年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

読み始め

2016-01-07 00:00:00 | Weblog

 「わたし」自身のことを話す時、あるいは「あなた」自身の話を聴く時、は、すべてが今までの過去の話である。あるいは過去に基づく話である。過去の経験や成育過程の出来事を中心に言葉で表現されるものが「わたし」であり「あなた」である。それらの言葉が「わたし」となり「あなた」となる。それらの言葉を選り分けながら好感を持ったり嫌悪感をいだいたりする。例えば10代や20代の青春真っただ中にもう一度戻りたいたいと考えるひとと「わたし」は同居しえない。そして青春時代の甘く苦い悲しみを所有しえない「あなた」とも同居することがない。
 そのような過去の話と今の話として同じことを考えている中に“死”がある。「わたし」が死を考えたのは小学生の3年生頃だったと思う。真っ暗な世界にいてそれを思うと、自分が無くなる恐怖があった。暗い場所=自分が消える場所であり、田舎道の街燈がない農道など一人で歩くことができなかった。闇に自分の肉体を持っていかれそうであった。
 例えば夏休み中に弟や友だちと朝から夕方まで海に行き泳いでいるとき、石拾いの遊びがあった。目立つ色をした小石を適当に海もに投げ、潜ってその小石を見つけ拾ってくる遊びである。2~3メートル下に小石を見つけて拾い上げまた水面に上がる時に見た真横に見える水中の真っ暗な世界に吸い込まれる感覚はいつも怖かった。
 ふっと浮かんでくる“死”の恐怖からできるだけ遠ざかりたいし考えたくもなかった。これが「わたし」の出発点である。
 そして高学年となり、中学生となった時いつも一緒に遊んでいた友達が事故死をした。6月の田植えが終わりカエルの泣き声が激しかった。昨日まで一緒に遊んでいた友達の顔にかけられた白布をはぎ取り、真正面から友達の顔を見つめる勇気がなかった。別世界の友達が自分の中になかった。早く通夜の場所から遠ざかりたかった。涙が出たかどうか忘れた。
 それから多くの知人や友人の死にあった。すべて仏前による葬儀であり納棺され仏となった顔にお別れの合掌をした。ありがとうございました、と最後のお礼を伝えるだけであった。父も同じであり一昨年は弟にも同じく感謝をした。
 でも段々とあれほどまでに漆黒にあった世界の恐怖感が薄れてきたように感じる。と、同時に自分自身の希望などが具体的に思い浮かぶことが無くなってきた。投槍的でもないが自分をさらに高みに持ち上げるべく望みなど考えるスペースが無くなってきた。その代りに「わたし」の周囲が平和で豊かな環境であって欲しいなどと強く思うようになった。
 今日の刑余者相談日と妻のリハビリ病院予約が重なってしまった。だからリハ病院に2時間も早めに送り届けたあと職場に向かった。少し待ってもらえば迎えに行く約束をしていたが、今日連行されてきた受刑者の釈放前に就職を決めようとあちこちと面接準備をするのに手間取った。つまり釈放日の翌日には就職が決まり就労が始まるようにしようと。理由は簡単である。再犯の恐れが高く感じられたから。実父実母や親類関係から身受けを拒否されている33歳の人。所持金が1万円もない。出所しても娑婆で住む所がない満期釈放者。この刑余者が私の前で更生をしたいと、二度とここに戻るのは嫌だと話したことを成就するための環境整備が本日の私に与えられたミッションとなった。予定より2時間も遅くなって塀から出た。
 で、何度も早く迎えに来て欲しいメール着信履歴が残る。我慢しきれず1時間ほど歩いて本屋さんに行く、そこまで迎えに来て欲しいと4度目の着信があった。今から至急向かうと発信してから立ち読みをしている奥さんをピックアップ。そのついでに の本を。購入したのは最初のところが北野武の「死」についてであったから。北野武は妻と同じような交通事故を経験している。そして妻と同じ言葉を言っている。あのとき死んでしまえばよかった・・などと。
 生きる意味を考えざるを得ないではないか。