年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

閉じこもる

2015-11-29 00:00:00 | Weblog

 独居老人化している今、最も面倒くさいと思うのに食事がある。奥さんがいれば作ってくれるが、いなくなると自分で調達しなければならず、これがもっともやっかいなことになる。でも数年前までは男が台所に立つ誇り?矜持のようなものが自分にあり、それはそれで楽しかった。つまりあれ食べようこれ食おうなどと頭の中でゆ~らゆ~ら動くのが楽しい時期もあった。・・けれど台所に真っ直ぐに立ち数分もすると左側の腰から足が痺れてくるためにできるだけ立ちたくない。一昨年妻が入院中に何度か夜一人で食堂に行き、といっても○○ご飯やさんのようなお店に夜8時頃一人で入り注文をしテーブルに座って周りを見渡せば、これまた似たような白髪まじりの男老人一人なんとなく座りこんで、窓の外をぼんやり眺め、これまた中高年の叔母さん店員に注文したご飯を待っている姿を見つける時、自分は、このおっさん何のために生きてるのか?の形而上的愚問が突然襲ってきたことがあった。犬でもネコでも夜中ほっつき歩いて適当に腹の中に収めることができるのに、男人間がほっつき歩くこともなくジンワリ沈黙座して食いもんを待つ構図は、いくら何でも悲壮感を通り越して、やっちゃあアカンやろ、その姿は・・などと思うことがあった。猫はみゃみゃ言いながら餌を食う、犬は一声ワンで餌をあさっている。でも独居老人は沈黙したままでミャアともワンとも言わない。まさかお店の中で、私一人がう~まい、マイウ~なぞ大勢の中で吠えるわけにもいかない。だから晩ごはんを一人で外メシはない。
 今のところ、血圧やら糖尿やら前立腺の薬を毎日5錠飲んでおり、なんだか薬を飲むためにご飯を食べてる感じがする。主客転倒である。それはそれで人の一生としての最終コーナーを走っている正しい姿かもしれない。つまり、目的と結果のことを考えると途中のことなぞすっ飛ばして結果のみ評価のみを追い求める、こととなり、われわれが先輩から受け継いできたと思うような侘び寂びの心もよう、途中の経過を愛おしく想うことや楽しむゆとりが入り込む隙がなくなる。

 今朝は5時起き、鷹ノ子♨へ飛び込む。眠れない老人が20人ほどすでに入っておる。外は真っ暗、家の中にいてじっとすることができない男老人の群れである。私もその群の中に入ることになる。今日はPCに一日中座ることになるだろう。今週は2本、90分と60分の講演依頼があるのでパワポで作って明後日ペーパーにして渡す約束をしている。とりあえず、風呂上がりの牛乳を左手を腰に当ててまっすぐ立ち右手でグビビと飲み干すと、ハイ・今朝のご飯終了となる。