YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

「20世紀は電気の時代」?????

2011-01-31 00:15:47 | 化石燃料、エネルギー関連
定期購読している週刊エコノミストの冒頭に、「経営者」編集長インタビューがある。今週は、三菱ケミカルホールディング社長の小林喜光氏であった。インタビュー自体は、普通に面白かったのだが、インタビュアーの一言として、『「20世紀は電気の時代」は、誰もが納得だろう。」21世紀は何か。ある人に言わせれば「光の世紀」となる。この方(小林喜光氏)「化学の世紀」と。』ある。

編集長インタビューなので、インタビュアーは内野雅一という事になると思うが、プロフィールはイマイチはっきりしないが、評論家としてテレビなどにも結構出演している様だ。(毎日新聞の記者だった?)

問題は、「20世紀は電気の時代」は、誰もが納得だろう。」という出だしだ。石油という物質に対して、化学という概念なので、まずアウト。電気、光というのは、微妙である。(石油も精製、合成など化学の一部ではあるが)科学的な考察が前提にあるのかもしれない。だとすれば、説明不足だし、表現が甘過ぎる。提灯記事の王道で、『この方(小林喜光氏)「化学の世紀」と。』定義する相手に迎合するために、無理矢理持ってきたのかもしれないが、この程度の見識で編集長をしているのであれば、週刊エコノミストの内容も、これまで以上に気をつけて読まなければならないだろう。

隔週で掲載される、冷泉彰彦の「論調米国」については、過去にも疑問を呈しているし、(本人に対しても、これとかあれとか)、その他、アメリカ絡みの記事には納得出来ないものが多くなった気する。映画評論「シネマ館」で副島隆彦の名前をみた時もビックリした。

では、20世紀は、どう定義出来るのだろうか。私は絶対に
「石油の世紀」
しかないと思う。

20世紀を理解するための(個人的ではあるが)推薦図書として、その名もズバリ「石油の世紀」(日本語訳を読んだ後、原書の "The Prize" も購入したものの積んだまま)がある。この本の影響をもろに受けている事は否定出来ないが、「20世紀を電気の時代」と括る事は、余りにも乱暴であろう。

石油のエネルギー源としての地位は相対的に低下するだろうけど、プラスチック等の化成品等の原料として、そして忘れてはならないのは、飛行機、船、自動車などの燃料として、末永く利用されるであろう。電気自動車だって実用性は怪しいのに、実用レベルで空を電気で飛ぶのは、不可能そうだ。

石油というのは、産業史をみても、政治史、戦争史を見ても、20世紀の主役であろう。エジソンの電球発明でランプ燃料としての需要が危ぶまれた時に、フォードが自動車の大量生産を始めた。スターリンはバクー油田の労働争議で頭角を現し、戦艦の燃料が石炭から石油に転換されることでイギリスがドイツに優位になり、日本はアメリカからの輸入を断たれた事で真珠湾攻撃となった。ラクダに乗って暮らしている人々の土地に豊富な埋蔵量があり、イスラム教を信じていたりするから、これ又ややこしくなるのである。

「20世紀を電気の時代」と強弁してもその3分の2は火力であり、炭化水素として括れば、電気のエネルギー源としての重要性は、21世紀になっても高まるばかりである。余りにも表層的過ぎる。19世紀半ばからの現代までの日本の歴史、江戸時代後半の漂流民から始まる日米関係さえも、石油抜きには考えられない。

「20世紀は電気の時代」は、誰もが納得だろう。」にここまで文句を言う事も無いのかもしれないが、いろんな意味で編集長のインテリジェンスを疑いたくなる様な一言であった。不用意な一言では済まされないと思う。