暘州通信

日本の山車

◆01603 吾妻神社祭

2010年04月11日 | 日本の山車
◆01603 吾妻神社祭
静岡県御殿場市
吾妻神社
□祭神
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
オトタチバナヒメノミコト 弟橘姫命
□祭は四月上旬。
□山車
・上町
・仲町
・下町

□汎論
 御殿場市は、平安時代には伊勢神宮の荘園で、御殿場市、小山町、裾野市にかけて「御厨(みくりや)」とよばれていたが、のちに徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ遷すさいに、この地に安置されたことがある。当地には元和元年(一六一五)に徳川家康が築いた御殿があり、貞享三年(一六八五)に取り壊されたといわれるが、一時的に徳川家康の遺体を奉安した地がこの御殿だったという。その跡地に社殿を建立して祀られるようになったのが吾妻神社だと伝わる。ただ、

◇静岡・徳川家康探訪②駿府公園&紅葉山庭園
2009/11/29(日) 午後 9:48
久能山東照宮 に参拝して、徳川家康の霊廟にも訪れた翌日は 静岡市の中心部にある 駿府公園 へ行きました。 ここは、徳川家康が隠居して「大御所」になってから住んでいた 駿府城 の跡です。 ... 家康の時代には、二の丸御殿と台所の建物があった場所だとか。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/haru_haru57/34819268.html

◇徳川家康(小山評定)
2008/7/12(土) 午後 1:07
小山評定(栃木県小山市)  徳川家康 開運のまち小山 おやま開運まつり 小山評定 おやま開運まつり 小山評定FLASH http://www.yoroi ... html 戦国史跡訪問 小山市歴史散策 小山観光 小山御殿 小山城(祇園城) 祇園城(城山公園) 田丸忠昌(小山評定 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/webkouza/12711610.html

◇徳川家康
2007/7/20(金) 午後 10:21
... 帰り道 自転車で信号待ちにも かばんから取り出して読んだほどです 徳川家康が400年まえに 確かに滞在していた御殿の しかも 将軍様の寝室兼居間の後ろの廊下に腰掛けて 徳川家康の生涯を読む  なんか 感慨深いし。有難い。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yysrf123/22327829.html

◇☆徳川将軍家ゆかりの小杉御殿跡
2007/1/4(木) 午後 7:07
... 徳川家康、秀忠、家光、家綱ら歴代将軍が鷹狩等で休んだといわれている御殿跡の西明寺に行って来ました。 ここは「徳川将軍小杉(地名)御殿」があったところで中原街道もここでカギ形に曲り、西明寺 などとともに御殿を防御する形になっているようです。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rounin0718/43618570.html

◇徳川家康が死去した日である。
2006/4/17(月) 午前 10:05
... さて、本日は徳川家康が元和2(1616)4月17日 ... 狩場の水害で放鷹が出来ず、家康は勘気を蒙っさたという。15日に葛西へ至ったという。この間の滞在は越谷御殿であったという。このように家康は越谷にて滞在する機会が多くかった。  ところで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rwhpn707/32096746.html

◆24887 梅川忠兵衛

2010年04月10日 | 日本の山車
◆24887 梅川忠兵衛

 近松門左衛門作の人形浄瑠璃、『戀飛脚大和往來』(こいびきゃく やまと おうらい)の藝題でよく知られるようになった。
梅川は遊女、忠兵衛は大坂の飛脚宿、亀屋の跡継ぎ養子で、実際に起きた実話に基づいているとされる。梅川・忠兵衛はふたりの名前である。
 正徳元年(一七一一に大坂の竹本座で初演され、当たりをとった。
 忠兵衛と梅川の恋ものがたりであるが、遊女の梅川に惚れた忠兵衛が身請けのため他人の五〇両という大金に手をつけるが、これが露見し大和新口村(にのくちむら)に逃れるが、やがて忠兵衛は捕まって処刑され、梅川は江州で晩年を過ごす。
 大津絵は、芭蕉の、

  大津絵の 筆のはじめは 何ほとけ

 デモ奥知られる、滋賀県逢坂峠で売られていた戯画で、達者で、軽妙な筆の冴えは愛好者が多い。
 俗曲の大津繪は、梅川と忠兵衛にちなんだ物語を歌にしたもの。
 大津繪 梅川忠兵衛は、

  大阪を立ち退(の)いて…

 ではじまるが、、江戸時代後期にできたとされる。各地にひろく流布しているが、飛騨高山では、明治から大正期にかけて座敷歌になり、不思議なことに祭の来客の呼び引き、結婚式の祝言の席など目出度い席で唄われることが多かった。


◇梅川 忠兵衛ゆかりの淡路町
2008/6/13(金) 午後 4:57
... (失礼!)ビルのそのまた片隅に 「梅川 忠兵衛 ゆかりの淡路町」なる石碑がありました。 「梅川 忠兵衛」といえば近松門左衛門の「冥途の飛脚」 または「恋飛脚大和往来」の「梅川 忠兵衛」のことに間違いありません。 そうです、忠兵衛は淡路町にある ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ichihanalee/10688934.html

◇冥途の飛脚 “梅川”との出会い
2008/6/9(月) 午後 4:02
... 名作“冥途の飛脚”の梅川が駅で出迎えてくれてもおかしくはない。  かなり前に見た封印きりの場の息苦しさ、大和の新口村で梅川が初めて見、そして見納めになる、忠兵衛の父親の下駄の鼻緒をすげてやる場面など、涙なしでは見られないところのことなどを ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kaoru3744/39909614.html

◇「傾城恋飛脚」 けいせいこいびきゃく 新口村の段 梅川
2007/12/16(日) 午後 9:39
... 旅に慣れない梅川をいたわる忠兵衛、追っ手を逃れやっとたどり着いた新口村は忠兵衛の生まれ故郷でした。 この村は忠兵衛が生まれ育った故郷です。公金に手をつけてしまった忠兵衛には追手が迫っています。この村にも探索の手が回り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kirigakiri/19553323.html

◇文楽演目解題第3回目 「傾城恋飛脚」(冥途の飛脚)梅川忠兵衛
2006/11/22(水) 午後 9:09
... さて、お約束の「傾城恋飛脚」梅川忠兵衛でございます。 梅川忠兵衛の物語ですが、以前舞台を見る前に、あるお方から「梅川忠兵衛」が主人公なのは分かりますが、相方の女性はなんちゅうなまえですか」と訊かれててがっくりきました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yutaka_maekawajp/6830647.html

◇梅川忠兵衛
2006/1/3(火) 午前 5:27
... 近松門左衛門作「冥土の飛脚」の主人公  「恋飛脚(恋のたより)大和往来」も同じ  浄瑠璃、文楽、歌舞伎、宝塚公演などで知られる。  演歌歌手「中村美律子」さんの歌にも『恋の大和路・梅川忠兵衛「冥土の飛脚」』がある。  詳しくは こちら⇒ http ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tottyann39y/22203464.html


◆26117 三勝半七

2010年04月10日 | 日本の山車
◆26117 三勝半七

 三勝半七(さんかつはんしち)は、美濃屋三勝と、茜屋半七それぞれの名より採ったもの。浄瑠璃や歌舞伎で上演される藝題。元禄年(一六九五)に難波の千日(大阪市南区千日前)で心中した大和五条新町の茜屋(赤根屋)半七と、美濃屋三勝(本名はおさん)をモデルにしている
。浄瑠璃の「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」が著名である。
 山車藝能としては、福井県若狭町(旧三方町)の日吉神社の祭で上演されたことがあると伝わる。

◆04235 日吉神社祭

2010年04月10日 | 日本の山車
◆04235 日吉神社祭
福井県若狭町気山(旧三方町)早瀬
日吉神社
□祭は五月上旬。

□汎論
 早瀬の子供歌舞伎は、江戸時代後期に始まったといわれる。滋賀県長浜の曳山祭にみられる「曳山藝能」が行われる。過去には、
・太閤記
・鎌倉三代記
・三勝半七(さんかつはんしち)
・梅川忠兵衛
 などの諸藝がおこなわれたと伝わるが、現在は三味線や鼓に合わせ「寿式三番叟」が舞われる。山車は前後に分かれ、前部は狂言を行う舞臺で、勾欄の前部はおおきく開口されている。後部は「亭(ちん)」になっている。
□問い合わせ
美浜町商工観光課
〒919-1192
福井県三方郡美浜町郷市25-25
電話 0770-32-6705
FAX 0770-32-6050




◆00230 宇波西神社祭

2010年04月10日 | 日本の山車
◆00230 宇波西神社祭
福井県上中郡若狭町気山字寺谷(旧三方町)
宇波西神社(うわせじんじゃ)
□祭神
ウガヤフキアエズノミコト 鵜草葺不合命
□祭は九月中旬
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 若狭町気山は若狭の景勝地三方五個の東にある。宇波西神社は、若狭國三方郡の項に名神大社として記載される古社である。創祀は大宝元年(七〇一)若狭町日向に創祀され、上野谷の金向山麓に遷座のあと、さらに大同元年(八〇六)に現地に遷座したとある。一説に、同地の日向浦(三方五湖北部)に降臨したといい、日向地区は、古くに日向地方(宮崎県)からの移住者が住んだ地域と言われ言語には日向地方の訛りがのこるといわれる。祭神のウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合命)は、海神氏の娘である豊玉姫命の子であり、小浜市遠敷(おにゅう)の若狭彦神社は、延喜式に記載される古社で、若狭國一宮であり、両親のヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を祀り、上社は若狭彦神社、下社が若狭姫神社となっている。ワカサヒコ(若狭彦)は、ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)、ワカサヒメ(若狭姫)はトヨタマヒメノミコト(豊玉姫命)だとする。宇波西(うわせ)の名称は、上瀬、於瀬と同義だといわれる。
「王の舞」の伝承があり、国選択無形民俗文化財となっている。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇若狭小浜・放生(ほうぜ)祭
2009/9/28(月) 午後 0:02
... 約300年の歴史を有する八幡神社の例祭で、古くは放生 会(ほうじょうえ:殺生を戒め捕えられた魚や鳥を池や山野へ放つ儀式)が行われたので「放生祭」の名 前で親しまれています。一つの祭りに大太鼓、神楽、獅子、山車の4種の演し物が出るのは全国的にも珍 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tosingt2004/56572840.html

◇若狭小浜 放生祭 ♪
2009/9/19(土) 午後 9:14
... 市内にある廣峰神社の祇園祭りに出されていたそうで、 明治以降に放生祭りとなったとのことです。 大太鼓、山車、獅子舞、神楽、神輿などの24区があり隔年12区ずつ出陣して ... 各町内の芸能の素晴らしさ見事さと若狭独特のゆったりとした中の連帯感という ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/gfantacool/49412956.html

◇若狭おばま・放生祭
2008/9/18(木) 午後 3:15
福井県小浜市で300年以上の歴史を持つ若狭地方最大の秋祭り・放生(ほうぜ)祭が開催されました。     山車・神楽・獅子・大太鼓・神輿の演し物が旧小浜町内を巡行し演技を披露します。 ... 八幡神社のご神体を奉載して氏子各区を回る 大太鼓・棒振り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/keroyonpa01/44315223.html

◇若狭の二つの七年祭
2007/12/30(日) 午後 11:55
... 畑の子安神社を訪問探索も出来ました。  また今年 ... 若狭の2つの祭は古くから鯖街道で京都と結ばれ、祇園祭の影響を色濃く残し、神輿・山車の他に太刀振り、大太鼓等の芸能(余興)が盛んで、三山の七年祭りのような東国の田舎祭と違い ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawapiro7/53076020.html

◆02243 川原熊野神社祭

2010年04月08日 | 日本の山車
◆02243 川原熊野神社祭
静岡県磐田市(旧豊岡村)
熊野神社
若宮神社
秋葉神社
産土神神社
□祭は十月。
□山車(屋泰)
山車は二輪と四輪が混在する。
川原熊野神社
・大楽地
四輪屋泰
・川原
二輪屋臺
産土神神社
・亀井戸 亀井戸連
屋臺一臺
春野町若身が建造した山車(屋臺)を森町の乙丸を経て、平成二年に譲り受けた。
若宮神社
・合代島
屋臺一臺
新開四三
・秋葉神社
屋臺一臺
□汎論
 川原熊野神社祭は、つぎの各社の合同祭である。
川原熊野神社
熊野神社
若宮神社
秋葉神社
産土神神社

◆00536 女河八幡宮祭

2010年04月08日 | 日本の山車
◆00536 女河八幡宮祭
静岡県湖西市新所
女河八幡宮(めがわはちまんぐう)
□祭は十月中旬。
□山車(屋泰)
・女河
・岡崎
・日の岡、正砂
・吉野、札木
・神明、入江
・中岡
□汎論
 岩手県には女川があり、「おながわ」とよばれるが、湖西市の女河のよみは「めがわ」である。
 女河八幡宮の祭りに曳かれる山車は、単層で、屋根は唐破風のものと、神明造りのものがあり、素木である。
屋臺前面では、関東各地で見られる達者な諸藝が行われる。後部は大きく開口し、両側の柱いっぱいもある大きな太鼓が載り、これを青年らが外部から打つ、神前では奉納のお囃子が演奏されるが年配者が式臺にのり左右の手を交互に大きくまわし、渾身の力を籠めて大太鼓を打つ。
筆者が訪れた時は、入神はやし連、あさひ連、中岡はやし連、あかつきはやし連などの手馴れた演奏を聴くことができた。このように、太鼓を後部に積み外部から打つ例は、愛知県豊田市(旧稲武町)でも見られる。
□参考
・愛知県稲武町

◇33920 願人踊

2010年04月07日 | 日本の山車
◇33920 願人踊
秋田県八郎潟町
 京都の六波羅蜜寺(西光寺)は空也上人の開基と伝えられ、運慶四男の康勝作といわれる空也像がある。俗に「食うや食わず空也上人」などといわれるが。平安時代、胸に小鉦子をかけ、愛していた鹿を殺された悲しみで、その鹿角を杖頭につけ、朝には命あることを喜び、夕べには死期の近づいたことに感謝し、念仏を唱えて各地を遍歴したと伝えられる、その声明は唱える声は仏になって立ち上ったという。踊念仏、六斎念仏の開祖といわれる。
 京都市中京区蛸薬師通堀川東入る亀屋町にある「空也堂(極楽院)」も空也上人の開基とされ、この地は六斎念仏発祥の地とされている。京都の町中を、念仏を唱え、鉦子や太鼓を叩いて、踊り念仏を唱えたのが六斎念仏のはじまりだといわれる。六斎念仏は、江戸時代には念仏踊を中心とする従来の六斎念仏から発展したもののほかに、浄瑠璃等を取り入れて、風流化した「芸能六斎念仏」が登場した。
 現在は、この空也堂と光福寺(京都市左京区)の二流に分かれて伝わる。
 念仏踊は、踊手と歌い手が分かれて演じられ前者の念仏を唱えながら踊る踊念仏と区別されている。念仏踊は、菅原道真が讃岐国司だったころ行った「雨乞踊」が起源とされう。さらにこれが、
「念仏踊」になったのは、法然上人が讃岐に流されたとき、この踊を見て台詞を念仏に変えた
「念仏」を唱える踊りをはじめたことによるとされていて、香川県綾歌郡綾川町滝宮では「滝宮の念仏踊」が行なわれている。いまも全国に残る「念仏踊」の起源とされる。
 願人踊りは富山県の小矢部市、おなじ富山県の大沢野町(現在富山市)につたわり、大沢の町では山車が曳かれる。
 さて、八郎潟町の願人踊であるが、こちらは「願人坊主」によりおこなわれてきたとの伝承がある。願人坊主とは、依頼人に代わり、神仏への代参や代垢離をしていたひとたちのことで、この集
団はのちに僧体お門付芸人にもなっていった。藤沢派(羽黒派)と鞍馬派の二派に分かれていたといわれる、門付藝の演目は、願人踊、阿呆陀羅経、ちょぼくれ、ちょんがれなどで、俗曲のかっぽれや浪花節などにまで及んだといわれる。歌舞伎舞踊の長唄「まかしょ」、清元「浮かれ坊主」などにも影響を及ぼしている。
 八郎潟町に願人踊が伝わったのは江戸時代初期と推定されている。五月上旬、市神社祭で奉納踊を演じた後に各家々を門付けして回り、町流しの門付では、願人踊の途中で、仮名手本忠臣蔵五段目の山伏「定九郎」と爺ちゃ「与一兵衛」のかけあいなどの寸劇が披露されで観衆から喝采の声が上がる。
 この門付藝の願人は紫の頭巾をかぶり、傘鉾を奉持する。 
 八郎潟町の願人踊は三重県方面からの伊勢音頭の系統を引くと言う解説がある。平安時代に起源を持つと言われる六斎念仏、念仏踊、風流などの要素が入っているように思われる。

◆25995 クロマンタ(黒又山)

2010年04月07日 | 日本の山車
◆25995 クロマンタ
秋田県鹿角市
□汎論
 鹿角市にあるクロマンタ(黒又山)は標高二八〇・六メートル。美しい二等辺三角形を描く山で、いわゆる神南備山である。山頂付近には本宮神社、薬師神社があるが、これは古代祭祀を継承した後祀である。近年の調査で、山頂付近から縄文期の祭祀土器の発掘が報告されていて、クロマンタ(黒又山)が縄文期に遡る進行の山であったことがうかがわれる。近隣南西には著名な大湯環状列石(ストーンサークル)があり、視点の範囲を広げると、十和田湖の周囲には、
・大石神
・東ノ森
・西ノ森 
・達子森(タツコ)
・五葉山
・十和利山(尖山)
・ドッコ森(独鈷か)
・三角山
・靄山  
そのほかなどがあり、共通の思想で信仰の対象とされた山と推定される。いずれも山体そのものを祭祀の対象としたと考えられ、このように非常に綺麗に整った形は日本各地にあり、古代人の巨大な土木工事の修景作業の成果ではないかと考えられる。クロマンタは語感から、日本語から少し離れていて、漢字に表記されるときは黒又山と書かれる表音文字である。全国各地には、山、河川、地名などに漢字で表記されずカタカナ書き担っているところが数多くある。意味不明とされるものが多いが、アイヌ語に由来するものとされるものもあるが、思考を少し飛躍させると、アイヌ語もあるであろうが、これらの由来不明の名称は古代の【縄文語】だったのではないか? と考えられるものがある。コノクロマンタも縄文語ではなかろうか。



◆05148 八坂神社太々神楽

2010年04月05日 | 日本の山車
◆05148 八坂神社太々神楽
栃木県日光市
八坂神社
□汎論
 八坂神社の創祀は康平六年(一〇六三)と伝え古い神社である。この八坂神社に太々神楽が伝わる。
昭和四十三年に、宇都宮市無形文化財に指定されたが、演じられることが無かったが、平成十九年四月に四十数年ぶりに二荒山神社神楽殿において奉納された。
演舞には次の八番がある。
一 国定めの舞(くにさだめのまい)
二 猿田彦〈天狗〉の舞(さるたひこのまい)
三 二神の舞(にじんのまい)
四 三狐の舞(さんこのまい)
五 天の岩戸の舞(あまのいわとのまい)
六 恵比寿の舞(えびすのまい)
七 大黒の舞(だいこくのまい)
八 山の神の舞(やまのかみのまい)


◆31593 田子神楽

2010年04月03日 | 日本の山車
◆31593 田子神楽
青森県三戸郡田子町(たっこまち)田子七日市
八坂神社
□行事
田子神楽
□汎論
 田子町(たっこまち)は青森県でもっとも南部にある町。田子は「たっこ」とよむ。元はアイヌ語だといわれる、この田子町でおこなわれるのが田子神楽。青森県県無形の民俗文化財、国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財である。
 旧正月になると八坂神社の氏子を神楽師が廻って予祝の神楽を舞う。神楽は十八番があり、獅子頭をを用いた権現舞、番楽、鳥舞、念寿、桜子、八島、曽我兄弟などである。東北地方の各地で見られる霜月神楽の流れを汲むといわれ、南部藩の御用神楽を務めていた田子の修験大法院の行っていた神楽に、のち池田文左衛門が岩手方面から獅子舞をとりいれ、これが神楽と褶合したとされる。