YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

社会の窓

2011-01-09 03:12:39 | 新聞、雑誌から
昨日、今日の WSJ を読みながら、自分の情報源が Rupert Murdoch 率いる NEWS CORP に偏り過ぎているのではないかとふと思い、考えてみた。(定期購読雑誌はこちら、スポイラが脱落し、Foreign Affairs を追加)

自由とか中立とかを掲げて、バランスの取れた報道をという人々がいるが、全くもってナンセンスであろう。中立ではなく、ハッキリした根拠に基づいた報道が自由に出来るという環境が理想であろう。誰かを経由する以上はバイアスが掛かるのは仕方ない事と覚悟すべきである。

興味の有る経済や政治の事は部外者なので、情報はマスコミ頼りだ。どの媒体から、情報やオピニオンを入手するかという事が大事になると思うのだが、ここで自分の好みが入るのは、人の性であろう。

せっせと WSJ を読み、テレビニュースでは Fox News を観るのは、そもそも自分の好みにあっているのが最大の理由なのであるが、反対意見の粉砕の仕方がキチンとしている所に安心感があるからだ。自分の中で中立、公正の意識があるので、所謂リベラル系の記事やテレビニュースも観るのだが、独善的な報道やオピニオンにはついて行けない。

昔は、年をとったら自然と人の営み(人権とか言う薄っぺらいものでは無く)をそれなりに理解して、リベラルを卒業していくものであったが、最近は生涯リベラルという阿呆が一杯生きている。

という事で、私の社会の窓は、バランスの取れた NEWS CORP 系が圧倒的に多いということになる。

で、WSJ に戻り、1月6日の社説 (Review and Outlook) で日本の事が書いてある "The Italy of Asia" を興味深く読みました、という事になるのである。

福祉政策が行き過ぎた日本行政への批判をアメリカの教訓にしろというシリアスな内容とは裏腹に、The Italy of Asia と称される事の名誉というか不名誉を慶ばしく思うのは、私だけでしょうか?

もう10年以上も国債のデフォルトが言われているし、普通に考え得も限界を超えているのに、未だに頑張る日本は、底力のある不思議な国だ。まあ、国債がデフォルトしても、人々は何とか暮らして行くのであろうけど、ミクロ的には不必要ないろんな悲劇が起こるのであろう。AKB48 なんてやっている可愛い女の子達がお金持ちのアラブ人や中国人に(合法的な国際結婚の皮を被って)買われたりする日が来るのではなかろうか?

最小不幸社会なんて、寝ぼけた人が首相の国であるから、仕方ないのであろう。それにしても、不幸に最小なんてあるのだろうか?あるとすれば、それは死であろう。これじゃあ、自殺する人が楽になると思う心理と同じだ。本人全く意識せず、全然関係無く根本的な真理を言っているのかもしれない。

WSJ の記事では、日本は手遅れという事になっているが、神風は吹くのであろうか?