暘州通信

日本の山車

23366 諏訪神社の御柱祭と起源

2007年02月22日 | 日本の山車
23366 諏訪神社の御柱祭と起源

諏訪神社の御柱祭で立てられる御柱は、エジプトを起源とするオベリスクにあると考察する。柱上部を四方晶型の四錐にするのはその特徴を承継するものだろう。
オベリスクはその先部分が肥大化しピラミッドとなっていることはよく知られるところである。
トルコのイスラム寺院は本殿の周囲を前衛の四尖塔がとりまく。この基本的かたちはアンコール・ワット、タージマハールにも引き継がれており、わが国でも古来の渡来文化として諏訪の御柱になったものと推定する。
諏訪神社が、中央勢力と結び、しだいに権力をひろげていったとき、その覇権と服従の象徴として御柱を立てる事が行われたのではないだろうか。長野県各地で諏訪神を祀らない神社にも御柱がたてられているのをみているとふとそんな感想を抱くようになる。


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岐阜県職員の犠牲はあまりに大きい

2007年02月22日 | 行政・司法問題
□岐阜県の裏金に関わる不祥事について、コメントいただいていた。気づかずにいたことについてお詫び申し上げ、ここに再掲して、ご意見を伺いたい。

2chレスのコピー (corona)

2007-01-28 20:39:05

http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1169518794/1-100
(過去ログ倉庫に入り読めませんが、レス81,82のコピーです:2007.01.27投稿されたもの、無断転載)
>レス81
もう天下り役人は要らない。

 去る11月12日、総務部長から外郭団体に去る異動の前日の日曜日、県庁に出勤した河野定氏は、総務部長室にて、首を吊り自ら命を断ってしまった。我々県職員に最も人望の厚かった人だけに、県庁内に強烈な衝撃が走り抜けた。
その後、悲しみの1ヶ月を経て、なぜ河野さんがわざわざ職場に来て、自分の部屋を選び、尊い命まで投げ出して抗議しなければならなかったのか、その真相は、同僚、後輩のすべてが知ることとなった。
  去る7月5日、県議会一般質問初日に、県幹部T部長がかねてから相談していた地元紙・岐阜新聞が「裏金問題」を公表した後、河野さんは、この問題の調査チームのサブ・リーダーとして、県職員に「悪いようにしないから事実を正直に話しなさい」と呼びかけて来た。しかし、その後、なぜか地元職員の唯一最大の擁護者である河野さんが、チームから外され、容赦ない厳しい処分が始まった。事情を知らない職員から河野さんに多くの苦情が寄せられた。河野さんは、「職員を騙したことになってしまった」と悩み苦しんでいた。

 又、総務部長の仕事の要である予算、人事、県議会答弁いずれも蚊帳の外に置かれてしまった。重要事に発言権を封じられた屈辱は計り知れないものがある。正に職場の「いじめ」の典型である。頻発している学校での「いじめ」と共通する悪質なものである。
このほか、幹部会議で唯一正論を述べ知事に物申していたN部長は左遷され懲戒免職処分にされている。地元法曹界では、法に基づく「行政処分」でなく、感情的見せしめの「政治処分」だといわれている。さらに、大量の職員の処分で人気取りをしているようだが、本来個人責任を問うべきところ、「組織責任」という法廷外の概念を「発明」し、関係者の有無、責任にかかわらず、一律に管理職というだけで「減給処分」などを強行している。
>レス82
 こうした血も涙もない仕打に抗議して、河野さんは命を懸けた
死の「メッセージ」を叩きつけたたともいえよう。
 その元凶は古田肇知事ではあるが、その補佐役の原正之副知事の責任は重大である。地方公務員の制度や実態に無知な知事を正しく誘導すべき立場にありながら。法を侵してまで知事に盲従し、また河野さんの直接の上司として「いじめ」の共犯となっている。許せない。
 原副知事は一刻も早く東京に追い払うべきである。後釜に天下りの役人は要らない。もうこりごりだ。これが我々地元職員
共通の思いである。

平成18年12月  岐阜県職員有志グループ

追記
 昨年末、懲戒免職処分を受けて不服申し出中の職員の父親が自殺、これでこ度の犠牲者は、自殺5名、同未遂1名(植物人間となってしまった)で計6名となった。
 今回自殺した方は、「不服申立てを取り下げないと息子は警察に逮捕される」と脅かされたようである。背後関係があるのでは、と噂されている。

コピーは以上であるが、2chの投稿者は主観的、一方的主張の文面であるが、現職の不満を代弁している感があるのでコピー紹介した次第。

「覆水盆に返らず」で、現職はこんな愚痴をこぼさずに、県民の為に襟を正して、汗を流して、、、と言いたい。

一部で批判される現知事や副知事は、苦難に耐え県庁改革に勇敢に取組んでほしい。世間はチャンと見ている。


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02802 御座石神社祭

2007年02月22日 | 日本の山車
02802 御座石神社祭
長野県茅野市本町鬼場
御座石神社
□祭神
高志沼河姫神
□祭
御柱を曳き、鳥居をつくって立てる。
□汎論
境内に諏訪七石の御座石があったというがいまはなく、拝殿横に「穂掛石(帆掛石?)」がある。穂掛石は七石のひとつであったか否かは不明である。
社名の御座石とはかって磐坐(いわくら)があったことによると考える。
社伝によると拝殿前の石にある窪みは鹿の足跡だといい、祭神高志沼河姫が越から、
鹿に乗り大門峠を越えてきたことに因んだという。
沼河姫神は信州起源の沼河氏を出自とし、直江津(現上越市)で大貴忌命(大国主命)と結ばれたが、諏訪神である、建御名方命はその子である。
伝記によれば沼河姫は直江津からわが子である建御名方命のいる諏訪の地に居を移したことになる。
加賀の白山は白山比(菊理比命)を祀り、大汝(おおなんじ)がある。大貴忌(おおなむち)が訛ったものである。おなじく越中立山に大汝(おおなんじ)がある。
大貴忌命は菊理比命を妃に迎えたはずだが、そのあとの消息が知れない。
菊理比命と沼河姫のあいだに不和があり、大貴忌命(大国主命)は高志(越)に定住できず、諏訪の地に到った。それで信州には白山神社が少ないとする説がある。


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05878 達屋酢蔵神社御柱祭

2007年02月22日 | 日本の山車
05878 達屋酢蔵神社御柱祭
長野県茅野市茅野市茅野字宮ノ前3,298
達屋酢蔵神社(たつやすくらじんじゃ)
□祭
御柱を立てる。
□汎論
財達屋酢蔵神社はいまは茅野市であるが、古くは横内村だった。
社記によると、 当社は、達屋社、酢蔵社を合祀したもので、達屋には、立屋社あるいは楯屋社とも記載され、八ヶ岳の御小屋神林より曳出す特権を有していた由緒がある。
『史蹟踏査要項』によると、天正十二年(1584)十月に横内村矢嶋左近が伍龍女宮大明神へ宛てた「御柱出の御柱事」「東嶽御小屋山植木にて壱丈八尺四本、小宮三拾弐本出し申し候、脇々より少しも構い御座なく候」とあって、本宮4本、小宮32本の御柱用達の支配は達屋酢蔵神社にあったことがわかる。伍龍女宮とは達尾酢蔵社のことである。


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