年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

子らの遠足

2016-05-14 00:00:00 | Weblog
 いつもの公園のベンチdeランチ。駐車場には一杯の車が停まっていた。今日は何かイベントがあるのか?と思っていると、遠く丘の上の遊具場から幼児のキャッキャッという声が聞こえてくる。どこか保育園か幼稚園の遠足のようで保護者の車のようだ。

 ベンチに座り遠く子供たちが遊ぶ光景を見やりながら・・ふと思う。「生きてきた過去」に重心を移している年齢層の自分たちのことを思えば、「生きられる未来」に向かう家族の楽しさのこと。
 ベンチの前を通り過ぎる若いお父さんとお母さんの真ん中で歩いている幼児の甲高い楽しそうな話し声・・。見やりながら「ネ・・聞いて聞いて・・」と話しかける人とその話をニコニコしながら聞く人の関係性を成立させているものは信頼と愛情に違いないと。

 信頼と愛情とをすっぽり受け入れてくれてることを前提にした会話は聞く方もなんだか楽しくなる。
 ところが、カウンセリングなどの現場においては、「ネ・・キイテキイテ・・」の関係性から言えば、信頼も愛情もない無機質的な関係性から有機的な関係性、愛情や幼児の甘えのこととは異なる関係性を作り上げることが要求されるんだろう。幼児対親であれば許される許容範囲が広くて深いに対して相談業務ともなると「信頼」の前に「構える」ことがある。

 遠足に来ている子供たち、その子らを育む親とは対極の(子供を傷つける親)、(子どもの魂を奪う親)もいる。それぞれの立場にいる人にある日「こころ塾」相談室で接したり、また刑務所内相談室で接したりすると、人と人とが関わることの緩やかであたたかい未来が想像できる処方箋に何か良いものはないか・・などといつも壁に突き当たる。
TVのスポーツニュースでは錦織選手がテニスコートで相手選手と打ち合っている。ネット際やラインぎりぎりのボールを打ち込んで相手選手の棒立ちになった顔の表情や身体の仕種が大きく映りだされる。錦織選手のような選手ともなれば、このような身体や眼の表情を見たうえで次のプレーを考えてどうしようか、どこに打ち込もうか考えるに違いない。

 相談を受ける、またカウンセリングをするなどのことで云えば、ことほど言葉というボールを相手に打ち込んで、しかも返ってくる言葉というボールを拾い集めなければならない。こちらが良いプレーをする以上に相手に良いプレーをしてもらわなければならなくなる。

 タブレットでのLineやり取り。小学1年生になった孫や保育園幼稚園に行ってる孫たちは、春の遠足行事はあったのだろうかと、すると来週だとか。