YS Journal アメリカからの雑感

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四千万歩の男:井上ひさし

2010-04-13 00:25:07 | 書評
演劇に興味が無いので、井上ひさしが亡くなった事の感慨は、それほどでもない。しかし、なぜか『四千万歩の男』を所有しているので、それなりの思い入れはある。

井上ひさしの著作は、大学時代に友達に家にあった『吉里吉里人』しか読んだ事が無いにもかかわらず、『四千万歩の男』を購入した理由は、単に大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬が主人公だったという一点に尽きる。Google Map 等、ネットでの地図には一つも興味ないのだが、紙の地図には大変興味があり、カジュアルな「地図フェチ」(形容矛盾?)としては、新刊で5冊の大作を見逃す訳にはいかなかった。(という事だったと思う。)

内容は、全く覚えていないのでもう一度楽しめるのだが、私の中では小林信彦の『ちはやふる奥の細道』とゴッチャになっており、伊能忠敬が幕府の隠密という設定と勘違いして記憶していた。(小林信彦は、私の好きな作家の一人である。『ちはやふる奥の細道』は名作だと思います。(所有していない))

で、『四千万歩の男』であるが、自分が面白かったとは、全く別の思い出がある。家内は、読書は余りせず、読む本も私の趣味とは全然違うのだが、たった一回だけ(十年以上の結婚生活で、本当にたった一回)、私に面白い本は無いかと聞いた事があり、その時推薦したのが『四千万歩の男』であった。その上、推薦した私に対して、「こんな面白い本をいつも勝手に一人で読んでいる」となじったのである。そうやってなじった挙げ句、第一巻しか読まず、結局完読していない怠慢振りも発揮するという、思い出深い本であった。

文豪(井上ひさしには相応しくないが)亡くなると、彼等の脳に詰まっているものが、永久に失われる喪失感にいつも襲われるが、今回もそんな気持になった。新刊で5冊の大作『四千万歩の男』ではあるが、未だ構想の七分の一しか書いていないと告白してあり、その後、続編が出てもいないので、本当に永遠の未完となってしまった。

まえがきとあとがきに、50歳で隠居した後、星学暦学を勉強しに本地図を完成させた伊能忠敬を人生の達人と認識している。そして、現代では、定年後(当時は55歳)20年も30年も生きるので、みんなが人生の達人にならなければならない過酷な運命になったと考えた事が、決定的な動機となっている。慧眼である。

伊能忠敬は商売で成功しており、ある種の艶福家でもあるのだが,老いの問題もあるので、日常を書き込む事で第二の人生をどのように生きるかを示そうという思いがあるそうだ。この辺は、遅筆堂の評判通り、手法というよりスタイルだと思うが、書く込む事で、情報が重厚になって読み応えがある。

ざっとページをめくってみると、江戸後期の経済、政治、文化だけでなく、日本で独自に進化した和算の事も当然でてくるし、数学音痴の私にとっては、非常に刺激的な読み物になっている。

数ヶ月前に『菜の花の沖』を読んだ事もあり、少しだけ幕府末期の北海道にも詳しくなったので、残りの七分の六に思いを馳せながら、読み返してみようと思う。