定?と聞き返すと、エッ!理事会は来週の金曜日ですよ!と返事があるではないか。アッチャ~今日ではなかったのか・・ラッキー。これで遅刻せずに山内君の講演を聞くことができる。
 で、本日開かれたのは、洞くつ探検から人骨採収など通じて見た「日本人のルーツを探る」のお題目。


 彼が作ったパワポのスライドは、こりゃ徹夜になるのではないかと・・思うほどの量
 
全3種類、ヘイちゃんの所属を見てると

穴の中でも大穴関係が・・・





 彼の話を聞きながら、なぜか私は、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を思い出した。つまりホイジンガは、その著の中で大前提である [遊びは文化よりも古い。「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。] これがホイジンガの真骨頂。子供のころに誰もがその原型的な経験をもっていた。
 文化なる単語が横溢するなかでホイジンガは、「あそび」から「文化」を探っているところに特長がある。そうだとすれば、どんな文化についても、そこに遊びの要素を発見できさえすれば、「文化とは何か」ということをなんとか解きほぐすことができるのではないか。などと思ったりする。ヘイちゃんは遊びから自分史を形作っていることにうらやましさを覚えたワケで・・。

 彼の父上は山内浩先生。高知の龍河洞を見つけた人、その先生の3番目の息子であるヘイちゃんも学者風情とも違うちょっと変わった穴遊びをしていたのだろう。国内にある800の穴、洞窟すべて潜った人は、国内にいてヘイちゃんくらいか。沖縄・玉泉洞はヘイちゃんが発見している。今、沖縄にいて私同様4人の子供に恵まれ、洞窟やら巨大な鯉のぼりなど作って遊んでいる姿が琉球新報に掲載されていた。一方国体では沖縄のボーリングチーム監督として優勝に導いたこともあるとか。
 そうだった、ヘイちゃんは人生を楽しんでいたとお見受けする。
 でも、でもである。ヘイちゃんは病魔に侵されつい最近手術を反復していることを講演の冒頭に告げていた。

鼓動の響き

2015-11-05 20:35:21 | Weblog
 毎日朝と夕にやって来るヘルパーさんに対して、寂しい寂しいの連発で気を紛らわしているかのような母親が、たまには温泉に連れて行け、だの買い物に連れてってくれ、だの私や妹に対して電話がかかってくる。時間を見て連出すと気持ちがいいなどと云い、ともすればそれを日に日におねだりしているような按排である。暇を見つけて黙って従うようになるが、今日の夕方顔を出すと、ヘルパーさんにしきりに、うちの息子や娘はめったに顔を出してくれない・・などと愚痴を言っている最中であった。それが証拠に、私が部屋に入るなり、それ、お兄さんが来たではないですか・・とヘルパーさんが母親をなだめている最中であった。

 なんだかこの頃息をすることさえ面倒くさくなった。昨夜など、このまま眼が覚めなくともOKなどと思ったりする。電卓を出して計算をしてみる。私がおぎゃぁと生れてこの方、時間にして約59万4千6百9拾6時間もの長い間、一度も休むことなく心臓が動いていることの不思議さを思う。たまには休ませてやりたいなどと考えたりするが、生物学的に止まるまでは動き続けなければならないのだろう。休んだり動いたりと心臓は適当にやってくれないのだろうか・・と思ったりする。
 メンタル障害ゾーンにいるんだろうか・・自分は少し疲れてるのかもしれない・・・が、周りが許してはくれないみたい。だから困っておる。

 本日の相談者は二人。一人目は最近日本国籍を持った人。本名ではなく俗名・通称で生活をしていた人。前もって帳簿を読みイメージを膨らませるのはいつもの癖。そして目の前に座り、いざ話を聞き、質問をし、途中励ましの言葉を送ると泣き始めた。年老いた母一人が待っている。いつも心配ばかりかけていた。何とか仕事をして親孝行をしたい・・と述べながら涙を流した男性は51歳。最初の活字から想像したイメージが崩れた。

 次の人はIQが70を大きく割り込み30台と記録されている39歳の人。活字から読み解くイメージは、対話がどれほど可能であるか、であったが学歴等から見ても、字をきれいに書く(私よりも)、丁寧に書く(私よりも)、漢字は十分に書くことができる(私よりも)・・などと私が想像した地点より高い。自信を持っているのは溶接技術だという。その39歳君は、誰も今住んでいない実家に帰り、近くの介護施設に入っている父親を引き取り一緒に生活をしたいと・・目をウルウルさせながら私に話しかけてきた。二人とも犯罪傾向は進んでいない。
 でも私はこれでヨシヨシ・・などと考えることは全くない。悪いけれど、誰にでも当てはめることの危険はあるだろうが・・あえて申せば釈放後、豹変してくる人を多く見ているので。仮釈放で豹変するよりも満期を迎えた後に豹変する。つまり法律により手かせ足かせから解きほどかれる頃、時期をまたいで変わってくるように思う。やっぱりみんな、心臓の鼓動が聞こえなくなるまで動かざるをえないのか。

永遠の0

2015-11-04 20:56:02 | Weblog

 アイヌ語で「魚の住まない川」を意味する「ヤンケ・ナイ」、または「片割れの川」を意味する「イヤル・キナイ」と言われていることからヤリキレナイと呼ばれるようになった・・・と云われてる・・らしいが。夕張川の支流である。9月、札幌から夕張に移動する車から見えた。別にその川とは関係なく、とてつもなくやり切れないナァ・・と。

 今日の相談室2ヶ所。刑余者相談室の椅子に座った最初の人と次の人はいずれも性的犯罪。この手の犯罪の刑期は、かなり長い。極悪犯の刑期に次ぐように思う。犯罪が明るみに出たのはスクールカウンセラーから。児相に情報が伝わり警察にそして起訴・・・。ついつい一人で考え込む、2次受傷か3次受傷か・・。次の人も偏差値の高い国立大学を卒業後キャリアを形成することなくプラプラとその日暮のようで、家のローンに車のローンがあり、切羽詰まった挙句・・入り込んだ部屋の・・ついつい感情が昂って・・のやってはダメな犯行。
 人として最低のことをやっているなぁ・・と瞬間考えたが、もちろんそのことを評価する立場でないので、粛々と私自身のやるべくことをやっているだけで・・。
 午後の「こころ塾」の予約者は、日本で最も有名な進学校に中学校から高校まで進み、これまた最も高い偏差値の大学に行ったものの中退した。以後やりたい仕事を求めて探す旅に出ておる人。みんな・どこかで狂ってる。みんな・どこかで行く道が間違ってる。どうして間違えたんだろうか?

 昨日の続き・・・西条市
 西条市出身の人を調べてみた。すると、経済界から佐伯勇(近鉄)、芸能界から眞鍋かをり、叶美香(叶姉妹)、芥川澄夫(歌手トワ・エ・モワの一人)、千の風に乗った秋川雅史 、スポーツ関係から千葉茂(プロ野球、監督)、池西増夫(NHK高校野球解説者)、野口茂樹(中日ドラゴンズ)サッカーから長友佑都(インテル・ミラノ)や、川又堅碁(名古屋グランパス)と出てくる。でも、実は初めて知ったのは、

関行男(海軍航空隊パイロット、最初の神風特攻隊の1つ、敷島隊の隊長、昭和19年10月25日フィリピンのレイテ島沖に航行中の米海軍護衛空母セント・ローに特攻。)神風特別攻撃隊の一番機・・・

  
 あまりにも若い・・

廃れゆくこと

2015-11-03 21:26:23 | Weblog
 かつて民俗学者に柳田國男がおり宮本常一がいた。ザシキワラシやカッパ、神隠し、姥捨てなど、岩手県遠野に伝わる伝承を記録した柳田国男の「遠野物語」があり、宮本常一の「忘れられた日本人」がある。前者が東北に伝わる伝承に対して後者の宮本さんは伊予市の対面にある周防大島の出だけあって親近感を覚えた。その宮本さんが全国方々島嶼部に及ばず地のハテまで足を運んで書いている本に圧倒された。他にも山人の生活史、「山に生きる人々」を上梓している。その本によると大島から船で三津に渡り石鎚の山々にも分け入り生活の記録を書いている。山人の生き様、とても貧しいながらも自然と共に生きる生活内容の、物質的に厳しくもあり精神的には豊かでもある内容に、私は一時嵌まってしまった。石鎚の峰々谷筋など踏破されている。もちろんこの谷にも入って昔の人々にもきっと会ったに違いない。場所は西条市小松町石鎚の中村地区。

 この奥深い山の中で昭和30年代までは212世帯の人口1200人ほどの山人が住んでいたそうな。

 でも全国どこでも御多分に漏れず減少し、今人口3人。数年前までにちょくちょくお邪魔をさせていただいてた曽我部正喜さん、当時民放やNHKに追っかけられてしばしば60分番組にも出ていられて、例えば曽我部さんが作っていた黒茶、発酵して作る甜茶をよばれたり、ご先祖さんである平家の教えを守ったたくあんをお茶うけに頂いたりして、朴訥なご主人、おたふくさんのように柔和な顔立ちの奥さんと陽の当たる縁側に座り込んで雑談をするために行くのが山行の楽しみの一つであった。曽我部さんから年々人がいなくなることをお聞きしていたが・・・今日中村地区の諏訪神社の祭礼があり、宮総代長さんにお聞きすると、曽我部さんは施設に入り奥さんはご長男さん宅に移られたことをお聞きした。それで少なくなり3人となったワケかと・・・。
 数年前には無人とはいえまだ建っていた家も

商店だったんだろうか?
 
 崩れ去り、ほとんどの人工物は自然に還っていく。私の感覚では自然に還るというよりも自然に飲み込まれる感じがしているが・・。山崩れ、雨風雪により崩れ、そして生命力の強い植物、木々が芽を吹き人工物を飲み込んでしまうというように。

この谷筋にあるのが諏訪神社

石鎚山老之川の澄み切った川が流れるそのそばに神社がある。氏子は100人ほどだとお聞きした。

今日は祭礼の日である。

今施設入られていると聞く曽我部正喜さんが笑顔でこの祭礼を取り取仕切っていた数年前にNHKの番組があったのがここにまつわる獅子舞。

 諏訪神社の総代長曽我部良一さんに会う。今別の街に移り住んでいる。宮総代長さんは、かつて住んでいた村を廃墟にするには忍びない、せめて伝統となる祭礼は守って引き継で行きたいと、奉納される獅子舞を見ながらお話をしていただいた。側にプレスの若い女性記者がカメラを回し獅子舞の画を撮っている。















 もちろん獅子を舞う子供さんや青年の方々はここに住んではいない。遠方から集まっている。
そして思う。哀切と歓喜、哀しみと喜びはいったいどこからやって来るのだろうかと。
 経済的あるいは、地理的条件、また身体的条件により余儀なくされ故郷を捨てた方々が一年に一度の神社の祭礼に参加し、故郷を離れた、あるいは捨てたかつての地域住民が集まる姿に感銘を受けた。生きるとは何か?を自ずから問うて来るようでもあった。 

読書デー

2015-11-02 00:00:00 | Weblog
 今日の予定ではな~んもない・・事を確認した後、ヨシ今日朝から毛布をかぶり足元には足温カーペットで暖を取り飲み物をテーブルに置いて、タブレットでユーチューブから静かな曲を選択し、玄関の鍵を閉め誰にも邪魔されないように先日から読みくさしの本を読む一日にしようと考えた。手元に置いた本は、集中力が欠けていることが分かり半分しか読み進んでいない平岩弓枝の文庫本と

生きていれば 意志はあとから 従きくると 思いぬ冬の 橋渡りつつ [無援の叙情]


生きるとは 夢を断つこと おもむろに ぽつりぽつりと 折る傘の骨 [青みぞれ]


と詠った道浦母都子の「無援の叙情」ではなく、インタビュー集の

 とりあえずの「新・御宿かわせみ」で気になった個所。
 八丁堀の江戸町奉行所吟味方与力であった通之進が養子である医師麻太郎に対しての事件解決後の話
「わしも、長年吟味方をつとめ、さまざまの悪事を調べ、悪人を裁く立場にあった。そして人は弱いものであり、同時に強いものであると知った。更に申せば、どのようなときに弱くなり、どのような場合に強くなるべきか自ら決するには勇気がなければならぬ。情を知り、情に流されず、理をわきまえて理のみに決断をゆだねず。口で申すは容易なれどなかなかに難しい。殊に極刑を申し渡した者の顔は今でも瞼に浮ぶ。おのれの判断にあやまりがあったのではないかとと夢に見る。今更、思うても詮なきことだがのう。」

 そして道浦さんのインタビュー集である後者の本の中で、対談相手の気になる人、藤原定家の流れをくむ京都冷泉家の冷泉布美子さん、「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」で味のあるエールを老人に送った水墨抽象画家の篠田桃紅さん、「苦海浄土」で水俣患者に徹底的に寄り添った石牟礼道子さんのところをコーヒーを入れ直し毛布を掛け、中高年の正しい時間を持とうと・・・と2冊目の本を開いたとき、ピンポ~ン。。ニイちゃんいてる~、と妹の声、なんだか昨夜女子会をいつもの4人でやったところ、大変おもしろかった・・の報告、なんやら学生時代から45年も付き合ってる友人の難儀話などどっさり引き受けてきたようで、それを面白おかしそうに話していると、次のピンポ~ンがなった。亡くなった父の唯一の生き残りである1番下の弟、つまり私の叔父。昔はタンカー乗船しエンジニアであった。しかし後妻ともうまくゆかず難儀しておる愚痴話を面白おかしく聞いてしまう。
 結局せっかく気合いを入れて読書デーにしようと思ったが・・邪魔された。

弾く

2015-11-01 21:55:08 | Weblog
 先日行った中学校同級会は盛り上がった。年を重ねるごとに人恋しくなるようで。でも今少しもめておる。何がっていうと、ジツハ次回から出欠ハガキはいつも出席する人のみに出そうなどと云うもんだから、私がクレームをつけたワケで。

 毎回欠席の人に対して、以後誘うこと、案内することを辞めよう・・との考え方の根底にあるものは何か?を考えた。つまりいつも仲良く出来るグループをヨシとして集まり、出席しない人をはじいていこうとする考えの中にあるものは、仲間外しを企てる、つまり昔の言葉で云うと村八分の幕開け、創世になるんだろうと。
 欠席するけれどもつながりを求めると思えるような、体調が芳しくないとか介護とかで欠席理由を報告する人、何も理由を書かずに欠席に○をしてハガキを出す人、様々である。あて先不明でハガキが返るケースもある。私の意見はあて先不明の人はいたし方ないが、今回も資料や、写真のコピーを欠席者全員に出すと、次回には面白そうだから出てみようか・・と思ってくれるかもしれない。だから、はじくべきではない・・と。しかし、もうそのようなことはしない、の意見。いつもの顔でいつもの場所でいつも仲良く飲み食い喋り、以外の人は同級生とは認めたくないなどの心理は、対立する仲間グループを作るようで面映い。
 寒い、気温がぐんぐん下がっている。先日衣替えをしてくれているので毛糸のベストを着る。ベンチコートを着てお出かけ。行先はニンジアスタジアム。切羽詰まっておる。

 J1に昇格できる可能性が出てきた。もちろん勝ち続けなければならないのだが、
、今日の昼間のゲーム、

 終了直前のFKは内田、これが決まって3点目、勝利確定。1点目は近藤貴司の技あり、

 いつもより多く入場した観客数5000人超え、喜ぶ。
 
 2点目も近藤がペナルティエリアの外から右足を振りぬいてファーサイド右ポストに入れ込んだ。
 チームは上げ潮状態。勢いが付いている。今日勝って5位・・もしかして・・・