論攷 斐太ノ工 六
「これは仮説である」
自然発生的に生まれた宗教の原始のすがたは【日】、【水】、【土】の三元神であろう。天御中主神は
最も存在の大きな神と謂えようが、神道教理を哲学的に究めるところから生まれた観念的な神ともいえるだろう。このゆえか、古代においてはあまり取り上げられていない。
弥生時代の神は【オヒ・テル】それに【ワダ・ツミ】と【ヤマ・ツミ】であろう。
【オヒ・テル】は【アマ・テル】であり、これがのちに【アマテラスオオミカミ】に発展した。
【ワダ・ツミ】は【海神】。
【ヤマ・ツミ】は【山神】で、これはのちに【大山祗】となる。
その神を祀る氏族は「海神氏であり、物部氏は海神氏の【齋祝部】だったと考えられる。スサノオノミコトとアマテラスオオミカミが不仲になり、海神氏はつぎの三氏族に分裂した。
海神氏。
出雲氏。
天皇家。
海神氏と出雲氏のあいだは早い時期に和睦が成立したが、対天皇家との確執は、七世紀ごろまでの長期に及んだ。
物部氏は、海神氏に従い、出雲氏に従ったが、その一氏族は、祖神に【ニギハヤヒノミコト】をたてて、大和大三和(奈良県桜井市)に天下ったと考えられる。
祭祀の社殿建立に関わった斐太ノ工は北九州に興り、物部氏に追随したと考えられる。つまり、海神氏、出雲氏に従う工人、大和大三和にしたがう工人があった。
この時期はジンムテンノウ(神武天皇)がまだ畿内に至るより以前である。
「これは仮説である」
自然発生的に生まれた宗教の原始のすがたは【日】、【水】、【土】の三元神であろう。天御中主神は
最も存在の大きな神と謂えようが、神道教理を哲学的に究めるところから生まれた観念的な神ともいえるだろう。このゆえか、古代においてはあまり取り上げられていない。
弥生時代の神は【オヒ・テル】それに【ワダ・ツミ】と【ヤマ・ツミ】であろう。
【オヒ・テル】は【アマ・テル】であり、これがのちに【アマテラスオオミカミ】に発展した。
【ワダ・ツミ】は【海神】。
【ヤマ・ツミ】は【山神】で、これはのちに【大山祗】となる。
その神を祀る氏族は「海神氏であり、物部氏は海神氏の【齋祝部】だったと考えられる。スサノオノミコトとアマテラスオオミカミが不仲になり、海神氏はつぎの三氏族に分裂した。
海神氏。
出雲氏。
天皇家。
海神氏と出雲氏のあいだは早い時期に和睦が成立したが、対天皇家との確執は、七世紀ごろまでの長期に及んだ。
物部氏は、海神氏に従い、出雲氏に従ったが、その一氏族は、祖神に【ニギハヤヒノミコト】をたてて、大和大三和(奈良県桜井市)に天下ったと考えられる。
祭祀の社殿建立に関わった斐太ノ工は北九州に興り、物部氏に追随したと考えられる。つまり、海神氏、出雲氏に従う工人、大和大三和にしたがう工人があった。
この時期はジンムテンノウ(神武天皇)がまだ畿内に至るより以前である。