YS Journal アメリカからの雑感

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日本育英会奨学金

2011-01-15 05:24:42 | 非常に個人的な昔話
一浪した挙げ句、東京の私立大学へ入学したので、殊勝にも奨学金を貰う事を思い付いた。日本育英会は丁寧な団体で、奨学の説明会を田舎の高校にまで出向いて、進学予定の3年生に説明や受付をしており、優秀な高校の同級生は受験前に既に手続きを完了し、入学と同時に支給が始まる段取りになっていた。

大学入学後の枠も用意されており、大学でも説明会と受付があった。その場合、5月頃に申請して10月頃に無事合格(?)し、4月に溯って支給があったので、秋口に思い掛けない大金を手に入れたという記憶がある。計画的な同級生などは、それを元手に道具を一式揃えスキー旅行に行ったりしていた。

支給されるかどうかの大きな要因は親の収入なので、サラリーマンの子弟の場合は源泉徴収票(?)、うちの様な農家(とか自営業)は収入証明書(税務署が発行してくれる?)の提出が必要なので、早速、親に頼んで送ってもらった。

支給される事が決まったのは、成績優秀であった事が最大の要因であると固く信じているが、親の収入レベルが大きな効果をもたらしてたのは間違いない。私が大学入学した前年の我家の収入は百万円であった。収入証明を見た瞬間、世の中の事をさっぱり知らなかった私でも、大笑いしてしまった。

この百万という金額は、一町二反の水田を持った米作農家が米を販売して得た収入だけである。当時、一俵の生産者価格が2万円程度で、ちょうど50俵分だ。小さい頃、何かの会合(今思えば、納税)から帰ってきた父が、母に「来年からキチンと申告しないと、調べますよ」と税務署の人に言われたと笑いながら話していた事を思い出したりした。幸いその後も調べられなかったようだ。

当時は、生産者米価と消費者米価が逆ざやで、米作農家が自分で消費する分までを売って、米を買って食べる事は脱税行為だと言われたりしていた。

以前にも書いたが、父は器用な人で、小さな土木工事を請け負ったり、自動車教習所の先生をしたり、タクシーの運転手をしたり、工場への従業員送迎バスの運転手をしたりして、農作業の合間にそれなりの現金収入があったはずだ。当時どのように税金が徴収されていたのか分からないが、ザルと言えば、ザルの不名誉になる位いい加減であったのだろう。

御陰様で、一般では無く特別奨学生扱いとなり、支給月額も3万9千円、そのうち1万2千円分は返却免除であった。(一般奨学生は支給月額2万7千円)計画的でスキーに言った同級生は、私なんかよりずっと真面目で成績優秀なサラリーマンの息子であったので、親の収入がそれなりにあり一般奨学生にしかなれず、悪態をつかれたものだった。

当時は、日本育英会奨学金は無利子であり、その後16年、途中 MBA に行っている4年(働きながらで収入はあったのだが)は支払い猶予をしてもらったりして、数年前に返済が終了した。

アメリカで、この奨学金の話になった時、私は当然のように "Scholarship" という言葉を使ったのだが、アメリカ人の友人に、返済義務があるなら無利子であろうと「学生ローン (Student loan)」だと笑われた。

今では有利子になっているらしいので、日本育英会奨学金は本格的な学生ローンな訳だが、利子の有る無しにかかわらず返済義務があるのに奨学金というのは、天才的に微妙なネーミングだ。でも、日本育英会奨学生で、奨学金の事を英語で "Scholarship" と説明した事の有る人は、私のように笑われるか、思いっきり相手を混乱させてきていると思う。