年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

3分割

2009-11-22 21:28:58 | Weblog
 自分の自由に使える時間を1として、3分の1を家族のために使い、3分の1を社会貢献のために使い、残り3分の1を自分の再生産のために使うことがベターと考えた時、まず自分の再生産のために何をすることが、理に叶うのかと考えた。一つには学習があり、自己啓発があるだろう。しかしそれだけで良いだろうかと疑問に思う・・・欠かせないものは1人で何かのために祈りというひと時が必要ではないか、私にとって。しかしこれらは全て静的なものであるのに対し、あとの3分の2は動的でもある。社会貢献はより具体的であらねばならないし、家族のために使う時間などは、とても犠牲になることが多いようにも思う・・・などとPCの向こうのガラス窓を雨降る外を眺めながら考えた。
 とりあえず8時半には弟を病院へ連れて行くことにして、迎える時間の午後2時半までは89の母親の話し相手になり、昔話や愚痴や不安に思うものをフンフン言いながら聞き流し、又温泉へ連れて行ってストレスを洗い流したアトはちょうどお迎えの時間となる。弟の家に連れて帰ると、すぐさま毎日来てもらっているマッサージ師に弟を任せストーブの前に横たわると、イツノマニカウトウト。慌てて自宅に帰り、雨の中花を植え替える。次は晩ご飯つくり。今日のメニューはトンカツ。今回はテンプラ鍋ではなく、フライパンに油を乗せ豚肉を小麦粉と溶き卵とパン粉の順にくぐらせフライパンでの揚げ焼風。するとミゴトに真っ黒けになってしまった。ン~ン、そうだメインはトンカツをプレート脇において、ドオ~ンとシャキシャキキャベツを盛り上げてマヨネーズドバッが中心にしよう・・・などと失敗からの逆転を試みる。食卓に向かった子供は、ナンジャイこれは・・・などと驚嘆の声を上げるも、私は、静かに、いんや、これは胃を洗浄するためにわざと黒焦げにしておる・・・まどと誠らしく説明することになる、それでも黒い色した大トンカツと山盛りの千切りキャベツは、大皿の上で美しくなくなっていた。
 8時サッポロと埼玉へ電話。サッポロは今日も仕事中、埼玉はご飯中であった。同時刻、妻は仕事中、4男は勉強中、3男はTV日本キューバのグラチャン観戦中、私は散歩中。ア~ア結局理想の3分の1しか出来なかった。

土曜日です誰ステです

2009-11-21 00:00:00 | Weblog
 塾長から理事会開始時間変更の連絡あり。午後1時から午後3時半に変更したいとのこと。とりあえず10時半から毎土ひらいている「誰でもホットステーション」へ。いつものクセで10時半とはいえ、間に合ったことがない。いつも20分くらいは遅れて参加しているけれど、今日は40分ほど遅れて行った。今日の出席者は、何人来てるの?初参加の人は?と出迎えてくれた職場体験としてこころ塾で雇用・能力開発機構の職業訓練中のIさんに聞くと、12人おり、内3人が初参加の人です、と答えた。ワイワイ話し合っているのかと思いきや、今日は皆さん静かに、ウツから回復し職場復帰されたガンダム君の復帰に至るまでの自分のやり方を発表していた。昨年のガンダム君の表情は、硬い感じがしていたけれど近頃は笑顔の時間が多いことが特長。しかし、誰ステ参加の今日の人たちは、ウツ、摂食障害、不安神経症、引きこもりの人が多かった。で、タイプがそれぞれ異なっているために、塾長と私の二つのグループに分けての話し合いをすることになる。塾長のグループは、空港エプロンでエンジンを切って止まっているタイプ、私のグループはエンジンキーを入れようかどうしようかと考えているタイプから、既に滑走路に出ていつでも離陸OKと管制塔からの指示を待っているような、いわばスクランブル状態の人までを二人で役割分担をする。
 誰ステの参加者は、投薬治療を受けている人がほとんどだから、日常の波があるにせよ、日増しに表情に変化が現われたり、笑い顔が増えたり、目に力が増してきているように感じることが、自分にとってうれしい。
 3時半から理事会あり。4人で報告や直近の計画などの説明あり。とうとう・・・やっと・・・10月で月次決算ベースで黒字が出た。スゲ~ことよ。
 なぜ開始時間が3時半になったのかを聞けば、午後愛ワーク主催の講演会があり、理事の1人が聞きに行っていたとのこと。しかも講師の村上さんのお話がすごく良かったと話していた。

ハナキン

2009-11-20 00:00:00 | Weblog
 毎週向こうから飛んでくるような錯覚を受ける。その代表は金曜日である。今日も突然にやってきた。うすら寒い日中、求職者も少ない。ここぞとばかり各職員は思い出したように、書類の整理をしたり、チェックを入れたり、なにやら書きこんだりしていられる。私もそれらに見習ってやろうとするも、あまりにもやらねばならないことが多すぎることがわかった。分かった時点で、それではボツボツやりゃいいなぁ、などと方向転換することにする。とりあえず喉も渇いたことだし、などと休憩室へ雲隠れ。すると、ご丁寧に、ご指名でのお客さんですよ、などと受付の人が呼びに来る。そのようなことが本日3回あった。午後になるといちだんと待つ人が0になることが多い。とりあえず、所内の情報収集に行くことになる。まずは2階へ行って、求人係へ、近頃の求人を出す事業主の変化を聞く、旧知のYさんが個人情報に気を配りながらヘラヘラと話してくれる。次に3階へあがると、なにやらしかめっ面してモニター画面に向かう人、判ばかりついている人、年調に一枚一枚目を通している人、書類受付に黙々と励んでいる人おり。これではおしゃべりする相手にはなりそうもない・・・などと思いながらメタボ君の肩横に付いている脂肪部分をボールペン先で突っつくと、アァ~びっくりした、目が覚めた・・・などのリアクションもあったり。今度は交流分析のN先生机横に椅子を持ち込んで学習会。Nさんのデスクは端っこにあり全体の死角になっているので目立つことがない配置になっておる。そこでの情報収集は、ごくごく個人的なもの。どうして今のご主人と一緒になったのか、などの自己開示部分を、無謀にご主人の立場から戦略的分析を試みる。途中大笑いしたりすると、向こうの方の職員からジロッとにらみつけられることもあり・・・このようなことを北洋船団で長期にわたって漁を営む船員が、機関室や甲板室、船長室など他の部屋を訪ねて馬鹿話することを肩振りと呼ぶらしい。他の部署に行って油を売り、情報収集することが、ながきにわたる狭い所での生活には必要だと、昔本で読んだ記憶がある。まぁ、つまりたまにはゆっくりしようか、ということかもしれない。

むのたけじ「たいまつ」より

2009-11-19 22:19:51 | Weblog
いきる章・79
 1人の人間が生涯にやれることは、一つのことです。いろいろのことを器用にやってのけているように見える人でも、一つのことをさまざまな形でやっているのです。一つのことすらやりおおせないで朽ちてゆく私たちが、あまりに多いではありませんか。才能とか素質とかいわれるものの大小、高低にすこしばかりのちがいはあろうと、どんな人にだってその人でなければやれない仕事、その人にこそふさわしい仕事が、この地上に一つは必ず残されています。それに気づくことが出発です。その発見は、鮮明な表現を取るより、「なんとなくそうしたい」とか「ひそかにねがう」とか、ごくつつましい形であらわれることが多いようです。ですから道は決まっています。なんとしてもやりたいと自分でおもうこと、どうしても自分がやらねばならないとおもうこと、それを万難とたたかってもやりなさい。それがあなたの仕事です。。。。
 寒い、朝、家を出かける時に東の石鎚を見れば白くなっていた。霧氷がついたのだろう。日中も気温が上がらなかった。知人に、サムイなとメールを打つと、何言ってんのよ、あったかい事務所にいるクセに、と返信あり。夜、あまりにも寒いので、息子に温泉行こうと誘った。久米の湯へ。1時間足らずでの湯上りは、ポッカポカ。10時東の空を見ると、オリオン座があがっていた。

今日は寒く暖かい日です

2009-11-18 21:49:15 | Weblog
 求職者がまばらになってきた時間帯、ちょっと外に出かけることにした。就労場所確保のための事業所訪問である。先月、矯正施設から出てくる刑余者を受け入れる企業側の協議会が立ち上がった。その理事者の一人に建設業界の人がいられて、その事業主のG社長に会いに行くためである。G社に行く前にS大の前を通った。そうだ、Sさんにお会いしようと思い、S大に立ち寄ることにした。ちょうどSさんは、学生就職支援の部屋に居られて、お久し振りのご挨拶。ついでにお仕事のお邪魔をしてしまった。お話をお伺いしていると、Sさんは来年の3月で定年になられるんだとお聞きした。雇用継続はどうなんですか、とお聞きすると、ワカラナイと返ってきた。しかし、私とってさすがだなぁと思ったことがある。部屋の雰囲気は、その部屋の責任者が決定することはあたりまえ。私がお邪魔をした瞬間、Sさんの下で働いていられる人の動作を見ていると、柔らかく迎えていただくしぐさを見つけた。このような接遇なぞ、やっぱりSさんの影響だろうと感じた次第。そして次にお伺いしたG社の奥様にお会いしても、こころよく社長に通して頂くことが出来た。その奥さんのご主人のお話も温かいものであった。私の要求は、罪を犯した少年を更生指導のために就労のチャンスを与えて欲しい、自立に向けて雇って欲しい、というお願いである。G社長は言った。それでは、面接をしましょう。少年が働きたいと言えば雇うのに吝かではありません、と。そして重ねて、矯正施設から出て、家の中に居場所がなくとも、社会から指を指されて端っこに追いやられようとも、いつも居場所は作っている人がいることだけは、少年に伝えて欲しいと。冷たい人だけではないことを少年に言って欲しいと言われた。社長室であれ、就職支援室であれやっぱり人がいろいろな物事を決定するのであって、室が決定するものではない。外は良い天気、しかし気温は下がっている。寒い日であるけれど、なんだか暖かく感じたひと時。

冷たい雨が降る

2009-11-17 20:51:01 | Weblog
 寒さが増した。といってもまだまだ本格的な寒さではない。しかし自分は、血流が悪いのか、たぶん血の巡りのせいで、手と足が冷たい。布団の中にはすでにコタツを入れておる。昼ご飯を広げながら、同僚にそのような話をしたところ、彼は、いや、電気炬燵よりもやっぱり湯たんぽの方が気持ちが良い、かといって電気毛布を使うには早すぎる…などと喋っておった。
 このような小雨冷たく降る昼間は、求職者も一段と少ない。まばらに来られるので、相談員も溜まっている自分の仕事をしながらの応対になり、切羽詰った空気はないようだ。しかし・・・とうとう出た・・・同僚の中から新型インフルエンザ患者が出て今日から休んでいる人が1人。ご家族には誰もインフルエンザにかかってないそうだ。問題は職場において新型インフルエンザにかかったものと思われる。その人はいつもマスクをしていられたにもかかわらずかかったしまったところをみると、案外マスクなぞ対策にはならないのだろうか。
 1階のフロアに30人足らずの職員がおり、仕事上それぞれ動き回っているので、いつも接触しているような空間である。とすると私もかかるかもしれない、そう思うと午後気温も下がり、私の身体もなんだかゾクゾクしてきた。こりゃやばい・・・即早退しようとエスケイプを考えた。周りの人に、ちょっと悪寒がするよ、と話すと、帰るほうが良いよ、と返ってきた。今のところ、何もない。ただ寒いだけ。

今日は落語です

2009-11-16 22:45:26 | Weblog
 鬱と笑いは両極端に位置する。鬱には笑うゆとりがないように思える。また、笑いの時間を多く持つ人にとっては、鬱病になりにくいのかもしれない。というわけで、是非に聞きたかった落語を聞いた。桂春蝶襲名披露・桂春団治50周年記念落語会である。私は、実は楽しみにしていたことの一番は、話の面白さは言うに及ばず、むしろ、間の取り方と話の展開の仕方と身体全体を使った表現の仕方をみることであった。やっぱりプロは違うワ。春風亭子朝の話の盛り上げ方、言葉の強弱のつけ方、テンポ早く話をまわすそのスピード性、襲名披露した春蝶は若いだけあって、うまく現在の話題を間に入れながら山之内一豊の話を面白く演じたりするに至っては少し軽めの面白さが伝わってきた。しかし、やっぱり春団治はモノが違う、80歳に手が届こうとしているのに、ゆっくり話すなかに大きな動きがあり、間合いを取る絶妙な展開に話の凄みを見せてくれた。大変愉快な2時間30分であった。
 ハローワークに可愛い女性がやって来た。統失の彼女は、仕事をしようと時時相談に来ては、面接に行っている。今春までは働いていたけれど、体調が思わしくなくて退社した。今、雇用保険を受給しながら、次の職場を求めている。30歳前の彼女は一生懸命に自立に向けて投薬治療を受けながら頑張っている。その様子を見ながら、いつまでも頑張ってよ、と祈らざるをえない。

ヤマグチさんちのみかん園

2009-11-15 20:08:49 | Weblog
 先日私達のECC研究会のメンバーで一昨年にもお邪魔をしたヤマグチさんところへみかん狩りに行く計画を立てた。ところが皆さんお忙しそうで日程が取れなくなり、せっかくの計画が流れてしまった。佐田岬半島で潮風を受けて育ったヤマグチさんちのみかんは、酸味と甘味のバランスが程よく乗って、味に深みがある。それでいた堪れず、今日私と妻の二人で行くことにした。朝の8時にヤマグチさんに連絡する。すると今、都庁の前を歩いている、と言った。アレ~ヤマグチさんは所用で東京にいるらしい。どうしようか、実は今から嫁さんと二人でヤマグチさんちのみかん狩りに行こうと思ってるんですよ、と言うと、ヤマグチさんはどうぞどうぞ思い切ってたくさん取ってください、小屋には道具もありますから・・・と言ってくれた。そして、楽しいデートをしてください、と重ねて言ってくれた。
 風がきつい、岬半島の頂上ラインを車で走り右に瀬戸内海を左に宇和海を眺めてみても、いずれも白波が立っている。また風力発電の風車も勢いよくその羽をグィ~ングィ~ンと音を立てながら回っていた。その近くで妻と二人でせっせとみかんを摘む。周りの園地を見れば、すでにみかんを取り終わっている所が多い。けれど、ヤマグチさんちだけは、たくさん生っていた。ヤマグチさんは、みかん山所有者にもかかわらず、みかん所得に頼ることなく、友人知人に楽しんでもらうために毎年暑い真夏に下草刈をし、肥料を施し、園内を整地していられる。もちろんみかんを見れば無農薬に近いと思う。自分は、このヤマグチさんとお話をしていて思うことは、いつも朗らかに笑みを絶やさず、人に対して常に差し出すような生き方を、手本にしたいと思っている。
 妻と二人で車の中でお弁当を食べて、帰途に着いた。外は未だに風がきつく吹いていた。

矯正展

2009-11-14 21:12:13 | Weblog
 年に一度開かれる刑務所の矯正展に行って来た。日頃私とつながりのある更生保護会の方が講演されるというので聞きに行った。講師はNさん、元四国少年院にいられた方である。猟奇的な殺人事件が増えたこと、しかし凶悪な事件は昭和26年あたりの方が多かったこと、全国の矯正施設は満員であること、仮釈放者が多いものの自立支援のための就労支援が難しいこと、職の見つからない仮釈放者の再犯率が高いことなどの話をお聞きした。そして最後に、Nさんの個人的な意見として、成人年齢を18歳に引き下げることの危険性を話していられた。長男が10年も前に住んでいて、近くにあった横浜の港南区にある横浜刑務所の矯正展にも当時見に行ったことがあった。いずれの刑務所も、高い塀の内側と外側の世界の際立った違いを思いしらされるような感じを受ける。目測にして数メートルであるにしても、こころの距離や実生活との距離がはるかかなたに思われた。
 しかし今日も刑務所の敷地の中では、数人の知人に会った。バザーの前で会い、講堂で会い、店屋で会い、皆さん、アレ~コンニチワ~の挨拶ばかり。太陽が雲の間から顔を出した時間は、暖かい、しかし雲に隠れてしまうと急に気温が下がった日であった。

再びの

2009-11-13 00:00:00 | Weblog
 どうにも止まらないでいる。藤沢周平の世界からどうも抜けきるることができないでいる。今までにぼんやりした時間の毎日が多いとき、自分の散漫になった集中力を焦点化するために適当な本をみつくろってガァ~っと一気に読んで行く方法で今まで凌いできた。そうすると自分の平常さが戻ってくるように感じられると同時に、それらの本から何時の間にか離れていったのが今までの経験である。ところが、藤沢文学だけは、藤沢周平の世界から未だに足を抜けることが出来ないでいる。なぜだろうかと考えた。多くの読者、ファンからは、目線が庶民に置いているからいいのだとか、また市井の隅っこに光を中てているから良いのだとか言われている.確かにそうだけれど私が読んでいてゾクゾクする部分は、藤沢周平の持つ、正義に対する見方、男女の愛情とはいかなるものか、また生き切ることについて、仏教本にある「色即是空」の「色」について多様な表現をしていることが、自分にとって、学ぶというより自分にとって確認されると感じるからだろうと思う。ブックオフで古びた文庫本を漁っておる。
 社会の片隅にいる人たちの就労支援をしている。何とか良い智恵がないだろうかと、午前中に商工会議所の専務理事を尋ねた。専務理事のK君は同級生につき、遠慮なく早速広い部屋のソファに座り込んで、何か、いい智恵ないか、と聞いた。呼び名のチカエさんは、言った。アホ~・オマエ・ワシにそんなアタマがないことくらいわかっとるやろ。苦労中のチカエさんは、人なつっこい大きな顔して何も頭に浮かんでこない様子であった。今、障害者を含め就労に苦戦している方達の多くが、社会の中の「色」から弾かれているように映る。人と人とが繋がっているのが市民生活だと教えられているけれど、弱者や異端者は、なかなか市民の輪の中に入れてもらうことが難しいし、そしてそのような人たちを育てようとする魂があるものの表に現われることが少ないように思う。弱肉強食とは言い表す適当な表現言葉と思うが・・・強者の中にいてニコニコと手を繋がられる弱者が同じようにニコニコとできる社会が出来ないものだろうか。