年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

相撲

2015-11-20 00:00:00 | Weblog
 相撲協会の北の海理事長が亡くなられたとテレビニュースに流れた。現役時代は憎らしいほど強い横綱であった。
 今日の相談室に連行されてきた人の一人に、相撲取りさんがいた。といっても中学校を卒業してすぐに入門したのが○○○部屋、同部屋には元横綱もいたり、強い部屋だったんだろう。兄弟子からしごかれたことを思い出しながら話してくれる。そして序の口で相撲を取る段には四股名を与えられて相撲を取ったそうだ。しかし1勝もすることなく毎場所のオール黒星続きで自分は相撲に向いていないと相撲の世界から足を洗ったそうな。何せ本人の実父の友人に部屋の人がいて、その縁で入門したために実父に合わせる顔がなかったそうな。家に寄りつくことなく、以後様々な仕事を経験するも長続きすることなく、とうとう仕事もなく、住む場所もなく、食べるものもなく・・ついつい罪を犯してしまった。

 現役時代の横綱北の湖は、相手を土俵に突き落として勝っても手を貸す仕種はなかった。相撲道の中に負かした相手を思いやる心があるという。しかし横綱は一向にやっつけた相手に手を差し出すことはしなかったそうな。「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱だと思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」その態度が“傲慢”であると、それが横綱にとって相手を思いやる気持ちだったという。勝者が弱者に上から目線で労わることは、かえって負けた相手をいたぶるように映り、横綱にとってみればそれがポリシーだったのかもしれない。「憎らしいほど強い横綱」と言われた。敗れると観衆が湧いた。「憎らしい」「ふてぶてしい」などと言われた。昔、子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、子供が嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」という言葉があったほどである。
 相撲の黒星続きから一般の社会に出ても同じく黒星続きだった元の四股名の△△山に対して、就労という名の手を貸している自分はどうなんだろう。相手が屈辱感に満ちている目を感じることはなかったが・・・

昔のように

2015-11-19 00:00:00 | Weblog

 せっかく温泉場にいるのに湯を浴びてなかった。あわてて6時に起きての朝風呂。ここのお湯は、なかなか肌触りのいいお湯。気持ち良し。

 なぜか昔のようにみんなでボーリング行こうよ・・と。モーニングボーリングを1ゲーム。これが限界。

 次は道後でやろうよ・・と全員一致。
 帰りに呉の街を見たくなった。この街に降りるのも20年振りになるんだろうか。JR呉駅から港の前にかけてずいぶんと変わっているのに驚いた。港に大和ミュージアムがあり、日米運命共同体を連想し“戦い”を身近に感じさせる装置ができておる。



 





 このところ小中学校の同級生、高校の同級生、大学の同級生、会社時代の同僚や先輩と立て続けに会って遊んでいる。

懐かしい顔に会う

2015-11-18 00:00:00 | Weblog
 今から20年近く前まで1週間に1回は行ったり来たりして渡っていた海。航路は、

 昔は水中翼船であったのが、スーパージェットとなり、船中でちょっと仕事をしたいときは2時間少々の時間を作るためにフェリーを利用していた。なぜか、といえば家族がいたから。そして仕事場が海を渡るところにあったから。
 
 途中の音戸の瀬戸には清盛の功績をたたえた清盛塚が見えることになぜか落ち着く。

 今日はその昔の会社で一緒に仕事をしていた方たちの顔を見たくOB会に出席することに。行先は広島・湯来温泉。

 河原の傍にある湯来ロッジが集合場所。

 皆さん元気な顔ぶれで楽しく過ごす。そして12時過ぎまで昔と同じようにしゃべる、食べる、飲む。

 出席者は10人。現職時代は東京・名古屋・大阪・福岡と転勤していた人ばかりであるけれど、皆さん広島にも一時赴任していたこともある。出席者の中では私が年齢の若い方から2~3番目だろうか。事務方の女性の方も入社歴からいえば私の先輩にあたる方ばかり。そうだった、入社歴年次では私が最も若手となる。元上司となる先輩からはよく叱られた。特に80歳をとっくに超えてる先輩のお二人からは、大学の先輩でもあり余計に怒鳴られいた。しかし今や怒鳴るようなパワーに代えてニコニコ顔で、よく来たクレタね・・などと。いっしょに仕事をしていた時代は、同じ仕事の中で共有していた目標やものの考え方などが、退職後それぞれの生活によりさらに変化をし、好好爺となっている姿に時間が経過していることを痛感する。もうすべてが変わった、そしてすべてが終わっている・・と強く感じる夜である。でも…昔と変わらないことに1次会が終わり、2次会のカラオケも終わってるのに、引き続いて部屋の中でみんなでワイワイと飲み食い喋るパワーは3~40年前と変わらず。連れ合いを亡くしている人お二人も、昔をしのんで楽しい夜会となっていた。

父と子

2015-11-17 18:50:01 | Weblog
 ロシア文学ツルゲーネフの代表作「父と子」の話ではない。が、それと同様に父親の考え方、社会的思想が旧世代にあたり、変化を求めようとする新世代が子にあたるような視点で見たのは「大統領の執事の涙」。良い映画だと思う。午後も雨が降りやまない、じゃTSUTAYAで借りた映画を観ようと。
 実話に基づいた作品だという。アメリカ合衆国歴代の大統領である、アイゼンハワー・ケネディ・ジョンソン・ニクソン・フォード・カーター・レーガンのそれぞれの7人の大統領に仕えた黒人執事のお話。黒人の執事がアメリカ合衆国の公民権運動の潮流の流れの中で、父はホワイトハウスにいて国のために働き、反対に息子は国が勧めるアパルトヘイトに敢然と立ち向かう。変化を求めない父と変化を求める息子がぶつかり合うのは必然のこと。

 午前、小雨降りしきる小窓からの様子を眺めながらの今日の相談室。連行されてきたのは36歳の青年。彼が大切なものとして最初に話したのは「絆」である。しかし今まで36歳の青年は、彼を取り巻く人とのゆるぎない信頼関係を築くことができなかった。例えば、重要な社会的な影響力をもつ人物として父がいる。しかし父とは心的葛藤が強い。母は父に比べると話しやすく優しく親和的であるが本音を話すと父に筒抜けになるので母にも本音を話すことができない。恋人はかつていたが、同棲時に相手が浮気をしたことで裏切られた気持ちが強く、すべての女性に対して不信感が強い。職場の女性とは通常のコミュニケーションをとることは出来るが、いざお付き合いとなると不信感が強く出てしまう。他者への関心が薄く、高校大学とほとんど自分の力で、アルバイトをしながら卒業をしている。過酷な生活であったと告白する。だから「自分一人でも生きることができる」などとほざいている。仕事に対してはかなり能力が高いだろうとその仕事歴からみてとれる。全般的な自己統制力は普通の人と同等にあるんだろうが通常の男の人に比べて異様な所は、制服姿のこと。女子高生やナースの制服に異様な性的興奮をコントロールできない。その36歳刑余者の罪名は、○○県迷惑行為防止条例違反。刑期○年○月。

 父に自分のことを理解して欲しい、と幼少期の頃から願い続けていたが父が自分を解ってくれたことはなかったと云う。幼少期からずっと不公平な目にあってきた、自分のやりたいことをいつも反対され制限を受けていた。職場にいてもいつも上司から裏切られてうまくいかなかった・・などと述べた。近々釈放されるんだろう。
 一方の「大統領の執事の涙」の主人公である大統領黒人執事は、黒人差別に反対する運動に身を投じる息子に父である自分が間違っていたと子に詫びる。そして息子とともにデモに参加することになる。一貫して意思を貫く子に父の考えの間違いを子に詫びる・・・。

1日バス旅行

2015-11-16 21:47:03 | Weblog

 先月、いつも利用しているスーパーで何とかキャンペーンがあり、レジで貰ったハガキに住所と名前を書いて出しておいたところ、当りました、の連絡があった。旅行の行先は尾道、無料である。ただし、連れを誘えばプラス1万円が必要だとある。で、私は現職時代には広島から出張で度々泊り込みで行っていた場所でもあり、私はパスすることにして奥さん独りで行くことになった。何せ無料がいいのである、しかも美味しい昼ごはんも含むとあれば、奈良から帰って弟の1周忌を終え、ホッとできることでもあり、じゃ行ってこようかと・・。
   朝早くデイパックに葉室麟本を入れて、涙が出なくなった眼に入れる目薬と杖を2本持ちお出かけ。JR駅までお見送り。見送った後は自分の時間となる。アレしてコレしてなどと考える。毎夜、肩から背中腰に貼っているロキソプロフェンシップが7枚ある。日常的な痛みが取れないのだ。だから鍼治療に行こうか、その前に、またまた依頼のあった刑務所内教育支援の90分講演の資料を作ろうかなどと頭の中がグルグル回る。まぁその前にリラックスリラックス・・・まずはコーヒー豆をミルに入れてゴ~リゴ~リと挽き、薫り高いコーヒーを味わうことにしようと。耳に入れるのは、タブレットから中村雅俊、小田和正、小椋佳、坂本冬美、桂銀淑の歌謡曲がいいだろうと。小春日和の上々天気につき、タブレットのディスプレイに登録している、気持ちが落ち着くバッハなど交響曲などは本日パス。小春日和の穏やかな陽射しと酸味がある花のような甘い香りがするアラビカ種の豆で焙煎した豆で淹れるコーヒーを口に含む朝は8時過ぎ。東の低い空から真っ直ぐやってくる光を浴びながら、仕事もない日の中高年者の正しい独り時間の過ごし方にマンゾクマンゾク・・・
 などと自己陶酔している時間も少なく・・・「オ~イイテルカ~」の100メートル先の人に呼び掛けるような叫び声が窓の下から聞こえてくる。・・・ハイ、これで私の時間は無くなった。

 駐車場のガゼボの椅子に座ったのは、いつものHさんにハラチャン、そして今朝は散歩途中の通りがかりの銀行退職組であるWさんを招いての男中高年の日常談義となる。今日の話題は、いつ仕事を卒業するのが正しいか・・とか、家庭内の諸問題をどのようにやっつけているか、とか有り余る時間を有効に使うためにどうするか・・などの身近な話から日本をどうすればよいかなどの無責任な話に至るまで。平均65歳の暇を持て余す男の人の話は、特徴がある。共通して、人の話は聞かないこと、頑固なことがある。よく見ていると全く別々な話を同時3人がしゃべっているからおかしい。コリャ家の人から疎まれてるだろうなぁと考えた。私は聞き役とそれぞれの人に向って茶化すだけの悪趣味。
 アホな話で盛り上がるも向こうの幼稚園からお昼のチャイムが聞こえてきたのを切りにする。

 尾道といえば林芙美子である。放浪記「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と、確か尾道駅を降りて道路を渡り商店街の端っこにこの石碑があったこと、父親は東予市の人、全国のラーメンの中で尾道ラーメンが自分にはうまいと思う3本指の一つに入ること、坂道がきつかったこと、駅を出て常宿ホテルから見る尾道水道の朝の風景、向島からのポンポン船、山に開かれた工業団地の会社に行くのにタクシー料金が高いにもかかわらず会社費用で落とせなかったことくらいしか思い出せない。奥さんにショートメールを。ヒルメシは何?と出すと即返ってきたのはタコ飯&お刺身。
 そうかそうか、ウマいもん食ってるなぁ。ウンじゃ私も昼ごはんにしよう。一昨日の残り物のカレーが鍋にあったのでこれを温めて・・さらに味を濃くするために生姜とニンニクをすりおろして投入、牛乳を若干流し込みその分薄くなっただろうからカレールーを追加投入して、ガスを最小にしておいた。あっタブレットをそのまま付けている、コーヒーを飲み残したままにしているから・・と思いだし、2階の部屋でくつろいでいると…何やら匂いがしてきた。なんだろか・・お隣さんが何かを焼いてるのかぁ・・しばらくすると、焦げ付く臭いがきつくなった。オ~オ~、カレーじゃカレー。やってしまいました。鍋のカレーが真っ黒コゲ。正しい老人への道を一直線に進んでいると納得。

 今日の相談事は、傷害に遭った人。事件のあった時に子供さんが傍にいてお子さんが時々思い出すように怖い怖いと言いながら体が震えることがある。どうしようか・・と。私には対応不可能につき犯罪被害者支援センターのT専務理事さんを訪ねる。しかし月曜日の今日はお休みとのこと。困って、今度はご主人がトラックにはねられ亡くなりお子さんが○○に遭う経験を持っているNさんに電話相談することに。肝心な話から近々ご飯食べようかの話の方に移り、アレレまた余計なことを・・
 Sさんよりメールあり。病院へ行ったこと、少しずつ調子を取り戻していることなどの内容に安堵する。

祈りについて

2015-11-15 00:00:00 | Weblog
 昨年の矯正展は、葬式のために出席することができかなかった。昨日の法要があり今回も難しいと思っていたが、午前中の少しの時間を利用して覘いてみると・・・

 入場者数が増えているのにびっくりした。いつだったか、誘われてSさんといっしょに覘いて以来だから・・・そのSさんが今ちょっとした病で苦しんでいるという。今まで元気な笑顔と声しか脳裏にはない。にもかかわらず弱しい電話の声を聞くと、気にかかる、心配をする。早く元の元気な様子になって欲しいと祈ることに。
 矯正展を出た後はいつもの日曜日久万高原へ上がる。途中の奥久谷地区は過疎化が激しい。でも畑作業、農作業をする擬人が毎週増えているようで・・・
 

 
 自分が知っている案山子はスズメなど鳥避けである。しかしこの地区の案山子さんは、往年の賑わいを取り戻すべく人を集める案山子だろうか。

 今日の教会礼拝後、「祈り」について学習会あり。傍聴する私の耳に聞こえてきた話に考えさせられた。閉じこもりの時期が長かったIさんからの発表:自分が行方不明になった時、祈ることで自分を見つけることができた。祈ることで自分を見つけることができた・・と発表をしたときに。

弟の1周忌

2015-11-14 00:00:00 | Weblog

 雨が降り続く。先月植えた大根、白菜、春菊、サラダなどの野菜や鉢植えの花に木々にとってみれば喜びの雨、御史の雨、慈雨とでもいえばいいんだろうか。 

 弟が亡くなって1年が来る。「兄弟は後生までの契り」とはいえ、涙を流す時間はなかった1年である。むしろ、一日おきに透析をすることが無くなって、ホッとしている。生きること=1日5時間の透析・週3回が30年近く継続していたことを思うと、私がいくら木仏石仏金仏であったとしても、これでよかったのではないか・・と思うようにしている。昨年の今は、温泉へ連れてってくれ、であった。理由は、長く続く透析患者に共通する背中全体の痒みから一時解放されたい、ことであった。亡くなる数年前からベッド脇に亀の子タワシをおいていつも掻いていた。背は周りの誰かが血がにじみ出るほど掻いていた。本人は気持ちよさそうではあったが・・。その苦痛が無くなったことでもよかった。壮絶な闘病生活であったと映るが本人は至ってあきらめていたのか、のんびりとしていたようにも思う。何をあきらめていたのか、それは希望することではなかったか。望みをこいねがうことをあきらめていたのではないかと。

 私と妻、母親に妹夫婦と甥っ子、3男夫婦に孫の9人で1周忌の行事ごとを。自宅に僧侶に来ていただき、なぜか中学校教員でもある僧侶と教育談義となり、皆で香を手向けたあとは移動し、伊予市の墓へ参り、3男が住む実家へ孫の茜里ちゃんと遊んだあと解散。甥っ子のGO君がおばぁちゃんを車に乗せて帰ることに。

ウマくゆけばよいが・・

2015-11-13 00:00:00 | Weblog
 再びの社会生活を送ることの緒にいて、支援者としてどのようなサポートが望ましいことなのか?をいつも逡巡している。そして時間切れになる寸前にエイヤ~とやっつけることになる。迷惑だろうが何だろうが・・・
 で、朝5時から練った案もいつもの案、何もかわりばえしないが。
 前回の小咄に少し手を加えただけで、勘弁してもらいお喋り会とした。釈放前の人たち十数人を前にしてのいつもの話をしようと・・・上から押さえつける話や、少ない知識をひけらかすようなアホなことを慎み、善人ぶってしゃべることでもなく、刑余者のレッテルの張られた彼らの今後の難儀な生きる道を思い遣ると同時に、目の前にいる犯人に痛めつけられた被害者の事まで想像を思いめぐらす時には、どうしようもなく力不足を感じてしまう。無力感。脱力感が襲ってくるのはいつものことではあるが。
 労働市場を見るに、右肩上がりなどと浮かれないように・・

 本日のメイン行事ごとは、夕刻から始まる協力雇用事業所の社長さんに来所頂き、釈放前の採用面接のこと。条件を付けてピックアップした刑余者は2名。いずれも帰住先が当地であることが大前提。60分を使ってそれぞれ一人ずつ面接室に連行し社長と専務に面接を願う。私の方から、何を質問していただいても結構、答えられない質問は、例えば本人には極秘にしていることなどの質問は、こちらの方から指摘していただく。が、犯罪動機等、本人自身のことはOKという風に。両名の面接を終えた社長と専務が腕を組み、ウ~ムと唸った。どうしようか・・・ジツハ、40名ほどのその会社全社員に、採用者のことを全開示して受け入れたいとの姿勢である。入る方もすべて裸になって入る、それを丸ごと全員で受け入れる・・事は会社の代表として、刑余者の誤った道を共有し、きつい仕事を通してまっとうな道を歩いてもらうなどの覚悟を決める時間が10分少々必要であった。社長、それでは○○君を採用ということでよろしいですか・・、ウンわかった採ろう・・と。それでは△△君の方は不採用ということで、よろしいか・・、と。すると社長は、ちょっと待ってくれ、△△君の方は次週まで考えさせてほしいと、唸るような声を出した。
 結果、仮釈放前に○○君はA社に採用が決まったことになる。けれど、彼に採用のことを告げてはいない。釈放日に伝えることになる。刑務所を出る日の寸前に伝えるんだろう。ここを出てから、帰住先の引受人である実母のもとへ帰る前に出頭する役所を案内し、またそこからの生きていく道順を教えなければならない。
 今朝の私のしょうもないお喋りを○○君は最前列で聞いてくれておった。
 49年前の今夜、松山空港沖でYS11機が墜落した。その夜伊予市の海岸からまじかに見える空港沖の上空は照明弾が数多く上がり昼間のような光景であったことを鮮明に覚えている。入れ替わり先日のMRJの初飛行も時代が過ぎ去ったことを覚える。

金波銀波

2015-11-12 17:53:52 | Weblog
 私が小学4年生から中学2年生まで入っていた子供会「土曜会」の歴史は旧く、100年以上前にできたと聞いていた。歴史のある子供だけの自主会であった。毎週土曜日に会場のお寺に集まり、内容は「遊ぶ」ことのみ。しかも上下関係を維持しながら上が下の面倒をよく見、下は上に従う関係であった。その土曜会には会歌があり毎回始まる前に歌った。
「キンパギンパノ(金波銀波)の(イヨナダヨ)伊予灘よ 朝日に輝く(ホゾンサン)本尊山 げに美しき 自然の美 いや美しき 自然の美」が1番の歌詞、2番から5番くらいまであったと思うけれど以下は忘れた。その本尊山の上空は秋の雲が広がっている。

 明後日の土曜日に弟の1周忌を計画している。そのためにお墓に花を供えようと今朝帰ったきた妻と一緒に行く。

 奈良の入院中の義母は、今後一人での生活は出来そうにはないが、それでも少しずつよくなっていることで毎日の病院通いを寸時休むことにして、1周忌法要に合わせて、また本人の病院検査のために大阪南港から昨夜のフェリーに乗り帰ることになった。早朝迎えに行く。

 朝の5時頃の国道はトラックが多い。小売店関係に配達するものなんだろうか、連なってトラックが走っている。国道の流れは、8時頃になると通勤の車が締めるようになり、9時も過ぎるとデイサービス利用者さんのお宅を巡回する介護施設の名前を書いた車がよく走っているように、時間ごとに特徴的な車が走る。フェリーから吐き出される車は工業用品を積んだものが多いんだろうか。次々とけん引するために陸から船に牽引車が入っている。物流から見た現代を見るのも面白い。
 妻はすべての乗客が下船した後、二本の杖をつきゆっくりとタラップを歩いておった。

 今日の用事ごとは、松リハ病院は10時予約と16時予約の2回受診すること。その間に伊予市のお墓に行くこと、他にビデオ鑑賞を近所のHさんと約束している。高倉健さんが昨年の11月10日に亡くなって1年が過ぎた。三度「幸せの黄色いハンカチ」のビデオを見ることにしたワケ。ジツハ明日の刑務所講演は、この話を中心に展開していこうと考えたので。

○○障害だと言いながら

2015-11-11 21:02:23 | Weblog
 あらゆる人は、なんであろうと、健康であろうとなかろうと病名とか障害名などをつける世の流れに、少し異常さを感じている。なんだかレッテルを貼りつけることで落ち着くようなことがあっては、いかがなものかと思うが。

 「こころ塾」相談室に入ってきたのは、家族内の問題で心を痛めているご婦人。ご主人さんを発達障害だと決めつけているご婦人である。私や子供の気持ちを理解してくれていない・・と一方的な決めつけによってご主人さんを追い込んでいるかのようだ。ところで奥さんの立場でご主人さんのこと、どれほど理解していると思いですか・・?と尋ねると、沈黙の時間が流れた。
 理解をする、ことは難しいこと。わかったつもり、理解しているつもりでは相互に行き違いが生まれると思うが・・。

 葉っぱが落ちた木の枝に小鳥が飛んできた。この枝に数羽止まっている。しかし写真では見えない。

小鳥の声だけは甲高く耳に入ってくる。楽しそうなピーピーの抑揚をつけて聞こえてくる。