年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

喜び勇み、そして不安を胸に

2016-05-31 00:00:00 | Weblog

 今日隣のジュン君が出発して行った。行先は千葉方面である。都心に近い所?で暮らすことになった。黒色のギターケースを抱えて見送りの車に放り込み24年間住み慣れた、両親や兄たち、祖父に祖母と暮らした自宅から出て行った。モヒカン刈りの頭を後部座席の下げたガラス窓から突出し、左手をあげて出発の合図とした。

 若者の旅立ちである。夢を追いかける出発の日である。ジュン君は私ところの4番目の子供の同級生。小学校から中学校まで一緒だった。丁度今から18年前の5月は小学校に入学したばかりで新しいランドセルで背中が隠れるほどに背負い歩いて10分の小学校に通学していたが、ぜんそくを患ったりして強く丈夫な子供ではなかった。ある日、遅刻しそうになるジュン君が弱々しそうに家の前を通り通学するのに慌てて私の自転車の後ろに乗せ校門まで行ったことがある。でも、ジュン君は性格の明るい子であったからいつしか弱々しかったものから雄々しい青年に成長した。

 ギターの音量を上げ昼間から大声で歌っていたことが続く年が続いた。♪ジャンジャンジャ~ン・・ジャ~ンジャジャジャジャジャジャンジャンジャ~ン♪とヘタクソなメロディが私の寝室まで聞こえていたのが8~9年前になるだろうか・・。

 それがいつしかギターの音色が途切れることなく、ひとつの曲に聞こえるようになったかと思うと、東京まで出かけて大会に参加出来るほどになった。ジュン君のバンドのグループはロック。私には音楽のことはわからない。ワカラナイが一つだけ私がわかることは、若いジュン君たちは、“今”から飛躍しようとしていること。温い今の生活から脱皮しようとしていることが理解できる。

 若い人たちの成長を大人の人たちは“寂しい”を理由に傍に置いておく罪を持つ必要がある。寂しさを紛らわすために遠く離れた場所にいていつも想像をする必要がある。船が大海原を航海するのに母港があるように。

 中学校の総体が始まったようだ。グランドでサッカーの試合をしていた。木陰では保護者がたくさん座り込み応援していられた。我が家の4番目の子も11年ほど前に経験した。月日は流れた。子らは先行きの夢を追いかけ、そして親たちはその残像を留めることとなるんだろう。更にその親はどちらに向かって行ってるんだろう。

 私の方・・・仮釈放者のことで行き詰まっておる。協力雇用事業主さんが再三本人面接をした後、社内の合意を取るのに手間取っている様子である。私は確かに全社員の合意に基づいて採用することに賛成である。でも、一般の求職者が全社員の合意の上に立って採用をするなど聞いたことはない。刑余者の人権とは何か?が深く問われている。でも私は腰を低くして採用のお願いをするだけであるが・・。