年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

来客あり

2015-12-23 00:00:00 | Weblog
 10年前に厚労省と経産省の横断的な予算で全国の中で数県に創設されたのがジョブカフェである。当地は全国数カ所の内の一つである。若年者の就労支援を行うためである。この地は若年者の離職率が全国の中でも高い特徴を持っている。(今も資料によると変わりばえがしないようだが。)
 当県では一度「ジョブカフェ」の名前に代えて南予の高校生が名付け親となった「愛ワーク」のみの呼称としていたが、本省からクレームがあり現在のような「ジョブカフェ愛ワーク」と呼ばれるようになった。設立当時に縁を頂いて私も相談ブースを頂いた。若年者にターゲットを絞ったジツハ初めての大がかりな「ハタラク」相談コーナーであることで各方面から期待されていた。今も同じであるが。

 当時のこと、大手企業の工場が県南にありそこが閉鎖され、若い人が職を失った。そこから2時間以上かけて1週間に1度私のところに就職相談に来ていた若い人がいた。Kさんという。働かない父親、糖尿病で入退院を繰り返す母親、うつ病で休職しがちな弟、アルバイトで生計を立てる兄がいる家族の中で心根の優しいKさんは必死に南予の地で何を仕事とするのか・・家族の面倒をどのように見ようかなどと苦労をしていた。その後、ある会社で非正規社員としての就労を数年間していたが、ある時正社員になる条件を付けられて会社側から転勤を言われた。K青年は、親を見捨てるようにして転勤に従うか、どうかと悩んだ。でもよくよく相談回数を増やすと、本当のところは都会に出ることの不安が最も大きいことが分かった。K青年はPCのハード、ソフトが詳しい。それは前社での実務経験が豊富であったからである。非正規社員として就労していても会社側からは正規社員よりも能力面で高い質の仕事を要求されていた県外出張も多かった。つまり彼なしではPC関係の仕事については回らない情況になった。会社のトップが突き付けた条件は、マンション家賃はすべて会社が持つこと、給料は2倍に引き上げることなどで遠い県南から引っ越してきて欲しいことであったが家族思いの彼は悩んだ。当時は、夜遅くまで相談時間が伸びると家に帰る時間も遅くなり再三私の家に泊まるなどしての相談であった。それは相談者と一線を引くことができなかった私の性格であっただろうか。しかし、

 10年という時間は志を高く持つことで人を確実に変えた。
 自宅を手に入れた。妻を娶った。子供ができた。つまり苦悩の淵から脱出して家族を作るための準備期間が10年必要であったことになる。新たに私に今日相談を持ちかけてきたことの一つに東京本社の転勤のことであった。
 最後の忘年会は医療生協の食事会・猪鍋会である。

 前回は男料理としてソバ打ち会であったが私は不覚にも欠席せざるを得なかった。しかし今回はぜひとも猪を食べようと。

今日の出席者25人分を並べ
 
アレレ春菊を早く入れ過ぎたネ~などと言い合いながら
 
結構猪も柔らくてうまいナァ・・・。

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